080114川上未映子「乳と卵」にあらわれる白と黒あたり



・川上未映子「乳と卵」を読んでるうち、いつもの癖で、白、黒という文字に目がいってしまううち、頻度がわりに多いような気がして、棒線を引っ張っておいた。
・以下その白黒文字のあたりの文章抜き書き、ここだけ読んでも面白い。

雑誌「文學界」2007年12月号所収、川上未映子「乳と卵」より

・ 電車から見えるビルや、住居に屋根や側面は、巨大な面で光を受けて照り返し、何もかもが白く発光していて、その白い部ですべてのものが溶け合って、何か別の大きな一つのものとなって動き出しそうな気がするほどにでっかく、その白い部を見ていると、こちらでは汗だけが小さな生き物のように皮膚の上をじりじりと移動をする。

・ 巻子は「いい部屋やん」とひとこと放ち、「そうかしらん」と冷蔵庫を開けて、作り置の濃く出すぎて、これは茶というよりはもう黒の域、の、麦茶を硝子コップに注ぎながら私が答えると、

・ 「あたしが行こうと思ってるとこは、ここ」とさっき電車の中で取り出して私に見せようとした黒の艶っとしたパンフレットを爪で示して、その紙質には高級の雰囲気があり、白や桃色の風情とは違う、固さというか、何らかの差がはっきり見えて、「なんかこれ美容系っぽくないなあ」っていう私の感想を巻子は無視して、

・ さかんに唇を舐めながら話すので、細かい唾液がパンフレットのうえにぷっぷとついて、黒で目立つし、しかし巻子はそれにきがついていない様子。

・ ロボコンめっちゃ大きかったのに久しぶりに見たらすごく小さく感じれてびっくりした。ずっと昔に私がロボコンに入って運転して、お金入れたら動くねんけど、そこには小さい窓があって、そこからあたしはお母さんとおばあちゃんを見てたけど、あっちからはその窓が黒く見えるからあっちからはあたしの顔は見えへんくて、それがすごい不思議やったことを思い出す。いまお母さんとおばあちゃんにには、ロボコンしか見えてないねん。あっちからはロボコンやねんな。でも中身は、ほんまはあたしが入ってる。

・ 時計は4時をさしており、冷房がきんとしてきたので温度を上げに立ち、そのまま外を見やれば、見えるものはまだいっこうに白くて熱を吸ったり吐いたりをじっとして繰り返すまま。

・ けれども巻子も緑子も無言の調子で、笑うこともなく、テレビの中からの笑い声の粒が枠からこぼれてこちらに届くまえにしゅっと蒸発するのが見えるよう、何となく白々しくなって、ぷつっとした中途半端な気持ちが気持ち悪くて、

・ 入ろ、と体の前部をタオルで隠した巻子がいうので、風呂場のドアを横に引けば塊の白い湯気が漏れてきて一挙に体が湿ってゆく。

・ やはり熱的に物足りなくどれだけ浸かっていてもきりがない感じがして、じゃあミルク風呂は、というので石枠を跨いで真っ白な湯に足を入れればそこもぬるい。

・ よくあるあの、漢字などの、書き過ぎ・見過ぎなどで突如襲われる未視感というのか、ひらがななどでも、「い」を書き続け・見続けたりすると、ある点において「これ、ほんまにいぃ?」と定点定まりきらぬようになってしまうあの感じ、いまの場合は、私の目に女々の体がそうなってきており、だいたいなぜあそこがふくらみ、なぜ一番てっぺんに黒いものが生えており、しゅるっとなってこのフォルム、っていうのかなぜここでだらりんと二本でなぜ足はあのような角度で曲がってこんな具合をしているのかの隅々を、見失ったというか改めて発見したというかの状態になって、その改めて感から抜け出せぬような予感におそわれ端的にぞわりとおそろしくなり、

・ 「ハイドロキャノン、漂白剤の一種」

・ あれ見てみ、足入れてない男もんの靴下2枚ぶら下がってるように見えるやろ」と巻子はさらに低い声で、顎の辺りまで白いミルク風呂に浸かりながら私に云った。

・ 「ど、どう?」と私が訊き返すと、「色とか大きさとか」。小さい・黒い、でも大きい、が、すかさず私の頭を走り抜けたがその走り抜けは見逃してとりあえず黙ったままいると、「小さいかどうかは、いいわ。色。あんたから見て、黒い?正直にゆって」と化粧を落としたなんともいえん植物のような顔でもって真剣に巻子は訊くのだから、「や、黒くはない」と反射的に云ってしまい、「じゃ、これ普通の域?」と続けて問うので、「や、普通って云うのがだいたいどういう、」「あんたが考える普通でいいから」「や、普通って云うのはどの意味においても本来ないので、そういう考えをだいたい、」という私の言葉を遮って、「そういうの、もう、いいから」と平らな声で云ううんであって、「うーん、じゃ、ま、ピンクではないよね」とわたしが云うと、「ピンクでないことぐらい、知ってるよ」「あっ、そうか」「そうや」という具合になって、そこから会話が続かなくなってしまった。

