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occasional thoughts

Nitchmoの日記 3 (2003.12.09~2004.01.01)

gazo

2004.01.01(Thu)
上の写真は、俳優の「Roy Chiao」(ロイ・チャオ)。Nitchmoのお気に入りです。
彼は数年前に亡くなりました。
彼の代表作でもあり、Nitchmoのベスト3に入る映画は「女人四十」(summer snow)。

あけましておめでとうございます。
朝日新聞の2003.12.31付けの天声人語を紹介しておきます。
これをお世話になったみなさんへお年玉として。

「映画の中に軍服姿を全く登場させなかった」
と小津安二郎作品について語ったのは吉田喜重監督だった。
生誕100年記念のシンポジウムでのことだ。
軍服が街にあふれていた時代にも、画面ではひとりの軍人も歩かせていない、と。
1年を振り返りながら過去100年のことを思う機会が多かった。
「蟹工船はどれもボロ船だった」と働く人々を描いた小林多喜二は70年前、拷問死した。
同い年の作家の死を小津はどう受けとめただろうか。

「放浪記」の林芙美子も1903年生まれだ。
彼女は「弱き者よ汝(なんじ)の名は貧乏なり」といいつつ、
貧困と放浪のなかでたくましく生き抜いた。
夭折(ようせつ)した童謡詩人の金子みすゞ、詩人の草野心平と小野十三郎、
前衛芸術の滝口修造、版画家の棟方志功、作家の深田久弥らが今年生誕100年を迎えた。

アイヌの知里(ちり)幸恵と沖縄出身の詩人山之口貘(ばく)とを忘れるわけにはいかない。

19歳で亡くなった知里は、アイヌの伝承詩を美しい日本語に訳し、遺作とした。
「おお亡びゆくもの……それは今の私たちの名、なんという悲しい名前を私たちは持っているのでしょう」
と詠嘆しつつ(『アイヌ神謡集』岩波文庫)
山之口は極貧の生活のなかで詩を書き続けた。
「蛇皮線の島/泡盛の島/詩の島/踊りの島/唐手の島」の沖縄に
「こんどはどこへ行くというのだ」
と呼びかけたのが51年夏のことだった(『山之口貘詩文集』講談社文芸文庫)

同じ年に生まれ、さまざまな人生を送り、多彩な表現をしてきた彼らの声が、
2003年の日本列島に響いた。

gazo

2003.12.31(Wed)
2003年の終わり。 地球が太陽の周りを1周しただけ。 とはいえ、季節が変わり、大晦日・初詣等の社会的風習で人々は動き。 いつしか、それにも適当に遊ぶ事ができるようになり。 なにかの節目で自分を振り返る。 今日、山陰のある県で買ったもの。月刊天文ガイド2004January。 付録が欲しくてね。それはAkira Fujii 2004 Constellation Calendar。 今年1年間を振り返ってみると。 10月30日ウェブサイトを公開した。 素敵な友人たち、そしてかけがえのない友に巡り合えた。 おかしいものをおかしいと言いたい。 これからもよろしくね。

