季節の推移はなんとも素早い。ここ東京周辺では、サクラが散ったばかりなのにもう新緑の季節。ケヤキ、アカシデ、クヌギ、コナラ・・・。冬の間丸裸だったこれらの木々が一斉に笑い出す。初めはクスクスと忍び笑い。そしてケタケタと賑やかになったかと思うと、次の瞬間さざめきはすっとフェード・アウトしていく。パステルカラーの新葉はたちまち深緑へとその色合いを変える。もう初夏の気分。
郊外の畑。採り残しのハクサイ、コマツナ、ダイコンなど、菜の花が満開だ。すぐそばにジャガイモの芽が伸びている。真っ青なオオムギはもう出穂しているぞ。おやおや。
庭先に出る。すっくと立ったエンドウに実が着き始めた。秋遅く定植したキャベツはしっかりと球を結んでいる。その上をモンシロチョウがせわしなく飛び、盛んに卵を産み付ける。適当にしてくれよ・・・。
季節の移ろいに素直に生きる植物や動物たちの生の饗宴。それは人々に歓びや安らぎ、そして何よりも生きる力を与えてくれる。その舞台が、林地、農地、そして庭だ。けれども我々の身の回りからこれらの空間がどんどん切り詰められていく。このような現実はなぜ起こるのか、それを食い止めるにはどうしたらいいのか。今号はそれをあらためて考えてみたい。
都市の内部やその周辺の農地。まずその役割を考えよう。
農地は何よりも食料生産の場である。消費することだけに堕している都市が、生産性、自給性を取り戻すには、農地の存在は欠かすことができない。都市は今、自らが必要とする食料を遠隔の地からの大量輸送に頼っている。そのことでどれだけエネルギーを浪費し、環境を汚しているのか。このことを都市に暮らす人々は深刻に考えなければならない。
農地は都市の環境保全にも重要な役割を果たす。雨がアスファルトの上に降れば、それはたちまちのうちに排水管に流れ入るだけだ。けれども農地に降った雨水は土に浸透し、地下水を涵養してくれる。土に浸透した水の一部は空中に蒸発し、その時周囲から熱を奪う。ある空間からの熱(エネルギー)の放散は、このような水の循環により起こる。その水循環の要は土だ。降り注ぐ太陽の光と、都市自身が発生する様々な廃熱(車、エアコン・・・)により、今都市空間は局地的に熱くなっている。このヒートアイランド現象は、都市に土が広がれば和らぐ。
光溢れる土の表面。植物はそのエネルギーを利用し有機物を合成する。しかし土の中は闇の世界だ。そこでは無数の微生物がうごめき、絶えず物質を分解している。土は合成の場であると同時に分解の場であることも忘れてはいけない。農地に有機物を投入する。それらは土の中の微生物の力により無機物に分解され、植物の栄養となる。都市からは日々膨大な有機物(し尿、食べ残し、剪定くず、落ち葉・・・)が排出され、人々はその処理で頭を悩ます。しかしこれらの有機物が堆肥化され農地に還元されれば、食料生産増進と廃棄物減量化という二つの都市問題は同時に解決される。
農地への雨水の浸透。農地は大雨時における洪水防止の役割を果たす。この効果は水を貯留できる水田で特に大きい。今、温暖化で気象が異常化し、局地的な豪雨の頻発が懸念されている。アスファルトに覆われただけの都市空間は、その時たちまち水が溢れ、水没する危険がある。95年に起きた神戸大震災の教訓の一つは、火災発生時、街中の小さな公園でも延焼防止効果があったということだ。都市空間に農地が存在していれば、その効果はさらに大きくなる。このように農地は優れた防災空間でもある。
戦後の高度成長期以降、都市内の農地は一貫して邪魔者扱いされてきた。その受難の歴史を探ってみよう。
それは1968年に始まる。そもそも農地は戦後すぐに制定された農地法により、その開発行為が厳しく規制されている。しかしこの年の「都市計画法」改正により、市街化区域に編入された農地は農地法の規制からはずされることになった。さらに翌年69年の「農業振興地域の整備に関する法律(農振法)」が追い討ちをかけた。この法律で、市街化区域の農地は農業振興の対象からはずされる。都市内の農地はその管轄が農林行政から建設行政に移され、明確に開発の対象と宣言されたのである。都市には農地は似つかわしくない、邪魔だ・・・。これ以降、農地は都市空間から急速に姿を消す。その跡はアスファルトやコンクリートで覆われた。
ついで農地所有者には、宅地並み課税の攻撃が仕掛けられる。零細な都市農地からの農業収入はささやかなものでしかない。高額な税の取り立ては農業を廃業しろという脅しを意味していた。この攻撃に対し都市農民たちは執拗な反対運動を繰り広げる。東京都下の農民たちは決起し、トラクターで市中デモをした。70年代から80年代にかけてのことである。
一方、都市のやみくもの膨張と農業破壊が進行する中で、自治体や市民の中には都市と農業の新しい共存を考える機運が芽生え初めていた。その先駆的なものとして、80年代の東京・多摩地域における“農のあるまちづくり”を標榜する様々な市民的活動がある(これについては、あらためて紹介することにしたい)。
こうした動きの一つの成果として、1991年「生産緑地法」が改正される。これにより三大都市圏(東京・名古屋・大阪)の市街化区域内の農地は一定の条件を満たせば「生産緑地」として登録され、相続時の税負担が猶予されることになった。都市内で農地の存在があらためて“合法化”されたのだ。
