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music
(2005/6/24新設)

nitchmoの思い出の曲

☆ヘンデル作曲 メサイア
はてな
オランダ室内合唱団
上の写真はモールアルトのレクイエムのアルバムジャケット。フランツ・ブリュヒェン指揮。 1993年、NHKでのライブ録音。ジュスマイヤー版。18世紀オーケストラ。 なぜ、タイトルと違うじゃないかって? それにはこんな話がありました。 まだソニーのヴィデオテープのベータが活躍していた頃の事。 コープマン指揮オランダ室内合唱団のメサイアの来日記念をテレビから録音した。 各パート6名ぐらいの混成合唱団。その頃、nitchmoはコーラスには興味がなかった。 おまけに、ヘンデルのメサイアといえば、ハレルヤコーラスしか知らなかった。 nitchmoの奥さんは子どもの頃から、レベルの高いコーラスグループで活躍しており、 どういうわけか、彼女から、ハレルヤコーラスの楽譜をもらった。 テノールを覚えようとしたが、テノールの高さは残念ながら出ない。 コーラスは自分には合わないとただそれだけで諦めた。 nitchmoは楽譜は読めるが、コーラスの発声等全くしたことがなかった。 テレビでたまたま放送があった時、何を見て楽しんでいたのか。 コープマンが指揮をしながら、チェンバロを弾いていたのでもなく、 コーラスのすばらしさ、ソリストのうまさを楽しんでいたのでもなかった。 実はバスのパートの一人に好きなタイプの人がいたのである。 その当時、後にnitchmoがメサイアの抜粋だがコーラスの部分を歌うなんて 誰が予想していただろう。 そしてそのテープは静かに引き出しの中に眠ることになった。 何年間眠っていただろう。 時代は変わり、世の中にはいつしかアマチュアの使うベータのテープは市販されなくなっており。 なぜか、VHSのテープにダヴィングしていたのだった。 おまけにベータに録音した時、nitchmoの家は新しい家を建築しているところで、 直ぐ近くの崩れそうな空家に仮住まいをしており、アンテナも十分でなく、 録音状態はひどいものであった。 それから月日は流れて、そうそう、10年経って、再び、オランダ室内合唱団のメンバーを見た。 フランツ・ブリュヒェン指揮 18世紀オーケストラでのモーツアルトのレクイエム。 残念ながら、僕のお気に入りの歌手はいなかった。そのかわり、10年前と同じメンバーもいた。 10年でこれほど変わるのかと思う程。しかし、歌は円熟味を増し。 メサイアにもどろう。 nitchmoは今から3年前まで約6年間、カトリック教会から発したコーラスグループに所属した。 テノールが出ないという理由からバスのパートになった。自分でいうのもなんだが、 声の質は悪い。低い音域は出ない。声量もない。 バスのパートは通奏低音とほぼ同じなので、歌うのが楽である。そして、 後の3声の土台になるのは心地いいものである。 そこで、メサイアに出会ったのだ。コーラスの曲の中から数曲の抜粋だったが、余りにもの曲の すばらしさに脱帽した。4声の絡み。 キリスト教は好きではない。 仏教も好きではない。 神道も好きではない。 いわゆる、宗教が好きではないのだ。いや、妄信が嫌いなのである。 キリストの生き方、仏陀の生き方は好きである。哲学には興味はある。 ただ、人間の力の及ばないところは思わず神の存在に手をあわせてしまう。 「主よ、憐れみたまえ!!」なんて糞食らえである。 なのに、「キリエ・エレイソン」なんて歌っているのだ。 単に和声に興味があるだけである。 しかし、歌っていると、そんな小さなこだわりなんて関係なく、いいものはいいのである。 教会、お寺、神社は、心安らぐ場所ではある。それは単に場所を意味するのであって、 政治的に利用されるものには興味は全くないし、否定する。 nitchmoが愛する人が今、入院してるが、検査結果を神に祈ることはしない。 