[aml 12130]
井川一久氏への質問1:人名関連
(旧AML投稿復刻版)Sun,
9 May 1999
[aml 12130]
井川一久氏への質問1:人名関連
Subject: [aml 12130]
井川一久氏への質問1:人名関連
Date: Sun, 9 May 1999 15:28:17
+0900
Seq:
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これから何通かにわけて,先月佐々木さんの方から投稿していただいた「井川
一久氏の書簡」[aml
11721]〜[aml
11728]について,私の方からの井川氏への
質問を書かせていただきます。筆が早くありませんので何日かかかるかもしれ
ません。御容赦を。
なお,この件について御理解いただきたいのは,私としては誰かをつるし上げ
ようという意図でやっている訳ではありません。この「70年代後半のインドシ
ナ報道の混迷」の問題は,まちがいなく90年代終盤のわれわれがバルカン半島,
あるいは朝鮮半島の問題で直面している情勢認識の問題に対して,まちがいなく
教訓となるものをたくさん含んでいると考えるからです。「過去の教訓」から
最大限度学びたいと考えるがゆえに,先輩ジャーナリストに対して失礼を省みず
思い切った質問をぶつけてみたい。
ただし,最初に指摘させていただきたいのは,井川書簡でイニシャル表記になっ
ている人物名の特定問題です。おそらく井川氏としてはここで言及されている
人々で,その後カンボジア情勢に対して意見を改めた人々がいるということを
考慮して,あえてイニシャル表記にされているのだと思います。
しかし,こうやってインターネット上で公開されてしまうと,「似たような名
前の人」にあらぬ誤解を与えかねない。記述を見れば誰であるか一目瞭然とい
う書き方をなさっているので,あえてイニシャルにすることはないと思います。
とりあえず私の方で人物推定をさせていただきました。井川氏に,この方々を意
味しているのかどうか,佐々木さんの方でお問い合わせ願います。なお,井川氏
からお返事がいただけなくても,私としてはこれらの方々に個別に「70年代のカ
ンボジア関連の発言」問い合わせを行いたいと思っています。
私の方でこの方だろうと読み取った人々。
*「ポル・ポット派に好意的であり続けた」
当時の岩波書店の編集総責任者R・Y氏(のち社長、故人)......安江良介氏
(他に該当者がいません)
*元べ平連指導者O氏......小田実氏
*元べ平連指導者Y・Y氏......吉川勇一氏
*「ロン・ノル政権の時代にプノンペンに住んでいたフリー・カメラマン・
75年4月、プノンペン陥落直後にタイへ強制出国」したM氏......馬淵直城氏
(他に該当者がいません。カンボジア救援センター,日本カンプチア友好協会
等で活動)
*京都の著名な学者で『世界』に「にもかかわらず」を
執筆したH氏......日高六郎氏
*アジア経済研究所の上級研究スタッフでポル・ポット擁護派の中心
となったT・K氏......木村哲三郎氏
同じくE・I氏......今川瑛一氏
(両氏と木村哲三郎氏は,[aml
11994]でふれた通り1980年に亜紀書房より
「ベトナム非難・ポルポト政権擁護・大虐殺の事実上の否定(犠牲者数を30万人
程度と低く推定,革命期にはやむを得ない混乱と見る)」の書物
『新インドシナ戦争』を故菊池昌典氏と共著で出版した)
*「佐々木更三元社会党委員長(中国派の日本カンプチア友好協会長)を団長と
する友好訪問団が中国政府の斡旋で北京経由プノンペンを訪問した」とき同行
して「ポ政権に好意的な記事を書いた」共同通信記者I氏......伊藤正氏
なお伊藤正氏のルポは本多勝一『カンボジアはどうなっているのか』1978に
『かいま見たカンボジア』という題で「付録」として収録されています。伊藤氏
の名誉のため指摘しますが,同記事には「〈追記〉お断りしておくが,私の専門
は元来中国問題であり,インドシナは素人に近い。それに今度の訪問は友好代表
団の随行という取材上の限界もあり,記述には見当違いや誤りもあると思う。率
直な批判,指摘を受けたい」という記述が付け加えられています。
私が特定できなかった人
共同通信プノンペン支局のカンボジア人助手K・V氏
同社のインドシナ担当編集委員S・O氏(元サイゴン特派員、現在インドシナを専
門領域とする大学教授)
また井川氏の書簡の事実関係についての記憶の誤り。[aml
11723]で
>また76年秋(77年春だったかもしれません)の同誌に「兵営国家の平等化実
>験」と題する解説記事を書き、さらに同年中ごろ月刊誌『流動』創刊号に
>「インドシナ革命の明と暗」と題する長文の解説記事を書きましたが【原注
>1】、前者は私が独自に得た情報に欧米メディアの報道を加えて、76年l月
>に名目だけのカンボジア王国民族連合政府(GRUNC)から民主カンプチア政
>府(DK)に移行した赤色クメール独裁国家の実態を推測したもの、後者はこ
>れを南北統一後のヴェトナムと比較したもので、これらはポル・ポット体制
>(サハコー体制=コミューン体制)の残虐性を日本で初めて本格的に紹介す
>るものだったと記憶しています。
とありますが,「兵営国家の...」は朝日ジャーナル1977.5.13号,「インドシナ革
命の明と暗」は『流動』ではなく季刊誌『世界政経』1977年夏号に収録されています。
その他[aml
11994]も参照。
(#じらすなって?......まあまあ(^_^;;。明日の噂真みてから)
Posted: 月 - 1 3, 2005 at 01:23 åflå„