一晩経ってからだけれど、「こんなおどりは二度と見る事ができない」と思う。本来、いつだってどこでだってどんな事だって目にする事はすべてそうなわけだけれど、あらためて、そんな気分にさせてもらった。
Butoh、にあわない感じがするけれど、慶応大学の新歓では、毎年、舞踏の公演がおこなわれている。一昔、学生が減る時代を前に、たぶん、多くの文学士、演劇人を輩出している早稲田に対抗して、慶応義塾大学アート・センターというものが設置されたものらしい。
アートセンターの近頃の活動報告を見ると、「アートマネージメント講座」なんてのが目についたが、油井正一、瀧口修造、土方巽のそれぞれの独立した資料アーカイブ事業が行われていて、その中の土方巽アーカイブがらみでButoh公演がつづいているらしかった。
学内は大規模な工事がおこなわれていて(大ホールが建設中だ)そんなせいか、数年前にはフリーパスで校門を通過できた車両も校門にてチェックを受けないと入校できなくなっていた。
少し時間があったので、パソコンを開いてネット接続を試みたが、モバイルケイオウというアクセスポイントは学生さんにのみ解放されているようで、簡単にはアクセスできなかった。アーカイブ事業の資料にしても、ネットで概要は知ることはできるけれど、慶応大学関係者以外、中身を閲覧することはできない。いたしかたなしとは思うけど、ちょっとケチだな。
しょうがないので、きれいになった学食外のテラスの片隅で煙草を吸いながら学生さんウオッチ。今日は若い人たちの中に混じるのでと思ってブルーのTシャツで出かけてきたのだが、赤、青、黄色、原色系の服をきているのはざっと30人に1人くらい。みんなの集まる場所で、携帯やパソコン開いてる学生さんもあまり見かけなかった。
公演は日吉校舎にある来徃舍という建物の一階、ガラス張りの吹き抜け、フリースペース(3~400人くらいは入れるんじゃなかろうか)でおこなわれた。
大ガラス張りの入り口から、一応のイベントスベースまでゆるーく登りになっている。劇場とは逆に観客席が舞台面より低く、昨今フリースペースでも座布団を敷く桟敷スタイルでなくパイプ椅子等設置してしまうので、大ガラスのごしに木もれ陽のさす新緑が美しく雰囲気はすばらしくよいスペースではあるが、椅子を設置してしまうと後ろの席から舞台は見えづらくなる。
そんな事情を熟知している学生有志諸君がコンクリートの舞台面上に間口4間×奥行き3間ほどの舞台を仮設してくれていたらしいのだが、リハの際、後から来た室伏さんの指示で、すぐさま撤去となり公演はコンクリートの叩きにリノリュウームばりで行われた。
客席の問題は、座布団敷きの桟敷席を舞台上リノリュームエリアに食い込んで設置し、パイプ椅子を極力減らし、後は立ち見にして解決されていた。
ああ、"quick silver"公演の内容デスが・・・・まず、この近代建築の吹き抜け(地上5階程度)大ガラス張りに閉ざながらも緑のまぶしい(もっとも公演は19時からだったのでガラス越しに見えたのは暗闇)この場所に、室伏さんがたった一人で立とうとしているらしいコトに驚いた。
出は、意表をついて舞台裏の大ガラスの屋外、八重山の黒マンタ赤マンタ、マレビトのように顔を葉っぱで覆い隠し、黒スーツのたいでたち。ひとおどりの後、建物外を大きくで迂回して屋内の舞台に戻りそのままのいでたちにてひとおどり。
中断、(劇場ではないので暗転はない)下手舞台隅にて静かにスーツを脱ぎ、全裸、たぶん衣装ズレで剥げ落ちてしまった"silver"の塗り物を助手等を使わず、自身の手によって背中も大胆に塗上げていく。
暗めの照明の中で"quick silver"はかえって漆黒を思わせる。ヒトおどり、フタおどり、サンおどり。