無事でありますように、彼が強く生きていけますようにと、願うことはする。 メサイア、 隠れキリシタンの歴史、その力強さと、人々の歴史には共感する。 そう言う面で、nitchmoはメサイアを歌う。 フランシスコ・ザビエルを代表として、キリスト教という名で、世界制覇を成し遂げようと した、策略があったとしても、それも現実。個人的に人間が救われればいい。 nitchmoも日々、死を考える歳になってきた。 祈ることで歌うことで、精神的に不安が取り除かれ、ストレスが解消されるのなら、 メサイアも結構、本物だ。 ☆ベートーヴェン作曲 交響曲第7番
はてな
フルトヴェングラー
何歳か忘れてしまったけど、確か中学生の頃だったと思う。 夜一人で机の上にロウソクを灯し、ジッと流れ落ちるロウを眺めていた時、 ラジオから聴こえてきたのがこの曲で、確か第2楽章だったかな、静かな曲だった。 性能の良くないラジオだったけど、聞き入ってしまった。 余りにも単純な曲。同じ旋律をこれでもか、これでもかとくり返す。 人間味溢れる曲だった。まるで後に見たゴッホの絵みたい。 次の楽章から、今度は力強く、早く、しつこく、またまた同じ旋律が、 これでもか、これでもかというように聴こえて、まるでこれ以上の速さでは演奏できない程の。 曲を聴き終わるや否や、家を飛び出して家の近くのレコード店に走ったような、 いや、次の日に行ったのか良く覚えてない程、無我夢中で。 初めてレコードを手に入れた。 雑誌の付録に着いているソノシートじゃなく。 nitchmoの家は、国語辞典もない程の文化的環境がなかった。 そんな中に、そしてnitchmoの心の中に初めて1枚のレコードが文化を運んできた。 フルトヴェングラーの指揮だった。
家にあった卓上の小さなプレーヤー。 姉がどこかからもらってきたらしい。我が家では、そのプレーヤーからは音楽を聴いたことがなかった。 針はサファイア。ダイアモンドなんてそんな高いもの、あることを知らなかった。 サファイアという響きが、とてもモダンで、その頃、外国のように遠かった神戸が想像できた。 近くに住む朝鮮人の1歳年上の少女が「神戸は地球の反対側にあって、みんな逆さまに立っている。」 と教えてくれた。nitchmoはそれをずっと信じていた。 家の近くの山に登ると、遥か北の方の山が雨の後、ところどころ光っており、 それは「ダイアモンドの山だ」とも教えてくれて、それもずっと信じていた。 いつか、そのダイアモンドを手に入れることを信じて。 しかし、それはずっとずっと遠い、宇宙の果をも意味していたが。
毎日、nitchmoは中学生活を一人で過ごし、毎日、夕飯を「かまど」で炊いた。 これがnitchmoの青春であった。友だちは1本のロウソク、そして「かまど」の美しい炎。 後にその1本のロウソクがファラデーの「ロウソクの科学」に繋がっていくとは思っても見なかった頃。 毎日のように、ラジオを聴きながら、チボー家のジャック(チボー家の人々)の 朗読劇を聴くのが愉しみだった。 家が八百屋(食料品店)をしていたので、魚の入っていた木箱がいっぱいあり。 その魚の油が染みたのを割っては「かまど」にくべていた。
nitchmoの家の周りは朝鮮の人たちでいっぱいだった。 nitchmoの両親も今住んでいる土地の人間ではなく、流れ者だった。 豚小屋もいっぱいあって、日々、今では考えられない量の貧しい残飯が運ばれていく。 家の前の小川では、朝鮮の人たちが洗濯をする時に使う砧の音が聴こえ、 朝鮮語が響きあい、結婚、葬式のけたたましい騒ぎ。 八百屋をしていても買いにくるのは、在日の朝鮮の人たちと、九州の炭坑が潰れ、 製鉄所流行りし頃の労働者の長家の人々。 そのどの家もがnitchmoの家と同じように、自分の家の土地を持っている人はいなかった。 露骨な差別を見て育った。日本人は朝鮮人を差別し、同じ日本人を差別する。 そんな環境の中だったからこそ、世の中の矛盾が小さい頃から身に着いて育った。
