自宅から名古屋の高校まで30Kmほど離れている。そこまでヌートリアを運ぶのは、当日の朝、父さんに車を出してもらうことになった。ヌートリアにはかなりのストレスになったであろうが、なんとか無事に高校へ到着。見たことのない大ねずみを先生たちも興味深げに眺めていた。教室を2つ使って、ヌートリアを展示するためのレイアウトをみんなで話し合って決めた。入口には、ヌートリアが口を空けた形のアーチを作り、ヌートリアのいる場所までは、川原のアシの群生した道を模してヌートリアの歴史や生態を写真を混ぜて展示した。また、入口の前にはヌートリアを撮影した自作のビデオを流し、お客の目をひいた。そして、展示を見てくれた人には、記念となるグッズ(しおりやクリップスタンド)をプレゼントした。文化祭中に父兄懇談会があったこともあり、父兄の方達がたくさん見に来てくれて、大きなねずみヌートリアは、みんなに驚きと感動を与えてくれた。

 2日間の文化祭が終わり、実物のヌートリアを文化祭で展示するという目的は無事果たすことができた。しかし、今後このヌートリアをどうしたらいいのか問題になった。野生動物を狭い檻の中に閉じこめて飼い続ける訳にもいかない。かといって元いた場所に逃がすわけにもいかないのだ。何しろこのヌートリアは畑を荒らす有害鳥獣の駆除のために捕まえられたものだから。僕はどこかの動物園でヌートリアを引き取ってもらえないかと考えた。

 そこでまずヌートリアを見学に行ったH山動物園に頼んでみた。しかしあっさりと断られてしまった。なんでも、事故にあったヌートリアが年間10頭ほども持ってこられて動物園側でも困っているらしい。ヌートリアなんて動物園に置いておく価値が全くないといった感じの冷たい応答だった。終戦当初は珍重され、H山動物園の園長が自らヌートリアの飼育施設を見学に行ったというのに。

 その他にも6カ所の動物園や水族館に頼んでみたが、どこもヌートリアを受け入れてくれるところはなかった。飼育施設がない、オスは喧嘩するからダメ、展示する予定がない、などそれらしい理由をつけて断られてしまった。実際ヌートリアは、各地で野生化して珍しくもなく、またお客の目を引きつけるほど可愛らしい動物でもないようだ。

 結局ヌートリアはしばらく僕の家で飼われることとなった。でも、実はそれを心のどこかで望んでいた気がする。捕まえてから2ヶ月半のうちになんだかヌートリアと少しだけ心が通った気がしたからだ。僕が檻の前に行くと足音で分かるのか檻にしがみついてエサをねだるのである。いつしか僕の手からエサを取って食べるようになっていた。檻の間から指を入れ、頭を撫でてやることもできるようになった。川辺に住んでいる動物のため、水浴びをさせてやろうと、ときどき漏斗で水をかけてやる。そうするととてもうれしそうにして、毛並みを整え始める。その仕草がまた可愛らしいのだ。口元の油を手に付けて両手で頭の後ろから毛を掻く。そうするとトサカのように髪が逆立ってなんとも面白い。それから股間に両手を入れて足の付け根を掻き始める。それがまるで「コマネチ」のポーズのようで見ている僕達をいつも笑わせてくれた。

 ある時僕はヌートリアをなんとか檻から出して飼えないものかと考えた。T水族館にヌートリアを預かって欲しいと電話をかけたとき、そこの飼育員がヌートリアに首輪を付けて散歩をしていると言う話しを聞いたからだ。それ以来僕もヌートリアを連れて道を散歩したいと思っていた。小さいころから犬や猫は好きだったが、両親の反対で一度も飼ったことがない。そのためか、ペットと一緒に散歩をするのが僕の夢だった。近くのペットショップで首輪と鎖、そして小型犬用の人を噛まないようにするマスクを買ってきた。ヌートリアは歯が鋭いため、口を覆うものが必要だと思ったからである。僕は自転車小屋のなかでヌートリアを檻から出してみようと決心した。檻の入口に何重にも付けられた針金をペンチで丁寧に外し、3ヶ月間閉じられたままの扉をそおっと開いた。ヌートリアは初め何をされるのか心配だったのか、身動き一つしなかった。しびれをきらした僕がヌートリアのお尻をちょっとつついてやるとのっそりと起きあがり、扉から外に出てきた。と思った瞬間にヌートリアは走って小屋の隅に行き、そこで小さく丸ってしまった。本当に臆病な動物である。僕はヌートリアの体を強引に起こして首輪を付け、マスクも付けてみた。しかし、まあ、当然と言えば当然なのだが、ヌートリアは口に付けられたマスクをとてもいやがり、両前足を使ってすぐに外してしまった。僕は、またヌートリアにマスクをつけヌートリアは一生懸命になってそれを外した。

