そもそも、僕があの生き物にあったのは、中学2年生のときだった。

 「なあ、おれ、あの川ですっごい珍しいもの発見したんだけどさあ。」
 僕は中学時代、バスケットボール部に入っていた。部活の時間が終わり、着替えをしていると友達が話しかけてきた。
 「え、何?」
 「ま・ぼ・ろ・しの動物を見たんだって」
 「で、何見たの?」幻の動物なんて大げさな、僕はそう思って、てきとうな返事をした。
 「実は、・・・・・・・・・・。」僕の耳元で友達はささやいた。
 「え、本当?」
 「本当だって。疑うんか」
 友達はちょっとふくれた言い方をした。その仕草からは、とても嘘を付いているようには思えない。でも本当なのか?僕は信用していなかった。
 「じゃあ、今から見に行ってみようぜ」 

 友達が発見した、幻の動物とは何なのか。実は「カワウソ」を見たというのである。それも一度や二度じゃなく、何回も見ているというのだ。カワウソは、もう何年も前に日本では絶滅したと言われているのを僕もテレビで見て知っていた。カワウソがこんなに近くにいたとなったら、これはまさに大発見である。

 僕と友達は帰りに寄り道をし、カワウソを見たというポイントへ向かった。
 「ここ、ここ」
 着いたのは中学校から1キロと離れていない場所だった。
 こんなところに本当にいるのか?僕は疑いながらも、友達のあとを追ってアシをかき分け、川の水面が見える岸の近くへと進んだ。その川はまだ護岸工事がされておらず、川の両岸は体がすっぽりと隠れてしまう程のアシが群生していた。日が沈み始め、空はきれいな赤い夕焼けにつつまれていた。カワウソ、いるかもしれないな。何だか、そんな風に感じさせる夏の夕暮れだった。

 「おかしいなあ、いつもはいるはずなんだけど」
 友達の声にあせりが感じられた。ここへ来てもう30分くらい経っただろうか? 「ほんとに見たの?」とうとう僕は疑いの言葉を出した。日はもう半分以上沈み、夕焼けの上の方には、星が見え始めていた。川辺の虫を食べに、コウモリが1匹、2匹と集まってきている。友達は、僕の問いには答えず、ただ、じっと目を凝らして水面を見つめていた。

 「いた!」
 友達の突然の声をこらえた叫びが、僕の胸を躍らせた。
 「ほら、あそこ、あそこ」
 友達が指を指す方向を見ると水面がV字形に波を打っている。その先の方を見ると、水面からちょうどひょうたんを浮かせたように頭とお尻をみせた生き物がすーっと泳いでいるのである。僕らは、その悠々と泳ぐ姿に声も出せず、しばらくみとれていた。

 それから1ヶ月も経たないうちにこの生き物の正体が明らかとなった。
 「ヌートリア」
 皆さんも知っているだろうか?ネコを一回り大きくしたぐらいもある、巨大なネズミである。もともとは、南米原産のヤマラシの仲間だ。戦時中、満州やシベリアへ出兵する軍人の軍服の裏地にヌートリアの毛皮が使われた。戦後、毛皮の需要がなくなり、飼育場から逃げ出したヌートリアが各地で野生化したのだ。僕が生まれるずっと前から日本にいたヌートリア。夜行性でおとなしく、これまで人目に付かずひっそりと暮らしていたのだろう。ちょうどその頃、僕らと同じような人達がいたのか、新聞でヌートリアのことが大きく取り上げられたのである。

 

 僕は高校へ入り、いつしかヌートリアのことも忘れかけていた。
 高校3年の夏のある日、秋に行われる文化祭の出し物をみんなで相談していた。今年は受験も控えているということで、リーダーシップを取ってくれる人がなかなか出てこない。「劇は大変だから、研究発表にしよう」誰かがそんな発言をした。研究発表・・・。僕はその時なぜかヌートリアのことが頭にうかんだ。いつかあの不思議な動物について調べてみたいと思っていたからだ。結局、その日は話しがまとまらず、やりたいことを各自が紙に書いて提出することになった。僕はヌートリアの研究発表という案で提出した。

 その2日後、再び文化祭の出し物の話し合いが行われた。僕のヌートリアの案が黒板に書かれる。
 「ヌートリアって何?」クラスの一人が質問した。
 高校は街の中にあり、ヌートリアが住めそうな川は近くにない。僕は、ヌートリアがとっても大きいねずみで、僕の家の近くの川にいることを説明した。ヌートリアという見たことの無い生き物にみんなの興味が集まった。

 文化祭の出し物が決まった。「Rats(大ねずみ)が名古屋にやってきた!」 その当時流行っていた、劇団のフレーズを真似したものである。僕の案が採用され、文化祭までにヌートリアを捕まえて、実物を展示することに意見がまとまった。

 文化祭のクラス代表となった僕は、まず、3つの班を作った。捕獲班、情報班、宣伝班である。僕は捕獲班の一員となってヌートリアの観察を始めた。まずは、ヌートリアの写真を撮ろう。僕は友達と二人で、カメラを片手に昔カワウソを見たと思った川へと足を運んだ。

ヌートリアが通りそうな場所に、エサのリンゴを置いて草陰に身をひそめた。そのうち日は沈み、だんだんと辺りが暗くなってくる。中学のとき初めてヌートリアを見たときの思い出が今の景色と重なった。どれくらい経っただろうか。もうすっかりと暗くなり、あきらめて帰ろうと二人で話していたそのとき、
 「何か音が聞こえる」友達のその声と同時に、僕は懐中電灯の光をリンゴの置いてある方へ向けた。光の輪の中にヌートリアの姿が浮かんだ。すぐ目の前である。ヌートリアは手にリンゴを持ち、突然の光に驚いたのか硬直している。僕は慌ててカメラを構えたがもう遅かった。ジャブンと音をたて、ヌートリアは水に潜っていった。