gazo

2003.12.24(Wed)
今回初めてこのウェブサイトのテーマとは関係ない独りごと。 メリー・クリスマス イヴ この歳になってもクリスマスが嬉しくて。 昨日、一足早い、イヴイヴ。 大切な友人の一人が、フルマラソンに参加して、その応援に。 みんな独りひとり、老若男女、目標に向かって楽しみながらの完走。ただもう、感動、感動。 何人の人に拍手を送っただろう。 そして彼の慰労の為に三ノ宮近くにある二宮温泉。 340円なり。れっきとした温泉なんで〜〜す。 神戸温泉めぐりを企画しましょう。一緒に裸の付き合いを。 お風呂で疲れを癒して、(Nitchmoは応援だけで運動していないけど)慰労会のイヴイヴ。 ルミナリエの流れに逆らって三ノ宮を歩く。 そんなひとときを過ごせる事がとてもいいプレゼント。 今年も一緒にイヴを過ごせる相手がいないので、 今日もまた家族でイヴ。(と言っても子どもはみんな大きいので、たまたま家にいるものだけで。) ロウソクに灯をともして、戦争のない世の中を祈りましょう。 クリスマスの思い出にはこんな事がありました。 子どもの頃、イヴの夜。寝る前に靴下を吊るした。 朝起きると、靴下が吊るしたままだった。 悲しかったはずなのに、Nitchmoは、その時から、サンタはいつか必ず来ると信じた。 今も信じているのです。 ユーミンは「恋人がサンタクロース」と歌い。 Nitchmoは「・・・がサンタクロース」って歌ってます。 おりしも 伏見憲明さんが文芸賞をとったそうな。 同性愛者描いた小説 「魔女の息子」 と朝日新聞は記事に出てました。 ずっと彼のウェブサイトとリンクしたかったのに、未だにウェブサイトに繋がらない。 早く繋がるようにサンタさんに頼んじゃおう。


gazo

2003.12.19(Fri)
今までマイノリティ−の中で、ゲイ、在日コリアンを中心に、このウェブサイトは進んできました。 今日は「アイヌ」について、Nitchmoの徒然なるままに。 その前に、Nitchmoの本名が公表できない理由。 仕事の関係、既婚、家族、都会じゃない所に住んでいるという事。 ところがNitchmoの場合、自分ではバイセクシュアルのゲイと言う事実で悩んだ事はない。 ただし、カムアウトしたいと言う願いで苦しんだ事はある。 そして、人前で、男同士で手を繋いで歩きたいというのはいつも思っている。 むしろ、女性も男性も愛せる自分が嬉しかった。 女性を愛せるのもゲイでない人達と同じように自然に訪れ、 結婚して子どもができてからゲイの活動を知ったわけ。 でも、一部の人達にはカミングアウトはできているものの、 まだまだ、クローゼットでありまして。 Nitchmoとアイヌとの出会いについては、話が長くなるので割愛。 北海道旧土人保護法(明治32年3月2日法律第27号) それは同化政策そのもの。 この法律は1997年7月1日、 「アイヌ文化の振興並びにアイヌの伝統等に関する知識の普及及び啓発に関する法律」の 施行に伴い廃止されました。 なんと、アイヌは「土人」という名称で呼ばれていたんですよ。 そして、なんとなんと、今から6年前までこの法律は続いていたんです。 まあ、今でも「日本人は単一民族でありまして」なんて言う政治家もいるんだから・・・。 アイヌに関して、まだまだ差別は根強く残っている。


gazo

2003.12.18(Thu)
この前のDiaryに紹介した、在日朝鮮人の人で韓国語講座の連絡をしてくれた人の事を書きましょう。 彼の仕事は建設業。名刺を2種類持っています。 ここまで書くと何の事かパッと分かる人も多いと思います。 そんなんです。 仕事の関係で、朝鮮名が使えないのです。 だから日本人との仕事の付き合いは日本名を書いた名刺。 普段は使用しない名前なんですよ。 創氏改名と同じじゃないか。 活動家の彼でも、 日本で生きていくためにはこんな事を余儀無くされているんです。 そして不可解なのは、まだまだありまして。 彼はなんとなんと、 元韓国大統領の「金大中」氏が日本に連れられてきた(拉致と言うのだろうか)事件で、 「金大中」氏を支援していたグループで活動していたので、 韓国政府から目をつけられ(日本政府からかな?!)、韓国入国拒否の対象。 民主化を求めて活動している人が、マークされてしまうのが現実。 ところが今年の夏頃に彼からメールが届いて、 2003年、夏。 「やっと入国できるようになった」と。 「金大中」氏が大統領だった間も、彼を支援していると言うだけで入国拒否の対象。 これ又、事実は小説よりも・・・ 一方、Nitchmoは、かつて2回、朝鮮民主主義人民共和国に行きました。 観光ではない目的で北朝鮮を訪問したら、 そんなに遠くないある時期まで、私服の警官が家の周りにしばらく張り付いていたもんね。 だから、心配性のNitchmoは今まで韓国に行くのを恐れており。 かつて指紋押捺撤廃の支援活動や集会に参加していたら、 毎回のように私服の警官が張り付いていたもんね。 参加者の車のナンバーを手帳に記録していたし。 なんにもしない平凡な一市民のNitchmoですら、ブラックリストに載っているのかな。 といいながら、来年、韓国に行く予定。 映画の自主上映会をしている友人達が、姉妹都市の映画監督と交流し、 お互いの市から後援費を取り付けるために行くので、ついていく。 それを機会に、朝鮮通信使の足跡を訪ねて出発点のソウルへ。と、同時に対馬もね。 とはいえ、実現できるかは友人達の動向にかかっているけれど。 ぜひ行きたいと思っているのです。 そして民間の地道な交流の積み重ねが世界を変える。


