作業中
・先日先輩でもあるふるい友人と長電話していると、しきりに、「おれはお前のような”貧乏神”とつきあったおかげで人生が狂ってしまった。」と繰り返していう。繰り返されるとこたえる。ぐぐっときたが、なんとかきりかえした。「あのな、もしこの島国の古代人が偉かったとしたら、それはな”貧乏”にも”神”をつけて呼んだとこだよ。」
・谷川健一さんが「柳田国夫と折口信夫」岩波書店に折口学との出会いを以下のように書いていた。
戦争中は、堀辰雄の書いたものの影響で、大岡山書店版黒い表紙の『古代史研究』を、図書館からかり出して小脇にかかえてたりしましたが、内容は正直のところよくわかりませんでした。
たとえば、人という言葉にしても、たんにマン・ウーマンではなく、神から使わされた宿命を負ったもの、そうした意味付けなどは、沖縄でユタやツカさやノロなどを見ておりますと何か感覚的な共感を覚えますね。・・・・
私は、カトリックの神に近づいて絶望した人間です。ですから、つねに神とは何かが頭から去らないわけですね。イタリアでは、千年も前に殉教した聖人の血が瓶に入れて教会に備えてある、それが今もって時たま沸騰する奇跡をあらわすというようなことをいうのですね。こうした、ヨーロッパ的な世界に対応する日本の神、それは何か、という答えをなんとか出したいわけです。私が民俗学に関心を持ちましたのは、人生も後半ですから、問題をしぼらなきゃならない。神の問題にだけ答えを出したい。そうなると、どうしても古代にさかのぼらざるを得なくなってまいります。
そうしたときに、神の問題でも裾野が広くゆったりした柳田国夫のおうような感じより、折口信夫のよりシャープな、構造的な神の概念の方に心を引かれる。・・・・p14
貧乏神に呪われて島国根性ナショナリズムが勃興しつつある現在。折口信夫読んでみるかっ!
中公新書版の『古代史研究』を買ってみたものの(後で気づいたが、ネット上、青空文庫で折口のいくつが読める)いきなり読みはじめる気力はなく、前掲書ともう一冊、出たばかりの中沢新一『古代からきた折口信夫』筑摩新書、(もともとNHK「こだわり人物伝」用のテキストとして書かれたものだという)を買ってみた。その序文の書き出しにも以下のように“黒い装丁”の本のことが以下のように書かれている。
かれこれもう30年にもわたって、私は折口信夫を読み続けている。いくつかの文章のさわりなどはしっかり暗記さえしていて、空で朗読することもできる。20代初め頃の一時期などは、鞄のの中には黒い装丁の大判全集のなかの一冊がかならず忍ばせてあって、行き当たりばったりに開いた箇所から読みはじめて、夢想にみちた一日の思考をはじめるのが常だった。『古代史研究』を読んで、冬の日の大部分をささげて、花祭り地帯の旅に明け暮れるようになったのもその頃からだったし、同じ頃行った沖縄諸島への一人きりの大きな旅も、折口信夫の文章の力に誘い出されたものである。
当ブログNetslave内カテゴリーblackbicycleは「黒」に限定した語呂合わせ、アナロジー遊びのサイトを自認してるのだが、中沢さんが、折口学の方法論を以下のように述べているところがあって気をよくした。
折口信夫は人間の思考能力を。「別化性能」と「類化性能」の二つに分けて考えている。ものごとの違いを見抜く能力が「別化性能」であり、一見するとまるで違っているように見えるもののあいだに類似性や共通性を発見するのが「類化性能」であり折口自身は自分は「類化性能」がとても発達しているとかたっていた。
この言い方を通してかれは古代人の思考の特徴を示そうとしていた。近代人は「別化性能」を以上に発達させた。そしてその傾向はすでに奈良朝からはじまっていた。ところが「古代人」たちの精神生活は「類化性能」を存分に生かしながら形作られていた。
「類化性能」とは、今の言い方をすれば「アナロジーのことであり、詩のことばなどが活用する「比喩」の能力が、それにあたる。p18
科学とはネスカフェでなければならないわけだ。当方親父ギャグしか出てこないわけだけれども、中沢さんは世界的な金融恐慌の世相を反映して?アナロジーの例として「冬(ふゆ)」をあげている。
折口信夫の考えでは、「冬(ふゆ)」という言葉は、古代日本語に直接つながっている。「ふゆ」は「ふえる」「ふやす」をあらわす古代後の生き残りなのである。
冬の期間に「古代人」は、狭い室(むろ)のような場所にお籠りして、霊を増やすための儀礼を行っていた。だからその季節の名称は「ふゆ」なのである。人々がお籠りしている場所に、様々な形をした精霊がつぎつぎに出現してくる。このとき、精霊は「鬼」の姿をとることが多かった。p26
谷川さんはこの「神」のルーツを”カゼのミサキ”とよんだりしている が、「神」について、中沢さんは述べている。
私たちはよく、「古代人は神とともに生きていた」というような言い方をする。そういうとき何気なく「神」という言葉を使って、日本人の宗教のおおもとの姿についても語ろうとする。ところが、折口信夫の考えでは「神」という考えは、超越的な存在について日本人が作ってきた概念のうちでも比較的新しい層に属する考え方で、もっとも古い原初的な表現は「タマ」と呼ばれる霊力にかかわっていた。
「タマ」は「神」とちがって、増えたり減ったりする。「神」のような特定の性格づけも機能も持たないし、明確な名前も持たない。変幻自在でいっとき何かの形であらわれたかと思うと、すぐに別の形をした者に変身していってしまう。「神々」はしばしば体系の中に組織されて、国家のために役立つ存在になる。ところが「タマ」はしばしば威力のある動物と結びつく。しかし「神」はそれよりもずっと人間化の度合いが強い。太陽の霊力をあらわしていた「タマ」的な存在が、アマテラスという女神になっていくと、自然との濃密な結びつきは希薄になって、いつのまにか政治権力に結びついてしまう。所が、どんどん姿を変えていったり、一定の居場所を持たなかったり、半分自然の中に身をひたしている「タマ」は、人間化の度合いがずっと低いのである。p21
また、柳田国夫と折口信夫の「神」についての考え方の違いについて
二人の神というものについての考え方が、違っていたからである。
柳田国男は共同体の同一性や一体感を支えるものこそが神だと考えていた。そうなると、神と共同体はある同じ性質を共有している必要がある。柳田の考えでは、先祖の霊こそがそれにふさわしい存在だった。祖霊になるべき霊は、共同体の「内」から発生するのであるから、共同体と深い同質感や一体感を持っているはずである。その祖霊が神の観念に発達していけば、当然その神と共同体は一体のものとなる。柳田は祖霊こそが、日本人の神観念の原型だと考えたのである。
ところが、折口信夫はそれと反対のことを考えていた。折口は神観念のおおもとにあるのは、共同体の「外」からやってきて、共同体に何か強烈に異質な体験をもたらす精霊の活動であるにちがいない、と考えたのである。柳田国男が共同体に同質な一体感をもたらす霊を求めたのに対して、折口信夫は共同体に異質な体験を持ち込む精霊を、探し出そうとしていた。そこから折口の「まれびと」の思想は生まれたのだった。p32