・ 「黒いやん。あたしの黒くて巨大やん。知ってるよ、あたしのがきれいでないってことは」

・ ま、オレオの今はまだましで、最強のときはアメチェ色、知ってる?アメリッカンチェリーな。あの色、すんごい色な。ただの黒じゃないな。赤が混じった黒っていうかな。

・ 今日まだ一言も口をきかない緑子の唇の中には、真っ赤な血がぎゅっとつまっていてうねっていて集められ、薄い粘膜一枚で底にたっぷりと留められてある。針で本当の先端で刺したぐらいの微小な穴から、スープの中に血が一滴二滴と落ちて、しかし緑子はそれに気付かず、白いスープのゆるい底に丸い血は溶けることなくそのまま滑り沈んでいくのに、やっぱりそれに気がつかずにその陶器の中身の全部を自分ですべて飲み干してしまう。

・ そのテレビは神棚のような変色した頼りない木製の備え付けの台にはみ出ながらおかれてあり、それを支える部というか棒部もなんだか油で腐っているように黒くて細くて、その均衡を見てたらその均衡自体がどうにも気になりだして、この食事中に落ちるのではないかという気にどうしてもなってしまい、誰に訊いてもしかたはないが、なあ緑子よ、あのテレビ落ちるか落ちひんか、と思わず訊くと、ちらと見やって、腰巻きから取り出す小ノートに<わからん>と書き、そして<でも落ちても下になにもないからいいんちゃう>と続けて書いた。

・ 緑子はそれに対して怪訝な顔をして、一瞬巻子の顔を見たけれどもなにも言わず、中華饅頭の白いふくらみの真ん中あたりに両方の親指を当ててめくるようにして割り、具のでかかったところに小皿についだ醤油をつけ、それからそれを半分に割り、少し間をおいてそれをさらに半分にし、またそれにも醤油をつけて黒くなったところをじっと見た。緑子は饅頭に醤油をつけてつけてを繰り返して、醤油はぐんぐん滲み込んで饅頭は真っ黒になり、わたしもそのしみ込みが何処までしみ込むものなのかをじっと見ていた。

・ 緑子は目をそらして、それからメニューが掛かってある壁のあたりを見つめ、しばらくしてから、小ノートに<気持ち悪い>と書き、それをテーブルの上に開いてみせて、ペンでその<気持ち悪い>の下に何度も何度も線を引いた。力を入れすぎて最後はペンの先で紙が破れた。それから醤油の皿の中にある全体がしっかり黒くなった中華饅頭のちぎり端を口に入れ、醤油のたっぷり滲み込んだ饅頭を結局全部口に入れて飲み込んだ。巻子は何度も引かれた線とそのうえにある文字をじっといて、それっきり黙ってしまい、わたしも黙って、それからちょっとして。醤油えぐくない、と訊いたが、緑子はそれについてはなにも書かなかった。

・ んで、本体の発射ボタンを押すとその針の先端からダニ殺し成分がぶしゅっと出て畳の内部に行き渡って畳内部に生きていたダニは死んでしまってダニのいない生活を送れるようになるのだけれど、引っ越しというのは終始混乱していていろいろなことが同時多発的に出現するので、わたしなんか一人で引っ越しやったから、開封しつつ仕分けしつつ壁を拭きつつ荷物をかかえてさらに前が見えないという状況でこの部屋を形作ってゆくということを引っ越しというものは要求するのであって、こう、畳に、連綿、盛り盛りになった品々の隙間を感覚でほっほっほっ、右左右、の感じで飛びつつ移動したらその針部が、上に向いて置かれてあって、最後の着地の際にわたしの足の裏の土踏まずにそれは根元まで突き刺さったわけ、あ、と思ったけれどそれでも全然痛くなくって、血も出るどころか、まあ刺さってる間は血は出ないらしいけれども、こう、針の周りは白くなっててじっと見てたら、足の裏からこうびよと伸びてるのはなかなかないでしょ、わたしは荷物を降ろしてそれをじっと見てさ、んでこのまま本体の発射ボタンを押したらどうなるのかということが頭に浮かんで、そんなことをしても意味ないし危険ということははっきしわかってるねんけども、何となくボタンに人差し指当ててみたりしてそんなことを残りの半日ずっとしてて、針の突き刺さってるのを、足の裏を、ずっと見てて、足の裏から電話線みたいな、臍の緒とかさ、見たことないけど、なんかそんなようなイメージが、繋がってるもんがわたしの足の中に入ってるのを見て、針をどうしても抜く気になれんかった。

・ 緑子は、五千円札をじっと見てから、小ノートに、、<ありがとう>と書き、真ん中の卵形に透けた白い部分を陽にあてて見た。

・ なんで、吐息を吐くようにいい、お母さんは手術なんかしようとすんの、といってそれを叩き付け、白身と黄身がかぶさる様に緑子の額を垂れてゆき、涙に混じり、

・ ノートには文章と、それのあいまに無数の小さな四角で描かれた絵のようなものがあり、半分は真っ白やった。目をこらせば緑子の文字は蛍光灯の青白い光の中でちらちらと震えるように見えて、これは私の目が震えているのか文字が震えているのか、その間にある光が震えているのか、わからないままにわたしは十五分かけてそれをゆっくり読み、

・ 緑子は自分のリュックサックを背負って、来たときとまったく寸分の狂いもない白さと暑さの熱気の中を歩いて、

・ 手伝ってあげたらよかったな、と白っぽく霞んでゆく意識の切れ端がひらひらする中で、そんな映像と気持ちを追いながらまた眠ってしまっていた。


Posted:2008年01月14日 (月)at13:12