 そんなことを一時間程繰り返しただろうか。僕は、いやがっているヌートリアがすごくかわいそうになってきた。僕は一体何をしているんだろう?自分の思い通りにヌートリアを操って、みんなに自慢したいだけなんじゃないかと思えてきた。そんな自分がいやになって、ヌートリアを散歩する計画はあきらめることにした。やはり野生動物をペットとして飼うのは無理があるとこの時知った。

 動物園に引き取ってもらうこともできず、檻から出すこともできないまま、ヌートリアは僕の家で飼われる日々を続けた。それにしても、ヌートリアはエサをよく食べる。家庭菜園で庭につくっていたサツマイモは、葉っぱも茎もイモも全てヌートリアのエサになってしまった。その他、トウモロコシやかぼちゃ、人参も喜んで食べた。特に甘いものが好きなようである。リンゴやメロン、ケーキなんかは、たまにしかあげなかったが、とってもよろこんで食べた。いつのまにかまるまると太って、捕まえた時に比べて一回りも二回りも大きくなっていた。家族のみんなもヌートリアが嫌いではないらしい。特に名前を付けたわけではないが、それぞれが「ヌーちゃん」やら「ヌー太郎」「ヌー助」など勝手な呼び名を付けてかわいがっていた。それぞれが顔を見る度にエサを与えていたからこんなに太ってしまったのかもしれない。いつしかヌートリアは家族の人気者となり、家族の一員のようになっていた。

 しかし、いつまでもこんなことを続けていていいのだろうか、という気持ちは拭い去れなかった。今はもう11月、そろそろ朝夕が冷え込む季節だ。冬はヌートリアのエサになる植物が少なく、南米産の彼らにとっては厳しい季節である。何とかこの冬を僕の家で乗り切って、暖かくなったら、ヌートリアを逃がしてやろうと考えていた。やはりヌートリアにはその方が幸せに決まっている。畑を荒らすことの無いよう、どこか人里離れたところを探して、ヌートリアの安住の地を見付けてやりたいと思っていた。

 11月17日金曜日。いつできたのか僕のお尻にできものができ、ここのところ気になっていた。それでこの日は高校の帰りに病院に行って診てもらうことにした。結局、大したことはなかったのだが、意外と人が多くて診察を待たされたため家に着いたのは、午後8時ぐらいであった。ヌートリアはきっと、主人の遅い帰りをお腹を空かして待っているだろう、僕はそう思い、カバンを置くとすぐにエサをやりに行った。

 「いやー、遅くなった、ゴメンゴメン」僕はヌートリアにそう声をかけながら、エサのサツマイモを檻の間から入れてやった。???いつもならすぐに近寄ってきてエサをもらいにくるはずなのに今日は全く姿を見せない。辺りはもう真っ暗で、檻の中の様子はよく見えない。僕は手に持っていた懐中電灯で檻の中を照らした。

「あぁぁぁ!!」僕は声にならない声をもらした。ヌートリアがぐったりと倒れて、回りには血が飛び散っているのである。よくみるとお尻のところから血にまみれた内蔵が出ているように見えた。心臓の鼓動が自分でも聞こえるほどに高まる。手が震え、ライトに照らし出される光りの輪が小刻みに揺れた。きっと、へびにかみ殺されたんだと思った。檻の中にいるのだから野良犬は手を出せないはずである。僕は怖くなり、慌てて台所にいる母さんを呼びにいった。尋常でない僕の様子に母さんもどうすることもできないといった感じであったが、とにかく改めてヌートリアの様子を見に行くことにした。幸いなことにまだ息はしているようである。このまま庭にいては、ヌートリアの体が冷えてしまうと思い、とりあえず、檻を自転車小屋の中へと移すことにした。檻を持ち上げたときに下に何か血にまみれた固まりが転がったように見えた。懐中電灯でその固まりを恐る恐る照らしてみると・・・・なんと産まれたばかりのヌートリアの子供だったのである。僕は驚いた。なにしろ今の今までこのヌートリアはオスだと信じ込んでいたからである。まさか子供を産むなんて・・・。慎重にその子供を手に取ったが、すでに冷たくなっており、息はしていなかった。その子は鶏の卵ぐらいの大きさで毛もまだ生えていない、真っ赤な体をしていた。足の指はとっても小さかったが、親と全く同じ形をしていた。ヌートリアを捕まえてから約4ヶ月、妊娠期間の130日と確かに矛盾はなかった。あんなにお腹が大きかったのもやっと今理解できた。それから辺りをくまなく探したが、結局子供はその一匹だけだった。親の方の様子をうかがうと、やはりぐったりとしたままである。お尻のところから血にまみれて内蔵の様に見えたのは、まだ出産の途中である証拠のようだ。

