091031黒比咩、黒媛、黒比売



091031黒比咩、黒媛、黒比売

 4ヶ月何も書かなかった。昨日久しぶりにエントリーしたので、通常30アクセスくらいのNetslaveのアクセス解析を眺めてると、どうやら高校時代の友人が2人読んでくれてたようだった。古い友達とはありがたいものである。

 そこで、郷土の話題を一つ。マッ、あいつらまるで興味のないのははじめからわかってるのだが・・・

 先日『松之山町史』(平成版)を読んでたら、「三つの黒姫山に囲まれた頸城平野」という書き出しで序文が始められていた。老後、いつの日にか郷土史なんぞを書いたら同じフレーズで書き始めようなんぞ考えてた僕は少し落胆した。

 僕には、頸城って馘だろうという思い込みがあったのだが、近頃、久比岐国造(青海首?)という氏族があって、海民の大和一族(椎根津彦の命を祖とする。神武東征の際に佐賀関と佐多岬の間の海峡、速吸門にあらわれて神武を先導した。)とつながってるらしいということを知った。(『海神の伝統』p200)

 それから黒姫については、天孫族が土着の国つ神族とこの頸城地方で争ったとき、破れた国つ神族は馘をはめられた。棄民と成ったこの地方の人々は大国主と恋の物語のある当地の翡翠の女王、奴奈河姫を破れた者の常であるように名前を黒姫と変えて山に祀った・・・くらいの単純なストーリーしか考えてなかったので、少し調べてみることにしたのだ。

 ネットでざっと調べてみただけでも、記紀など古文献に出てくるクロヒメには4種類くらいある。黒比咩、黒媛、黒比売、漢字もそれぞれに3種類書き分けられてたりする。

 (1)古事記、景行天皇記には雄略天皇と関係した飯野眞黒比賣命という姫が出てくる。  「此の倭建命、・・・ 又其の海に入りたまひし弟橘比賣命を娶して、生みませる御子、若建王(わかたけのみこ)(一柱)。  「上に云へる若建王(雄略天皇)、飯野眞黒比賣命を娶して、生める子、須賣伊呂大中日子王(すめいろおほなかつひこのみこ)。」

 (2)仁徳天皇に献ったという黒日売の歌二首が古事記に伝わる。  黒日売は吉備海部直の姫。絶世の美女で仁徳天皇の側室。しかし黒日売は仁徳天皇の皇后の磐之媛の嫉妬を畏れ故郷へ帰ってしまった。天皇は吉備まで追って行ったという。

 (3)それから履中天皇の妃として黒媛がでてくる(皇后は草香幡梭皇女)。黒媛は葛城一族出身だ。黒媛は仁徳と磐之媛の娘で、また、襲津彦の子の葦田宿禰の娘でもある。

 (4)それから、wikiによれば継体天皇の妃として広媛が出てくるが、この姫の別名が黒比売らしい。  妃の広媛(ひろひめ、黒比売。坂田大跨王の女)と継体天皇の間には、神前皇女(かむさきのひめみこ)・茨田皇女(まんたのひめみこ)・馬来田皇女(うまぐたのひめみこ)が生まれた。

 なおwikiによれば、天皇系図の中で最も連続性を疑われる継体帝の系図について  「『日本書紀』によれば応神天皇5世の孫(曾孫の孫)で父は彦主人王(ひこうしのおおきみ)、母は垂仁天皇7世孫の振媛(ふりひめ)である。ただし、応神から継体に至る中間4代の系譜について『記紀』では省略されており、辛うじて鎌倉時代の『釈日本紀』に引用された『上宮記』逸文という史料によって知ることが出来る。」とあった。

 (5)記紀とは離れたところでは、宇佐神宮の神官かなんかの系図にも売黒比売があった。以上見てきた黒姫の記述の中には秦氏に関係する人物や地名が多く見られるけれど、辛嶋勝乙目祝なる人物も秦氏であると、大和岩雄さんが『秦氏の研究』の中で詳しく書いていた。  「淳名倉太珠敷天皇(敏達天皇)の御世より辛嶋勝乙目祝なり、爰に乙目の妹黒比売・采女並びに御戸代として、己が治田二段を進む。辛嶋勝意布売は禰宜なり。右の人達は、大宝元年以前より任じて奉仕す。次に辛嶋勝波豆米、今禰宜なり。」

 大和岩雄さんの『秦氏の研究』に触れたので、ご本の中で、このごろ読んだあたりで気になったことを書いておこう。

 それは「中沢見明の『古事記』偽書説」というものだ。  三重県の僧侶中沢見明(他の著作から推測すると真宗か?)は『古事記』が聖典化していた戦前に、『古事記論』(昭和4年刊)を書き、古事記』偽書説を公然と唱えた。もちろん第2次大戦中は公安に拘束されたらしい。

 その説の当否を僕なんぞが論ずべくもないわけだが、思うに、この「デモクラシー」の世の中にあってさえ学会の中でそんな説を公にするのには勇気が必要だろう。

 大和岩雄さんは、前掲書の中で、偽書とはいわないが、すくなくも秦氏が『古事記』の成立に深く関わっていただろうことを解き明かしている。

 例えば、『日本書紀』は成立の720年までに既に失われようとしていた書物を本文の後に「一書に曰く~一書に曰く」と脚注のように挙げる。その、わりとアカデミックな体裁をとる『日本書紀』には関連記事がなく、『古事記』のみに掲載されている逸話や神統譜がことごとく秦氏関連の記述だということらしい。


Posted:2009年10月31日 (土)at17:43