「好きな人と一緒に暮らすのと、好きな人を想いながら別な人と暮らすのと、どっちが幸せなんだろうね?」



先日に続いてセカチューより。
答えは私にも分からない。
だがそういう状況を考えてみた。
最近、(エセ)詩人に転向しようかと思っている、想像力豊かなkです(笑)。
-------------------------
最悪の予想が的中するとは、神はなんと残酷なんだろう。

メール受信後、やや呆然としてに外出する。プリントアウトとペンを持ち。
行き先は足が勝手に決めてくれた。あの橋だ。
そう、郷土の詩人が題材としたあの橋。
ある意味で、こちらとあちらの境界。
詩人が身投げしようとして、「おめおめと生きながらへ」た辺り。
橋の中央、詩碑があるベンチに、道路に背を向けて座り、ときおりペンを走らす。
わたしはこれから身投げするつもりなのではない。
勇気(もっとも、そんなのは勇気ではありはしない)がないからではなく、
ひとをそのような行為に駆り立てらる絶望をいまだ知らないからにすぎない。
仮にわたしの姿を見かけて勘違いするドライバーがいたなら、
それこそご愁傷様だと意識の一部は醒めていた。

川は昨夜の雷雨のせいで濁っていた。
ただし水位はそれほどではない。

次に向かったのは、これも自然な流れで、あの公園だ。
松林を抜け、いつものカフェに向かう。
しかし定休日と知る。

わたしの嫌いなもの、
カフェの定休日、
人の気も知らず、アホーと頭上から嘲笑するカラス。
いや、きっと知っていて馬鹿にしているのだ。カラスとはそういうやつだ。

それでも公園入口にある、友を呼ぶ姿をした子供の銅像に
先日まではなかった、野球帽と子供用のグラブが被せてあるのを見て、
おもわず笑みがこぼれる。「君も野球が好きなのかい?」
大丈夫。笑えるうちは大丈夫。

滝のような汗が顔を伝うころ、涙もあふれるかと思っていたが、一滴も出なかった。
涙を流すほど純粋ではなかったし、自己憐憫に浸るほど事態に酔ってもいなかったから。

自分は何も持っていないと思っていたが、それは間違いだった。
自由、未来。
そればかりか確かな教育、節を曲げないですむだけの経済力。
これはすべてを持っているのと同義ではないか?
なぜ人は、わたしは、いま手にしているもので満足できないのか?

わたしは運命を信じない。神も信じない。
「神」なるものよ、お前は残酷で容赦がない。
わたしは叛逆する。自由意思こそ人の証し。

そんなわたしの思いとは無関係に歩数計は8500歩を数えていた。
---------------------
「世界で..一番美しいものを見た..世界で..一番やさしい音を聞いた..世界ってのは抱きしめてくれる人で..その腕の中はあったかくて..」←これもセカチュー

ね、ね、切なくなった!? ダメかな..あっそ。
それはともかく『世界の中心で、愛をさけぶ』のタイトルの本歌であろうSF小説、ハーラン・エリスンの『世界の中心で愛を叫んだけもの』はセカチューと内容はまったく無関係ですからね〜
あちらのほうはもう暴力、暴力!という感じのサイバーパンク(「ブレード・ランナー」みたいな感じ?)です。短編ですが、何度読んでもわけ分からん(笑)。


Posted: 水 - 8 月 23, 2006 at 12:06 午前