gazo

2003.12.16(Tue)
Diary等の更新をまだしないの?って言われた。とても嬉しい事。 このウェブサイトは、友人たち15人程に教えているだけ。 僕を暖かく見守ってくれている人にだけ。 僕がカムアウトしていない友人には教えていない。 だから、ゲイでない友人や、ゲイであっても、 それほど僕の事を深く見つめてくれる人ではない人に対しては、 「知り合いの人から紹介してもらったのだけど、こんなウェブサイトがあるよ〜〜!!」 って、芝居をうたねばならない。そんなのしんどいから、今はしたくもない。 でもこれでは外に対して広がっていかないね。 悲しい事に、今の所、今まで人権について、一緒に活動していた人達にも この前のDiaryにも書いた、在日外国人の人達にも自分の姿をあかせない。 情けない事に、今の所、実名やNitchmoが誰か分かってしまう内容は書けない。 平野さん達のように、家族、親類、仕事場でも分かってしまってもいい、そんな強い人間に早くなりたい。 Nitchmoのウェブサイトの中にhuman rightsがある。その中に、朝鮮通信使の事を書いている。 素敵な友人の一人が、ウェブサイトを読んでくれて、朝鮮通信使に関心を持って下さった。 思わず、久しぶりに熱が入ってしまい、Nitchmoと朝鮮通信使との関わりを語ってしまった。嬉しいな。 一方、在日朝鮮人で、Nitchmoがまだカムアウトしていない大切な友人がいる。 彼からメールが来て、「もうすぐ、韓国語講座を開くからね。」 彼は朝鮮の統一を切に願っている活動家。 Nitchmoは彼に質問。 「なんで韓国語?朝鮮語じゃなく?」・・・いろいろ問答を交わして、(略)・・・ 「朝鮮が統一されたら、どんな名前になるの?言葉は?」 韓国語とはソウル標準語 朝鮮語とはピョンヤン標準語 「むしろ朝鮮語を覚えたい。同時に両方を覚えたい。」・・・いろいろ問答を交わして、(略)・・・ 英語では「Korean(高麗語)」または「Korean Language」となるでしょうと言ってた。 フランス語も始めたばかりなのに〜〜〜〜 朝鮮語を勉強しようと思いながら、今までずるずると来たのだから、やっとチャンス到来。 何年かかっても、いいか。