そんな環境の中で、連続朗読劇を聴きながら、魚の油によって色が変わる美しい炎を見るのが 楽しみで、唯一の友だちだった。 一家団欒っていう世界を知らなかった。 でも一人が楽しくもあった。
そんな、平凡な毎日の中に、この曲が入ってきたのだった。 30cmLPがプレーヤーから、はみだしてしまう。そんな小さなみすぼらしいプレーヤー。 音だっていいはずがない。 それでも夢いっぱい、第7番が聴けた。 毎日毎日、聴きまくった。レコードがすり減ってしまうぐらい聴いた。 ある日、図書館でその曲のスコアを手に入れた。 そのスコアを見ながら、大きな夢が育っていった。 今もnitchmoはそのレコードを大切に持っている。 ずっと長いこと、nichmoの家にはその曲を初めて聴いた時、 溶けていくロウで机の表面が焼けただれた机がぽつんと残っていた。 その机は今はなくなり、しかし、nitchmoの心の中には今でもその跡が残っている。

☆シューマン作曲 クライスレリアーナ はてな クライスレリアーナ
ピアノ曲である。初めて聴いたのは大学生の頃。 かつて、一生の友だちともいえる友人にその頃出会った。 彼はマーラーとシューマンが好きだった。 その友人は神戸の高校を卒業し、nitchmoは同じ県の西の方にある田舎町で育った。 そして何かの縁で山陰の小さな大学で出会った。 大学の授業が講堂であり、その片隅には小型のピアノがあった。 授業が終わって、学生は講堂から出て行き、次の講議までの時間があったから、 nitchmoはピアノのふたをあけた。 そして、適当に即興で何かを弾いたらしい。それは曲というものではなく。 たまたま、彼がその講堂に残っていて、nitchmoがたたく鍵盤の音を聴いていた。 いいや、僕は彼に興味を持ってもらいたいと意識してピアノをたたいたのだった。 果たして、・・・・彼は話し掛けてきたのだった。 彼とnitchmoは同じクラスだった。入学してから彼と話をしたことは全くなかった。 僕達は現在の理学部の化学科の学生だった。 その当時、オープンリールからカセットへの転換期。 カセットデンスケは高嶺の花。 高級なオープンリールがステイタスシンボル的な時代。 各社はカセットテープのノイズリダクションに躍起になり。 週間FMを見ては、エアーチェックが楽しみだった。 コンポーネントステレオという言葉も初めて聴いた。 コストパフォーマンス、ワウフラッターという言葉も。 友人達の中には、今はなき長岡鉄男さんの本を読んでは自作のスピーカーを作り。 レコード芸術、月刊ステレオ等、数々の本が書店を飾った。 ジャズという大人の雰囲気を味わうために吸えないタバコをポケットに入れ。 エマーソン・レーク・アンドパーマーによる、ロックとクラシックの融合。 そんな頃、nitchmoはシューベルトの歌曲から「郵便馬車」に夢中になり、 シューマンの歌曲集「詩人の恋」に青春を重ねていった。 その後、「女の愛と生涯」に涙したこともあったかな。 「詩人の心に愛がめばえた。」で始まるFMのアナウンサーの語り。 1曲目「美しい5月に」。この曲は、nitchmoにとっては、ゲイというものを知らなかった頃、 初めて好きになった人が口ずさんでくれた曲でもある。余りにも馬鹿馬鹿しい政治的な理由で、 彼はnitchmoの元から去っていった。 こんなことで友情は終わるのか。馬鹿馬鹿しく、寂しくもあった。 シューマンについては、それから、「交響的練習曲」を聴き。 「パピオン」それは後にnitchmoとnitchmoの奥さんが出会うきっかけになったピアノ曲集。 折しもそんな時、シューマンとマーラーが好きな友人に大学の講堂で出会ったのだった。 その出合いは永遠に続くと思っていた。 彼とシューマンに着いて話し合い、曲を紹介してもらい。 そうこうするうちに、一方ではnitchmoは評論家としてのシューマンに出会う。 そして、クララ・シューマンの存在も知る。 nitchmoはマーラーのすばらしさがその当時分からなかった。 