091103僕的な暗黒舞踏の定義



091003僕的な暗黒舞踏の定義

 きょうは、僕が若い頃追っかけ回したバレリーナの誕生日だ。彼女、まだ踊ってるだろうか?  まだ、「ストカー」などという言葉すら生まれる遥か前で、彼女にはいろいろ迷惑をかけちまったが、僕的には幸せな時代だった。ストーカーなどに幸せな結末があるはずはないけども、ああ、今の青少年は、しかし少しかあいそうだな・・・

 ブログ復活したので、お休みの期間のアクセスを眺めてたのだが、一年まえ慶応大学でおこなわれた室伏さんの舞踏公演を見たとき書いたエントリーにアクセスが集中してる。察するに少し前話題になってた慶応大学生のストリーキング事件が原因らしい。

 で、その自分が書いた記事を読み返す。久々に舞踏らしい踊りを見て感激したようなことが書いてあって、気恥ずかしかった。ずいぶん時間が経過して、その舞台の細部を忘れている現在、そのとき何に舞踏らしさを感じたんだろう?と考えてみた。その舞台について書いたエントリーには「舞踏には定義がない」などと書いていたのだが・・・

 どうもそれは、あの大きな空間に一時間近く室伏さんが一人で立っていたということだったと思う。

 先日、横浜バンクアート「大野一男フェスティバル」で舞踏黎明期のダンサー4人(大野慶人、高井富子、石井満隆、笠井叡)の舞台を見た。大野さんは104歳になられたいまベットから起き上がることはない。4人はその大野さんの次の世代の人たちで平均年齢も70歳くらいだと思う。コラボレーションではなくそれぞれが15分ほど一人で踊った。(笠井さんは若いダンサーチームをつれていたが出突っ張りだった)

 高井さんの舞台のみ何度か見たことがある。終演後のパーティーで「ほめてくれたことのない合田さんや国吉さん(評論家諸氏)が『よかった』といってくれたの・・・」とご機嫌な様子で歓談されていた。

 その様子を少し離れてみていた僕は冷ややかに「そりゃ、いつもの一時間くらいの間のびした舞台をぐっと凝縮して得意技の連発だからなっ・・・」

 「間のびした」・・・・

 はるかむかし、若いダンサー3人が初めて自分たちの踊りの会を終え、師匠筋の土方さんと縁側でお話しているのを眺めてたことがある。その時、土方さんはたしか「・・・・・それで、舞台の上で立ち尽くすようなことに遭遇しましたか?・・・・」といった。少し間があって一番若いダンサーが「・・・いや、僕はばりばり踊りきりました」と答えていた。

 たぶん土方さんは、初めての舞台で若いダンサー達があらかじめ仕込んでいた技(ねた)を出し切り、さて、しかし舞台の終曲にはまだ時間がある・・・・・・と・・舞台上で棒立ちする場面を想像していたのではないだろうか・・・

 一番若いダンサーの答えが的を得てなかったので「間延して・・棒立ちしたその瞬間が美しいのですよ。そして、その間延すら腐っていく、そこから・・ですよ」と土方さんはいわずにその会話は終わった。

 今になって不思議に思うのは、僕の中にあるぼんやりした舞踏の定義ができあがったのには、田中泯さんのダンスを若い頃集中的に見続けたことがおおきく影響してるらしいことだ。不思議というのは、その頃泯さんは自分の踊りのことを「舞踏」とはいってなかったからだ。

 その頃の泯さんは一人で一時間から2時間舞台の上で一人で踊ったり、街の中でごろり転がっていたりしたのだ。

 長々書いてきたけど、ああ・・・わかったのは僕の舞踏定義は「ソロ」ってことらしい。ぱっとしないな。

 それから・・僕が、「へっ!こんなスゴイものがあるのかっ・・」舞踏を初めて見たのは豊玉伽藍で行われた大駱駝艦の「十二の光」だ。群舞、スペクタクルだ。駱駝艦については少し措いておく。


Posted:2009年11月03日 (火)at11:08