ヌートリア、よく見るととても面白い動物だ。足の指は5本あってその第一指から第四指の間まで水掻きが付いている。まるでアヒルの足のようだ。夜行性の動物のためか、目の虹彩が縦に閉じる。つまり、ねこやヘビの目のように明るいところでは、瞳に縦に線が入るのだ。その目は、まさに野生動物の鋭さを保っている。

 はじめは緊張したせいか、なかなか人の見ている前でエサを食べようとしなかった。檻の隙間から人参やさつまいも等を入れておく。すると次の日には跡形もなく消えていた。次の日、人参を檻にいれて、物陰からそおっと、ヌートリアを観察してみた。辺りをキョロキョロと見渡し、姿勢を低くして、ゆっくりと人参に近づく。鼻で匂いをクンクンと嗅ぐと、大きな前歯でガブリと噛みつき、檻の奥の方へ後ずさりした。今度は、上体を起こして、口にくわえた人参を両方の前足でしっかりと持ち直した。もう一度人参の匂いを嗅ぐと勢いよく人参にかじりついた。下顎を左右に大きくゆらして、奥歯で人参をすりつぶしているようだ。なんともうまそうな食べっぷりである。両前足で人参を器用に回転させながら食べ、最後は小さくなった人参を片手でもって口の中へほうりこんだ。

 情報班の人達の活動のおかげでヌートリアに関する情報がだんだんと集まってきた。ヌートリアの正式名称は、「齧歯目、カプロミス科、Myocastor Coypu 」。ヌートリア(Nutria)というのは、コイプ(Coypu)の毛皮を指す言葉で、カワウソを意味する「ルートラ」がなまったものとされている。日本への到来は1907(明治40)年、上野動物園が雌雄一対を買い入れたのが最初である。1939(昭和14)年、150頭のヌートリアがアメリカから輸入され、うち47頭が陸軍獣医学校に納入されて大規模な養殖が試みられることになった。そのころ日本は満州、シベリアへ出兵する兵士の軍服に、水に強い毛皮が大量に必要だったのである。ヌートリアは「沼狸」と名付けられ、その音が「勝利」に通じると喜ばれた。その後全国にヌートリア養殖所が設けられ、国内で4万頭以上のヌートリアが飼育された。しかし終戦に伴い、その毛皮は価値を失って養殖場は全て廃止され、逃げ出したヌートリアが野生化したのだ。近年の護岸工事に伴い、住みかとエサ場を失ったヌートリアは田畑を荒らすようになり、有害鳥獣として一匹1000円程の懸賞金をかける市町村も現れた。

 集めた資料を整理していると、興味ある書類のコピーを見付けた。「愛知県ヌートリア農業共同組合設立申請書」である。へー、愛知県にもあったんだ。書類の日付は、昭和26年11月30日になっている。後から知ったことなのだが、戦後復興の一つとして、ヌートリアの養殖を試みたところもあったようだ。この書類には、発起人として21人の名前と住所がのっている。もしかしたら、まだこの時の人がいるかもしれない、僕はそう思った。クラスの仲間とともに、名字が同じで住所も似ている人を対象に電話帳を調べてみると4人の電話番号が候補にあがった。まず、名前も住所も一致した家に電話をかけてみると、ラッキーなことに本人に電話に出てもらうことに成功したのである。事情を話し、ヌートリアについてお話を聞きたいと申し出ると急にその人の声が変わった。「テレビ局の人にも聞かれたことがあるが、そのことについては、話したくない」と言われ、すぐに電話を切られてしまったのである。各地で作物に被害を出しているヌートリア。それを逃がしたかもしれないということで、他人から非難をあびたことでもあったのであろうか。当時を知る貴重な人物を見付けたのに、残念である。あきらめて、次の2人目の家へ電話をしてみた。すると、その方はもう何年も前に亡くなられていた。家族の方が電話に出られたのだが、その当時のことは知らないというのである。さらに3人目の家への電話をすると、あっさり、人違いだと言われてしまった。

 すがる気持ちで最後の人に電話をすると「ヌートリアねえ、うちでも飼ってましたよ」と返事が帰ってきた。その当時のお話しを聞きたいと申し出るとその方は、快く引き受けてくれた。やったあ! その方は、発起人の一人の息子さんだったのだ。またその方の叔父は、ヌートリア農業協同組合の組合長でもある。日を改めて会って話しを聞かせてくれることになった。その時のインタビューの内容を下にまとめてみる。