しかしこの生産緑地制度には様々な不備がある。生産緑地として登録されるためには、所有者自身による終身営農という条件が課せられている。農地所有者からすればこのハードルはかなり高い。また農家の庭先、林地、畜舎用地などの農業用地は原則として生産緑地として認められない。農業は農地だけで行われるものではない。関連する様々な土地、施設が一体となって営農は完結する。農地に関連する土地も生産緑地として認められなければならない。また生産緑地制度は三大都市圏だけに限定され、他の都市域における農地の保全策は依然としてほとんど考えられていない。札幌市などの農地保全を考える場合、この問題は重要である。
次に林地について考えてみよう。
林地も農地と同様、都市にとって大切な空間である。現在都市周辺にある林地のほとんどは、かつては農業用地として利用されていた。落ち葉をさらい堆肥にする。間伐材を薪や木炭などの燃料、シイタケ栽培のホダ木などに利用する。野草を摘む。家畜を放つ。林地は防風林ともなる。ところが高度成長期以降、化学肥料の普及、燃料革命(石油!)、それに農業そのものの衰退により、今やこれらの林地の価値は見失われようとしている。荒れた林地は火災や犯罪の温床として、すっかり邪魔者扱いだ。
主に一年生の作物を栽培する農地に比べ、永年生の樹木が生活する林地は生態学的により複雑な生物相を形成している。鳥、昆虫、林床植物、土壌微生物・・・。多くの生物の棲家(ビオトープ)である林地は、都市空間に与える環境上、景観上の価値は農地よりも高い。また都市での農業再生を考ると、林地が持つ農的価値の再評価は欠かすことができない。
都市林地の保全については、「都市緑地法」(旧都市緑地保全法・2005年改正)という法律がある。その中で都市内部の小規模な林地保全については、「市民緑地制度」が定められている。「市民緑地」に登録されるための面積要件は300平方メートル以上。必ずしも樹林地である必要はなく、原っぱでもよい。その判断は自治体が行うという。所有者と自治体との契約により「市民緑地」として登録されると、そこは一般市民に公開され(ベンチなどが設えられる)、維持管理は自治体が行うことになる(自治体は市民グループなどにその管理を委託することもできる)。「市民緑地」になると、相続発生時の税負担については土地評価が2割軽減される。しかし現実の大都市における土地評価額は極めて高額だ。この程度の軽減措置では所有者にとって充分なメリットにならないのではないか。農地の「生産緑地制度」並みに、相続税全面猶予をうたう「環境緑地制度」のようなものが是非必要だ。
たとえば東京の世田谷あたり。かつてこの辺りは広い敷地を持つ住宅が多かった。しかし最近では敷地がどんどん狭くなっている。庭付きの家が減っているのだ。恐らく相続時、高額な相続税を支払えないため敷地を分割し、その一部を売却してしまうことが原因なのだろう。広い庭があった敷地にマンションが建ち並ぶ。樹齢何十年などという大木が次々と切られていく。
潰されていく「庭」を保全する手立てはないのだろうか。こう言うと、金持ちのお屋敷の保全などに手を貸すつもりはない、という声も聞こえてきそうである。しかしかつて地価が安い時にたまたま手に入れた宅地が、その後の社会情勢の変化により地価が急騰し、その結果“高額な資産”を持つはめになったという人は少なくないだろう。そのため、相続時に高額な相続税を支払わなければならなくなり、泣く泣く土地を分割する。とすれば、彼らもまたこれまでの都市政策の犠牲者というべきだ。
東京都はヒートアイランド現象を防止する方策の一つとして「屋上緑化条例」を策定した(2001年)。敷地面積1000平方メートル以上の民間施設と、250平方メートル以上の公共施設を対象に、ビルを新築したり改築したりする場合屋上緑化を義務付けたのである。屋上緑化のアイディアは悪くないとしても、まず今ある“土”を減らさない努力こそ優先すべきではないかと強く思う。「庭」は都市空間内部のミニ・ビオトープである。「庭」がたとえ個人の資産だとしても、それを社会的に担保しようと提案する根拠はここにある。
「市民緑地制度」による「庭」の保全はどうか。少し広い「庭」ならば面積要件は満たす。しかし自分の「庭」を公共に無制限で開放はすることには強い抵抗があるだろう(そう思わない人は、ぜひこの制度活用にチャレンジしてみてはどうか)。「改正都市緑地法」では「地区計画等の活用による緑地保全制度」が新設された。これは屋敷林や社寺林など身近な小規模緑地を、地区計画を利用して現状凍結的に保全する制度である。しかし個人の「庭」の保全を考えた場合、この制度も必ずしも有効ではない。まず地区計画を策定しなければならないし、何よりもこの制度では相続税の猶予が認められないからだ。
「庭」で自給的な野菜作りなどが実践されている場合、その実践の継続を支持する社会的方策があっていい。“農的くらし”という都市住民の新しいライフスタイルの推奨を目的とするものだ。農地が「生産緑地」、林地が「環境緑地」とすれば、「庭」は「生活緑地」と呼ぶにふさわしい。「生活緑地」という新しい概念を提唱すると同時に、その保全/増設への議論が広く起こることを強く期待したい。
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