 僕はどうしていいかわからず、すぐに獣医さんのところへ電話をした。まず以前に寄生虫の検査をしてくれた獣医さんのところへ電話をしてみたが、夜遅いせいか留守番電話になっていて一向に誰も出てくれない。仕方なく、家の近くの獣医さんに電話をかけてみた。ここは以前野生動物は診ないと断られたところである。事情を話し、ヌートリアが大変なことになっていることを説明した。しかし、対応は以前と同じく野生動物は専門外だと言われるばかりである。「こういうときは、どうすればいいんでしょう」僕はすがる気持ちで獣医さんに尋ねた。すると「野生動物だから、ほっておいても大丈夫でしょう」とあっさりと言われてしまった。全く知識の無い僕は、成すすべもなくただぐったりとしたヌートリアを見つめるだけだった。何か食べさせてあげようと庭になっているミカンをちぎって、皮を剥きヌートリアの口の前に差し出してやった。横になりながらも前足でミカンをつかんでゆっくりと口を動かし、それを食べた。獣医さんの言う通り、親は意外と大丈夫かもしれない。明日の朝になれば、まだ産まれてない子も産まれているかもしれない。僕は、子供達に囲まれおっぱいを与えているヌートリアを想像して、次の日の朝を待つことにした。

 朝目を覚ますと一番に、ヌートリアのいる自転車小屋へと向かった。恐る恐る扉を開け中をのぞき込むとヌートリアは昨日のままの姿で横たわっていた。そっと体に触れてみるとそれは、冷たく異様なほどに硬かった。床には、茶色く変色した血液が広がっていた。もうヌートリアは息を引き取っていたのである。悲しかった。とっても悲しかった。涙も出ないほど辛かった。このとき、本当に悲しいときは涙も出ないということを初めて知った。

 その日僕はいつものように高校へと向かった。駅のホームを慌ただしく行き交う人々、電車の窓から見える景色、高校へと続く道。全てはいつもと同じであった。そう、何事もなかったかのように。朝のホームルームの時間が終わった後、僕はクラスのみんなに話しを聞いて欲しいと頼んだ。「実は、ヌートリアが子供を産んで・・・」急に涙があふれてきた。みんなにきちんと伝えなければならないのに声が言葉にならなかった。男がみんなの前で涙を見せるなんて。ヌートリアという言葉を出したとたん、それまでヌートリアと過ごした記憶が頭の中を渦を巻いて流れ出した。なぜだか今まで全く出なかった涙が、止まらなくなってしまった。

 次の日の日曜日。クラスの何人かが集まってヌートリアのお葬式を挙げることになった。たまたまうちのクラスには、お寺の子が2人いてその子達が立派なお経もあげてくれた。ヌートリアの親子はみんなに見送られ、町の火葬場で煙となってこの世を去っていった。

 僕はどうも納得がいかなかった。ヌートリアの命を本当に救うことはできなかったのか。何か処置の方法があったのではないだろうか。野生動物を診ることができる獣医がいないのなら自分が獣医になってやる。そんな気持ちが僕の進路を変えた。高校3年生の秋、それは突然の希望大学変更だった。ただ、動物の医学を身につけたい。二度とこんな悔しい思いをしたくないと僕は思った。

 翌年の春、僕は岐阜大学の獣医学科に合格した。

 ヌートリアが死んで2年が経ったある日、デパートの広告にヌートリアの毛皮のコートが載っているのを見付けた。僕は、大学の帰りにそのデパートの毛皮売場へと向かっていた。そこには黒やシルバーの高級そうな毛皮がたくさん展示されている。僕のような学生はまったく場違いな雰囲気だった。しばらく辺りを回っていると、一際目を引くピンク色に染められた毛皮のコートを発見した。周りのミンクやキツネの毛に比べると明らかに毛足が短い。僕はそっとその毛皮に触れてみた。ミンクのような高級感はないが、何となく暖かみのある手触りだった。札を見るとやはり「ヌートリア」と書かれている。なんだか目頭が熱くなってきた。戦争に巻き込まれ、軍服の毛皮として輸入されたヌートリア。すぐに見捨てられ、今度はやっかいものに。ひょんなことから僕と出会い、そして突然の別れ。懐かしいような悲しいような複雑な思いで胸がいっぱいになった。ふと顔を上げると、すぐ目の前で怪訝そうにこちらを見ている店員と目が合う。僕はとっさに「これは何の毛皮ですか?」と聞いた。「こちらの毛皮は、最近若い人に人気が出ている、ヌートリアといいまして・・・・・・」

終わり

 

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