戦後、ヌートリアを飼うことになったきっかけは?
 叔父が、戦時中食料営団(食料の配給等を行う特殊法人)の団長をしており、その仲間でヌートリア農業共同組合を設立した。目的は、毛皮と肉。

どの様な製品になりましたか?
 長い毛と短い毛があって、長い毛は全部抜いてしまう。そうすると8ミリ程のキツネ色の毛になって、手触りは柔らかく、帽子、ベスト、靴などができた。その製品を桐の箱に入れて天皇へ献上したこともある。肉は、全て缶詰。今の大和煮風(醤油、砂糖、生姜で似たもの)で意外とおいしかった。

どの様に飼っていたのですか?
 コンクリートの升(飼育施設の模式図はこちら)で飼っていた。初めに雌雄一匹ずついれて、年に一回、4から5匹産まれる子供は、大きくなるまで親と一緒にしていた。エサは、朝夕2回、人参やキャベツや麦を炊いたもの。水槽は3日に一回、全部掃除した。

どれくらい飼っていたんですか?
 升は、14あって40匹程。

採算はとれていたんですか?
 当時、1匹4〜5千円で引き取られ、採算はとれていた。

それでは、どうしてやめたんですか?
 小規模農家では、採算が合わなくなったり、繁殖がうまくいかなかったらしい。そのため2、3年でやめてしまう所が多く、毛皮をなめす所もなくなっていった。私の所は一番長く昭和45年まで飼っていた。しかし、叔父の体が弱ってきたのと、ヌートリアの引き取り手がなくなったのとでやめてしまった。

ヌートリアの性質は?
 
おとなしく臆病。でも怒ると立って歯をむき出す。ヌートリアを飼っている知人で人差し指を第二関節から噛みきられた人もいる。出荷の時は、網を使って、押さえつけ、前歯をペンチでガツンと切って生きたまま出荷する。ものすごくきれい好きで、フンは全部水の中でする。他では絶対しない。水から上がった後は必ず毛づくろいをしますね。

ヌートリアが病気になったことは?
 病気で死んだものは一匹もいなかった。保健所で調べたときも病原菌を持っているものはいなかった。南洋の動物のわりには寒さに強く、薄く張った氷の中へもドボンッと入りますよ。

その他に何か?
 今から3代前のH山動物園の園長が、よくうちのヌートリアを見に来た。そのとき私の所から動物園にヌートリアを寄付した。当時、H山動物園のヌートリアの升はうちと全く同じ作りでしたね。今H山動物園にいるのは、その時の子孫だと思う。

 インタビューが終わって、帰り際に、是非ヌートリアを見せてほしいとお願いがあった。その頃、捕まえてから1ヶ月ほどが経っており、だいぶヌートリアも人に慣れているようだったが、見知らぬ人の匂いに気付いたらしく、檻の奥でじっと身構えていた。僕は手に持っていたリンゴをそおっと檻に入れてやると、ヌートリアは、ゆっくりとエサに近づき、一瞬のためらいを見せたが、すぐにいつものエサだと理解したらしく、手に持っておいしそうに食べだした。
 「かわいいなあ」
おじさんは、そうつぶやくとじっとヌートリアがリンゴにかじり付いているのを見つめていた。暗がりでよく分からなかったが、その瞳は、なんだか涙で潤んでいたように見えた。

 ヌートリアを昔に実際に飼っていた人に会えたことで、いろんなことがわかった。毛皮だけでなく、肉も利用していたこと、あの前歯は指を食いちぎる程の威力があること、H山動物園にもヌートリアがいるらしいことなどだ。

 そこで今度は、名古屋市の有名なH山動物園に連絡をとり、実際にヌートリアがいるかどうか調べてみることにした。獣医さんが電話に出て、ヌートリアを実際に飼っていることを教えてくれた。しかし、今は改装工事のため、一般に公開はしていなというのである。理由を話し、どうかヌートリアを一目見せて欲しいと頼んだ。すると、少し、迷惑そうにされたものの、2、3人なら見学してもいいという許可をいただけた。