舞台最前桟敷前にしかれた真鍮板の上には白い小さな砂山ができている。この砂山と絡んでヒトおどり、かるくジャンプ3回。切れ味抜群ひねり3回。ときどき素に戻ったような振りでぶつぶつつぶやく。2度叫ぶ。吹き抜けの残響。下手舞台端より下りる。舞台中央に戻り深々と挨拶。拍手、カーテンコール、再び深々と礼、拍手拍手拍手。
大ガラス越しに無音状態で全篇を見た。どこでどうシャッターきっても絵になるくらいの隙のなさ。疲れたけれど見終わったら元気になっていた。
初めて室伏さんを見かけたのは舞踏なんて言葉も知らない頃(だからもちろん若い頃のおどりは見てない)、「アケタの店」に山下洋輔トリオを聴きに行った時で10人くらいしかいないお客に混じって、室伏さんがいた。店を出たくなくなるようなコワい顔したおっさんだった。あんななコワい物を見たのは夜道でぬっと立ちはだかる中野哲学堂の水道塔以来だった。
それから20年経って、ここ2~3年何度かおどりを見る機会があったけれど、やっぱり、あの室伏さんにしても他の古い舞踏家と同じに上手に歳をとっていくんだな。などという印象の舞台だったけれど、間違いだった。
パンフレットに「ミイラの舞踏ー室伏鴻」と題した一文が載ってたけれど、(ああ、室伏さんのあの背中の曲がり具合土方さんとそっくりだ)土方さんが昨日の、土方さんが死んだ歳よりずっと歳をとってるはずの室伏さんの、おどりを目にしたら嫉妬したに違いない。
定義もなく、バレーのような完全なメソッドもないButohを創ったと云われる土方さんですら、晩年「後30年もすれば舞踏なんて雲散霧消して、50年もすれば影も形もなくなってますよ」といったのを直接聞いたことがある。そんなもんかな、と思ってたけれど、若い人たちのいろいろな試みも買わないわけじゃないけど室伏さんあるかぎりButohは死なないね。
以下今回のチラシにあった、舞踏派背火公演<常闇形>パンフレット1977年9月より「木乃伊の舞踏ー室伏鴻」土方巽。
また夏ですね。この暑い夏がくれば、あなたのおどりを思い出すという具合にこれからも進行するといいと思います。
ところで去年の五太子の公演であなたが踊られた木乃伊(ミイラ)ですがね、あの踊りのことについて大方のひとは、あまり触れたがらないですね。何か異様なもの、異形なものという、そういう事で片付けているようですが、私はそうは思わないんです。あの踊りを見たときには、新たな仏骨をまのあたりにしたという感じをい抱きました。その異様な迫力というものは、魔性な情景の実像を把握している。さらに異様な、まあ私たちの眼前で転げ回ったと、そういう新たなミイラの発見、そういうふうに私の網膜に映ったわけです。だいたい舞踏するもの、また自分の体を舞踏場として揺らいで徃くというふうな行為の中にですね、だいたい人の如きものになされてしまって、そのためにぐらぐら揺らいだ口元だとか、擦り切れた形なんかをもたせられてしまうわけです。あげくの果てにその行為を売りに歩く事さえ覚えてしまう。そういうふうなものを根底から覆すような新しい舞踏の、まあ発見、古い言葉で云えば、原点というようなものをたしかにこの目で確認したと思います。
だいたいあのミイラだって幽霊に抱かれた乳呑み子についての考察をすすめてゆけば、だいたいあのミイラの乳呑み子はとしの頃7歳ばかりに私には見えた。これは私がただそこに転ばされて、眺められる事の快感を味わった20年前の舞踏の原点と非常に近いんじゃないかと、そういうふうに感じたわけです。ただそこにおかれて在ることの。ところがあなたのミイラはさらにこう、発展したものだ、そう思います。