gazo

2003.12.10(Wed)
自衛隊イラク派遣決定 毎日新聞朝刊の余録に「派遣といえば、まるで遣唐使でも出すような穏やかな感じがするが、 そんな言葉のあやは日本人以外には通用しない。 日本はイラク派兵(出兵)を決断したというのが世界の常識だろう。」 日本国民の選挙で選ばれた人たちにより、決定されたのであるから、 国民の同意を得た事であり、理解されているとなるのです。 イラク派遣決定の責任は誰? 少なくとも、派遣に賛成した議員に投票した人たちでしょう。 Nitchmoは派遣に賛成する人たちには投票しませんでした。 でもNitchmoにも責任はあるのです。 今まで平和に対してどのような運動をしてきたのか。何もしなくては平和は維持できない。 それではこのイラク派遣決定を覆す方法を考えていきましょう。 しなやかに、したたかに。 そして別の話題。 大阪人権博物館で「性的少数者の現在」という企画展を見てきたと、この前に書きました。 そのパネル展示の中で凄く考えさせられたのは、 「僕は被差別部落出身です。そしてゲイです。」 彼の苦しみがこう書いてありました。 「まだまだ部落差別は残っている現状ですが、特に結婚差別が1番の目に見えた課題です。 結婚差別があるということは、同時に、結婚するのが当たり前だと考える人が多い。 それも異性との結婚。だからより自分がゲイであることをカムアウトするのが難しい。」 これを読んだ時にすぐに思い出したのは、Nitchmoが、在日コリアンの人たちと交流していた時の事。 彼等にはNitchmoは自分がゲイであることをカムアウトしていない。 彼等にとっても、結婚はとても大切であり(民族的に血縁を重んじる傾向が強い)、 結婚しない人や同性愛の人を凄くバカにした発言をする人が多かった事だ。 当然ながら、すべての在日コリアンの人たちがそうであるはずもないが、 在日コリアンの人権を考えていく人たちの中にも、 性的マイノリティ−の人への関心度はとても低かった人が多かった。 その中にNitchmoは居て、その偏見に対して何も言えなかった自分を思い出す。 今度彼等に会って、そのような偏見を持った人が居たら、ほっておけるだろうか。 「僕の友人の中にゲイの人達がいるけど・・・・その人達に悪いよ。」 な〜〜んて、自分はゲイでない事をアピールするような、言い方をしてしまいそう。 まだまだ情けないNitchmoです。


gazo

2003.12.09(Tue)
12月7日大阪人権博物館(リバティーおおさか)で、演劇集団「創造」大阪公演の「人類館」を見てきました。 当日券で良いだろうと思って行くと、なんとなんと立ち見。凄い。 受付でもらったパンフレットを読むと、 「演劇集団『創造』より皆さまヘ。 ・・・沖縄という一素材を通して、過去、現在、そして未来を考えるきっかけとなれば幸いです。」 「作・演出 『知念正真さん』より。 なぜ、今「人類館」なのか。 初演から27年、時代は大きく変わったというのに、なぜ、今?という質問に・・・ 100年たっても本質的なものは変わっていない・・・」 「『大阪人権博物館』より。 ・・・アジアにおける日本人の民族観、優越感、植民地意識を示した人類館事件(今から100年前の1903年)は '日本'という、国家と自らの位置を意識させることとなったのです。・・・」 「『演劇'人類館'上演を実現させたい会』より。 ・・・演劇'人類館'は、沖縄ブームの興行芝居でも人権啓発芝居でもありません。 沖縄やヤマトの歴史を自分達の生きる現場として振り返り、それぞれが見つめる沖縄やヤマトの姿を自分で感じ、 笑い、考える空間です。・・・」 というわけで、Nitchmoも考える空間を楽しんできました。 沖縄を通して、人類館を描いた作品でした。今後、同じように陳列された、アイヌを初め、様々な角度から、 この人類館事件を描いた作品が生まれてくると良いですね。 「それはNitchmoさん、あなたの仕事ですよ。」なんて神の声が聞こえてきそうです。 そして、再び、大阪人権博物館を見学してきました。何度行っても、素敵です。 ぜひ、みなさん、足を運んで下さいね。 おりしも、今、大阪人権博物館で開催されている企画展、 「性的少数者の現在」〜性のありようを問い直す〜も見てきました。 パネル展示とは言え、こういう企画展が開かれているだけでも凄いと思う。 博物館の書籍等の売り場では、パネル展示の中の人たちやリバティーセミナーで活躍されている人たちの 書籍等が販売されていました。
Nitchmoがリンクをさせて頂いている「平野さん」や「日比野」さんたちのパネルや書籍もありますよ。

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