 早速、クラスの友達2人とH山動物園に出かけることになった。もう、何年も動物園には来ていなかったが、とても立派できれいな飼育舎が並んでいた。とくにコアラの飼育舎は、施設も新しく人気があり、人だかりができていた。ヌートリアが飼われているのは、動物園の一番奥の方にある、こども動物園のところであった。コアラの舎とはうって変わり、建物も古く人も少ない。そこの飼育係の人に事情を話すとにっこり笑ってヌートリアのいるところへ案内してくれた。そこは、夜行性の動物を集めたところで、洞窟をまねた格好になっている。確かにその入口は、シャッターが下ろされ、今は公開していないということが、明らかに分かった。飼育係の人は、裏口から僕らを中に入れてくれて、ヌートリアを見せてくれた。そこには、ガラス張りのケースに一つがいのヌートリアが、入っていた。心なしか、うちにいるヌートリアよりも小さくて毛並みも悪いように感じる。飼育員の方が、ケースの中に入って写真をとってもいいよ、とおっしゃってくれたので、お言葉に甘えて、中に入らせてもらうことにした。指を食いちぎられたという人のことを聞いていたので、すこし、恐怖心もあったが、飼育員の方がいうのだから、まあ、安心だろうと思い、そおっと扉を開けて中へ入った。ヌートリアは、凶暴といういより、むしろ臆病らしく、隅の方に後込みをしてしまって、なかなか出てきてくれなかった。写真を何枚か撮り、これ以上ストレスをかけないように早々にケースの中から出てきた。

 飼育員の人は、その後、ヌートリアの生態についていろいろと教えてくれた。ヌートリアの妊娠期間は約130日で年2回出産をする。一度に1〜14匹の子供を産み、平均は5匹。母親の乳首はかなり背中側についていて水面でも子供におっぱいを与えることができるらしい。水辺の生活によく対応しているようだ。最後に飼育員のおじさんは、ちょっと残念そうに次のように話してくれた。「これから先、ヌートリアを公開する予定が決まっていないんですよ。」昔は、毛皮や肉として利用価値が高く評価され、各地でもてはやされたヌートリアだが、現在は、作物を荒らす嫌われ者の存在になっているらしい。勝手な話しだが、ウーパールーパーやエリマキトカゲのような一時のブームに振り回された動物たちがいることを考えるとヌートリアの扱いも分かるような気がする。(2年ほど前にH山動物園に行く機会があったが、その時にはもう、昔の施設は取り壊され、新しい建物に変わっていた。だが、そこにヌートリアの姿はなかった)

 文化祭の準備は着々と進み、当日どのようにヌートリアを高校まで運ぼうか、悩んでいた。そこで、思わぬ問題が新たに起こった。ヌートリアを高校に持ち込むためには、人に移る恐れのある病原体や寄生虫がいないか獣医で検査を受けてこなければいけないというのである。そこで、近所の獣医へ相談をしてみた。しかし!野生動物は専門外だからみれないと断られてしまったのである。仕方なくいくつか動物病院を回って検査を引き受けてくれるところをようやくみつけた。実は、僕は犬や猫といったペットを飼ったことがなく、動物病院へ行くのは初めてだったのである。檻に入ったまま、車で動物病院までヌートリアを運び、診てもらうことになった。大きなねずみに動物病院に来ている飼い主さんたちは、みんな驚いているようだった。まず、獣医の先生にいろいろと質問をされた。「この子のお名前は?」「え、名前ですか。いや特にないんですけど。」「性別は?」「多分オスだと思うんですけど」そんなやりとりでカルテを一応作ってくれているようだった。予め持ってきていたフンと、ヌートリアの毛を少し抜いて寄生虫の検査をしてくれた。ヌートリアが途中で暴れ出さないがと心配していたが、ヌートリアは終始緊張をしていたようで、目を大きく開き、つついても全く動こうとはしなかった。結果はフンから鈎虫という寄生虫の卵が見つかったということだった。人に移ることはめったになく心配ないということだ。駆虫薬を出しておくのでエサに混ぜて食べさせるようにということだった。わりとすんなりと検査は終わった。帰りに、駆虫薬と診察券をもらった。動物病院にも診察券はあるんだあ。当たり前のようだけど、ヌートリアをペットとは思っていなかったのでなんとなく変な感じである。診察券のペットの名前の欄には、そのままヌートリア、そして飼い主には僕の名前、性別は特に調べたわけではないが、僕の一言でオスになっていた。

 平成元年10月7日。ついにまった文化祭が始まった。ヌートリアを捕まえた7月25日からじつに、2ヶ月半が経っていた。

 

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