彼からある曲を紹介された。 「ベルベットイースター」 聴いてどう思うって聴かれた。 nitchmoは答えた。「コード進行が余りにも目立ち過ぎ。よく使われるコード進行。 さ程珍しいものでもなく。」nitchmoにとって何の印象もない曲だった。 果たして、 いつしかnitchmoはユーミンの追っ掛けになっていた。 クライスレリアーナ、なんという素敵な響きなんだろう。 最初、その響きから女の人の名前かと思っていた。 無味乾燥な名前だと分かっても、今でもその時の響きは忘れられない。 ピアニストといえば、ミシェル・ベロフ、サンソン・フランソワ。余りにも機械的で正確に見えて 旅情溢れる練習曲集の素敵なポリーニ。 そして、余りにも強烈なマルタ・アルヘリチ。そしてグールド。 リヒテル、ギレリスやルービンシュタインはnitchmoの時代の人ではなかった。 そして、あれから、30年という年が過ぎ行き、あの時の親友はもういない。 25年程前に、nitchmoと共通する友人達の前から、忽然と姿を消した。 どこに行ったのか、死んだのか、不明のまま。 もし生きているのなら、もう一度、シューマンを一緒に味わいたい。 なんといってもnitchmoのありのままの姿を見てもらいたい。 変わった取り合わせであるがベルベットイースターとクライスレリアーナを聴く度に。

☆ショパン作曲 バラード第1番 はてな gazo
大学生の時にFMから録音した僕にとって、宝物のカセットテープ。 ショパンのピアノコンチェルト第2番(ピアノ:アルヘリチ、指揮:ロストロポーヴィッチ) バラード第1番ト短調作品23のミケランジェリ、バラード第2番のアシュケナージ、 バラード第3番のコクトー、バラード第4番のルービンシュタイン。 作品25の練習曲の中から3曲、1851年、パリで作られたエラールのピアノを使用 マーサ・ゴールドシュテインによる演奏。これがなかなかいいんですよ。 その後に練習曲集作品10のポリーニ。この組み合わせが最高。 松江FM放送だったかな。 そしてもう1本のカセットテープ。 ショパン作曲ピアノコンチェルト第1番 演奏:マルタ・アルヘリチ そしてマルタのショパンコンクールの実況録音版:指揮はリトルドドビツキー 話が飛んでしまったので、バラード第1番にかえろう。 折しも、nitchmoの親友が彼が運営している グレンバラ(現代インド)美術館にステレオのセットを設置。 その音響効果の測定の為と、彼のお気に入りの曲でもあったのが この曲である。吹き抜けの3階立ての高い空間で奏でる曲。 彼のお気に入りのピアニストは誰だったのか。 僕も気に入りの演奏だった。 nitchmoはいつも狭い狭い部屋でラジカセで聴いている。 同じ曲を他のピアニストが弾くと同じ曲に聴こえない。 ミケランジェリのバラード第1番。僕にとって最高の演奏。 映画「戦場のピアニスト」では、 シュピルマンがドイツ将校ホーゼンフェルトの求めに応じて 弾いた曲。シュピルマンの原作によれば、実際にはショパンの 「ノクターン第20番嬰ハ短調(遺作)」だったが。 nitchmoがこの曲に出会ったのは大学生の時であったのだが、その時は感動しなかった。 心の中にグーッと入ってきたのは5年ぐらい前になるのだろうか。 バラードの4曲とも好きなのであるし、4曲を一連の作品として聴いている。 それでもなぜか第1番に惹かれてしまう。 映画の中でこの曲が演奏された時には吃驚した。映画の中ではこの曲は 相応しくなかったからである。命絶え絶えで体力もないピアニストがこの曲を 弾けるはずがないなんてね。でも映画の中で好きな曲を急に弾かれると嬉しいもんだが。
☆ビートルズ作曲 ホワイトアルバム
☆サティ作曲 ジムノペディ
☆バッハ作曲 平均率
☆ドボルザーク作曲 チェロ協奏曲
☆ユーミン作曲 経る時
☆ドビッシー作曲 夢想曲


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