2003/10/02放送フジ「実録!あの歴史的重大事件と闘った医師たち」より地下鉄サリン事件聖路加病院ビデオ抜粋(ram,山下再編集)
2003/10/03放送フジ「実録!あの歴史的重大事件と闘った医師たち」という番組で放送された地下鉄サリン事件当時の聖路加国際病院の様子を記録した映像ならびに関係者インタビューを期間限定で。すいませんが始めの2分ぐらいが収録できてません。
自衛隊からの通報情報を隠している??疑惑発覚,オリーブ師匠のご指摘。議論はオンフルール応援掲示板でやってます。
「アセトニトリル」について消防からの連絡がとらえられてます。「9時10分,東京消防庁化学機動中隊が聖路加国際病院に駆けつけた。原因物質が判明したというのだ」だそうで,ビデオに撮られてます。麻生幾著『極秘捜査』ハードカバー版と文庫版の書きかえ問題で指摘した,「アセトニトリル検出」問題参照。そして「アセトニトリル」検出の連絡は東京消防庁化学機動中隊からきていること,警視庁科学捜査研究所からの情報ではないこと。
もうひとつ注意点は「10時15分」に信州大学医学部付属病院の柳沢医師がサリンではないかと見込みをつけてデータを送ったとき,まだ警察・消防等から「サリン検出」の確定情報が届いていないこと。そして聖路加がパムの確保・投与に動いたのは病院側の独自判断で,見込みで動いていたこと。ただしこのあと「午前11時」からの警視庁捜査一課の記者会見では「サリンを検出」と発表があるんですね。ですからこの検出はどこがどの時点で行ったのか,というのが問題になります。
2004/12/31加筆:
『月刊薬事』2002年4月号井上忠夫「災害医療にかかわって 地下鉄サリン事件 サリン中毒と薬剤部の反応」より
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『月刊薬事』2002年4月号に聖路加病院薬剤部長の井上忠夫氏の「災害医療にかかわって 地下鉄サリン事件 サリン中毒と薬剤部の反応」が掲載されています。1995年3月20日のサリン事件当日の対応をまとめて書いてあります。それには次のとおり時系列整理が書いてあります。
- 7:50 地下鉄サリン事件発生
- 8:16 消防署から救命救急センターに第一報が入る。その時の情報では,地下鉄築地駅と小伝馬町駅で爆発火災発生との通報であった(いかに現場が混乱していたかがうかがえる)。
- 8:26 最初の被害者が徒歩で救命救急センターに来院。
- 8:35 心停止の被害者が,付近を通りかかった自家用車の協力で搬送される。
- 8:40日野原重明院長(当時)から全職員へ外来の中止,手術の中止を指令。ただちに全職員は被害者の救済に対応。原因が不明のため,対処療法として輸液(血管の確保),硫酸アトロピン注(散瞳の目的)を行う。
- 10:30 「原因はサリンらしい」との情報を入手。薬剤部では,情報収集にあたっていた医師からからの報告で,ただちに待機していた各卸担当者(幸運にもこの時間帯は訪問時間となっている),駆けつけてきた一部のMRの協力によりハムの手配を要請。
- 11:30 担当責任医師から,治療方針マニュアルが院内の医師,看護婦,薬剤師,検査技師等に配布される。
>午前8時45分頃,地下鉄日比谷線築地駅で多数の被害者が発生したとの情報を得る。この時点では詳しい状況を知ることができず,ただちに薬剤部スタッフ1名が救急センターへ行き情報収集に努めた。その間も次々と救急車により被害者が搬送された。さらに薬剤部スタッフ2名(病棟薬剤師)を現場に派遣し,今後の治療方針等に関する情報収集にあたらせた。
午前10時頃,サリン中毒との情報によりただちに解毒剤(硫酸アトロピン,PAM)の手配とサリンに関する文献検索を行った。その後も薬剤部スタッフにより現場の状況把握と解毒剤の使用状況調査を継続的に実施した。
救急センターの薬剤部スタッフと薬剤部とのリアルタイムな情報収集により解毒剤であるPAMの供給は順調に行われた。当院が特にPAMの供給に関し問題が生じなかったのは当院と取引のある医薬品ディーラー各社が事件発生後病院に駆けつけ待機し,病院の状況を把握し,供給体制を整えていたこと,さらにサリン中毒であるとの情報が早かったことにある。また,夜間の被害者急変等に対処するため24時間体制を取り,当直者以外に2名の薬剤部スタッフが2,3時間ごとに病棟を巡回。PAMの使用状況をチェックし,供給体制に万全を期した。
なお,当院でのサリン中毒による解毒剤の使用量は,硫酸アトロピン注射波2,800管(ほぼ全例)PAM注射波700管(入院106名,外来7名)であった。
サリンの情報が入ったのが「10時30分」と「10時」と二種類記してありますが,上のテレビでの証言と照合するとこれは10時30分が正しいでしょう。それから「当院と取引のある医薬品ディーラー各社が事件発生後病院に駆けつけ待機し」ていたのに発注した,という流れになっています。
「10時30分」に卸業者にPAMを発注し,「大阪から飛行機で運んで」果たして急患に間に合ったのか?
以上のテレビと論文にあるところを信じるならば,「10時30分」に卸業者にPAMを発注し,「大阪から飛行機で運んで」もらったということになるのですが,さてそれで,飛行機から羽田空港〜聖路加病院と運ばれて,到着したのは何時でしょうか。はたしてこれで大量に押し寄せる急患への対処に間に合ったのでしょうか。PAMの投与は一刻を争います。吸引後数時間が勝負です。
しかしながら,当日,聖路加病院でも他の病院でもPAMの供給に不足した,という話を聞きません。いずれも迅速なPAMの供給がなされた,という話ばかりです。
この話,信じられるでしょうか。どうもこれは,当日都内に大量のPAMの在庫があり,そこから供給されたと考えないと時間的に間に合いそうもありません。
では,どこにあったのか。またなぜその情報は伝わってこないのか。聖路加病院が嘘をついていないとするならば,どうやらこう考えるより他ないでしょう。
このとき供給されたのは,あらかじめ都内にストックされていた自衛隊及び機動隊用のPAMが緊急に回されたものではないか。
この事実が漏れてこないのは,おそらく薬品卸業者に箝口令がしかれているのではないか。
こう考えるのがいちばん合理的なように思います。そうだとするとなぜこの事実を明らかにしないのかというのが問題になってきます。このときオウムのサティアンへの強制捜査が迫っていて,警察と自衛隊の合同チームが作られ,防毒マスク等の訓練が行われたことはすでに明らかになっています。当然自衛隊納入業者にむけて硫酸アトロピンやPAMの大量注文がなされただろうということも納得できるところです。
そのへんはあえて隠すまでもないことのように思えるのですが,なにかを隠しているようにも思えますね。なぜでしょうか。
