080716マラルメ『骰子一擲』(「ヴァレリー・セレクション」より)
・080716マラルメ『骰子一擲』(「ヴァレリー・セレクション」より)松田浩則訳 2005年 平凡社・『骰子一擲』詩集もたしか持ってるのに、どう読むのか知らなかった。サイシイッテキ・ストーンズに「ダイスをころがせっ」て曲があった。原題は何だろう?おお「Tumbling
Dice」
彼の創意はすべて、何年にもわたって続けられた言語や書物や音楽の分析から引き出されてきたものですが、それは視覚上の単位としての、紙面の考察に基づいているのです。彼は白い部分と黒い部分の効果的な配置や活字の強度の比較などの(ポスターや新聞の上ですら)、きわめて丹念に研究していたのです。それまで人々の注意をおおざっぱに刺激したり、ごく当たり前な文字の修飾として気に入ってもらうためにもっぱら使われていたこうした手段を、彼は発展させようと思いついたのです。とはいえ、彼の体系の中で、一つの紙面とは、実際の読みに先行し、それを包み込む一瞥に訴えかけることによって、構成された作品の運動を<通告>しなければなりません。一種の物質的な直感によって、そして、私たちのさまざまな知覚方法あるいは私たちの五感の歩み方の差異のあいだに前もって樹立された調和によって、——知性に生起しようとしているものを予感させなければなりません。彼は面的な読みを導入し、それを線的な読みと結びつけます。それは文学の領域に第二の次元を加えることになりました。
作者マラルメが、『骰子一擲』を声高に朗読してもさしつかえないと(「コスモポリス」しきわめて杜撰な版への序文で)いっているのは事実ですが、それを誤解してはなりません。こうした許可が適用されるのは、すでにテキストに慣れ親しんでいて、この美しい抽象的な画集ともいうべきものに目をやりつつ、ついに自らの声で、知的な危機ないしは冒険の表意文字的景観に命を吹き込むことのできる人だけなのです。
・・・・・彼は明確に自分の意図を語っています。
「目下詩は印刷中です。ページの組み方は、私の思い通りになりそうです。このページの組み方にこそ、すべての効果があるのですが、ある語を大きな活字で印刷すると、もうその語だけで、まるまる空白の一ページが必要になってきますが、私はその効果は確実だと思っています。しかるべき初稿が出来上がったなら・・・・・フィレンツェの貴君の(アンドレ・ジット)住所に宛てて送ります。そこでは、星座が、厳密な法則に従って、そして、印刷されたテクストに可能な範囲で、宿命的に星座の動きを装うことでしょう。そこでは、船があるページの上からあるページの下に向かって、その船体を片側に傾けていくといったことなどが起こります。というのも、これこそが観点のすべてなのですが(ある定期刊行の雑誌では、それを省略せざるを得ませんでした)、ある行為、さらにはある事物に関する一文のリズムが意味を持つとしたら、それはリズムがその行為や事物を模倣するときだけですし、紙の上で形をとり、読まれることで原画から取り出されるリズムが、なにはともあれ行為や事物の中に表現できるときだけなのです。」(略)
わたしは、『骰子一擲』の構成が、前後2回の操作でなされたと考えるべきではないと思います。すなわち、一回目はあらゆる形象や空間的なおおきさを一歳考慮に入れない通常のやり方で書かれ、2回目に、こうして最終的な決定がなされた原文にしかるべき配置が与えられたと考えてはならないと思います。マラルメの試みは、必然的にもっと奥の深いものにちがいありません。その試みは構想のときに位置づけられるのです。それは構成の一様式なのです。それは、前もって存在する知的メロディーのうえに視覚的ハーモニーをかぶせただけというのではありません。それは、ある特殊な訓練によって獲得される極限的なまでの、正確で微妙な自己把握を要求するのです。そして、この自己把握が、さまざまな<魂の部分>の複雑で一時的な統一体を、ある根源からある目的へと導くのを可能とするように思われるのです。p99〜102
・ビルの地下室で密かにこのビルを爆破するため、「緻密な図面を引くボイラーマン」同書「最後のマラルメ訪問」より(ビル→「大伽藍」ユイスマン)
私たちは田園地帯を歩いた。<技巧的な>詩人は、素朴きわまる花々を摘んだ。ヤグルマギクやヒナゲシで私たちの両腕はいっぱいになった。大気は火と燃えていた。絶対的な壮麗さ。眩惑と交換に満ちた沈黙。不可能な、あるいは超然とした死。すべてはすざましいばかりに美しく、燃え上がり、眠っていた。そして、地上のものの姿は揺らめいていた。
壮大で純粋な空のもとで明確に区別されるものがなにも存在せず、あたかも、破壊自体が完成するや否や破壊されるように、私は、明確に区別するものがなにも存在せず、なにも持続せず、それでいてなにも病むことのない白熱した世界を夢想していた。わたしは、存在と非在との差異の感覚を失いつつあった。音楽が、あらゆる印象のかなたにあるこうした強烈な印象を与えることがある。私は、詩もまた、もろもろの観念の変容の至上の戯れではないだろうか、と考えていた。
マラルメは、例年より早めに到来した夏が黄金色に染めていた平原を、私に指さした。<見てごらん、あれは、秋のシンバルが大地に打ちおろす最初の一撃なんだよ>と彼は言った。
秋が来たとき、彼はもういなかった。p179
Posted:2008年07月16日 (水)at09:31