 僕らは、そんなことを何回か繰り返した。なにしろ、相手は野生動物である。いつ行っても観察できる訳ではない。臆病で人が近づくとすぐに逃げてしまう。安いコンパクトカメラでは、ヌートリアが米粒のようにしか写らない。僕達は、これからの活動に不安を感じ始めていた。

 そんなある日、僕の元へ一本の電話が入った。
 「はい。え、本当ですか?」
 突然の吉報に衝撃を受けた。ヌートリアが捕まったというのである。それは、川の近くに住む農家の方からの電話だった。ヌートリアの情報を集めるために、以前、話しをしたことがある。僕ら捕獲班のメンバーは、物珍しさも手伝ってか、男女合わせて10人もの大人数でヌートリアを引き取りに行くこととなった。

 ここで、誤解のないようにしたい。後で知ったことなのだが、野生動物を勝手に捕まえることは法律で禁止されている。ヌートリアは、狩猟動物に指定されているが、捕獲していいのは、冬の限られた狩猟期間だけである。この時は夏でヌートリアの狩猟期間ではなかった。しかし、ここの農家の方は、ヌートリアから田畑が荒らされるということで、有害鳥獣駆除の特別な資格をもらっていた。もし、無断で捕まえれば、10万円以下の罰金、あるいは3年以下の懲役である。

 思いがけない収穫だった。ヌートリアは木の箱で作られた罠の中に入っていた。外からは見えないが、中からガタガタという音が聞こえ、ずっしりと重い。以前にもヌートリアを捕まえたことがあるそうで、そのときは箱のまま水に沈めて殺してしまったそうである。農業で生計を立てている人達にとっては、とても憎い存在なのだろう。僕達はヌートリアを逃がさないという約束で箱の罠に入ったヌートリアを譲ってもらうことになった。

 さて、ひとまず僕の家にヌートリアを運ぶと、次にそれを箱から出して移し代える入れ物が必要となった。何か適当な入れ物を探していると、小屋に文鳥の鳥かごが埃をかぶっているのを発見した。ちょっとヌートリアを入れるには小さいが、とりあえずはここに入れておこうと僕らの意見はまとまった。鳥かごの檻の部分を底から外し、箱からヌートリアを出して、鳥かごの底の部分に入れて、すぐに上から檻をかぶせるという寸法だ。いよいよ、ヌートリアとのご対面である。僕らは息をのんだ。箱罠のふたを開けてそおっと傾けると、突然中から、ヘビが出てきた!とほんとに僕は思った。黒く長く、鱗に覆われた物体、40センチほどあっただろうか。よく見ると細かい毛がまばらに生えている。次の瞬間、巨大な毛むくじゃらの体が、どさっと落ちた。それっ!すかさず上から檻をかぶせて、箱の中にいた生物をかごの中に閉じこめることに成功した。それは、紛れもなく巨大なネズミ、ヌートリアであった。ヘビに見えたのはその大きくて真っ黒な尻尾であった。それにしても、でかい。とりかごではとても窮屈そうである。しかし、まずは一安心である。僕らは、初めて間近に見るその生き物をまじまじと観察した。完全に脅えきったようで、じっと体を丸めおとなしくじっとしている。その尻尾は太くて長く、鱗のような皮膚に覆われて、グロテスクである。しかし、反面その顔は、ビーバーともウサギとも似て、可愛らしい。驚いたことに前歯が鮮やかなオレンジ色をしている。全身は焦げ茶色の硬い毛で覆われていたが、口のまわりの毛だけは白かった。

 僕らはヌートリアを手にした満足感と興奮で、なんとも言えずうれしかった。しばらくはこのままにしておこう、そう話していた次の瞬間、鳥かごが大きく音を立てた。ガシャガシャンッ!僕は、目を疑った。さっきまで文字どおり借りてきたネコのようにしていたヌートリアが突然暴れ出したのである。「あっ!」押さえる間もなく、鳥かごの屋根を壊し、ヌートリアが逃げ出したのである。僕らは、慌てて追いかけた。幸いなことにそれほど足は早くはない。すぐに捕まえられそうだ。一人が、ヌートリアに覆い被さろうとしたそのとき、ヌートリアが振り返り、牙(前歯)をむいた。ウーッ、シーッ。唸るような脅すような声で、あの鮮やかなオレンジの前歯をみせて威嚇してきたのである。先ほどの可愛らしい表情とはうって変わって、とても恐ろしい。あの前歯にやられたらひとたまりもないと思った。とても手を出せない。しかし、ヌートリアに逃げられたら僕らの研究発表が、台無しになってしまう。それに、逃がすなという農家の人との約束も破ることになる。

 どれくらいヌートリアと格闘しただろうか。結局、ネットを上から被せ、さらにポリバケツを上から被せてヌートリアの再捕獲に成功したのである。今度は逃げられないように中型犬用の檻を買ってきてそこに入れることにした。慎重に檻のつなぎ目を針金で固定した。これで、ほんとに一安心。僕らは、その夜、ヌートリア捕獲を祝って祝杯を上げた。

 その日から僕とヌートリアの本当の意味での付き合いが始まった。ヌートリアが捕まったのが予想に反して早すぎたため、文化祭の発表までの約2ヶ月半の間を僕の家で飼うことになったのである。

ヌートリアのビデオがこちらにあります。

僕が獣医を選んだ訳(中編)へ続く

お話のコーナーに戻る