080409「大いなる小屋ー江戸歌舞伎の祝祭空間」服部幸男著/「計白当黒」
080409「大いなる小屋ー江戸歌舞伎の祝祭空間」服部幸男著/「計白当黒」・「大いなる小屋ー江戸歌舞伎の祝祭空間」服部幸男著 1994年平凡社選書・長らく、この本を読むまで「裏方さん」ってのは、役者にに対しての言葉、影と光のような対語だと思っていた。・しかし、「裏方」とは、どちらかというと、定式幕で区切られた客席に対しての「裏」であり、そう言う意味では役者も裏方と言えなくはないらしいのである。(「カイチョウバ」という舞台用語があって、ステージのことを指すのだけれど、なぜそういうのか長い間疑問だった。どうやら、定式幕が開かれて現れる場という意味らしい)・「定式幕で区切られた」と書いたけど、江戸の芝居小屋(仮設、バラック)の定式幕は現代の劇場のプロセミアムや、緞帳とは違って、仮設であるので風で定式幕がめくられたり、大入りの際には定式幕の奥、いまでいう袖幕奥にも客席が臨時に作られたりして(つまりお客は演者の横や後ろからパフォーマンスを見ることになる)、区切られてはいるけど通行可能な幕だった。・それから、小屋自体も当初は幕(筵)で包まれた空間で、にじり口、茶室を思い起こさせせるような、体を折り曲げなければ出入りできないような入り口「鼠木戸」(板塀に穿たれた四角い穴)から出入りしなければならなかった。・それから「定式幕で区切られた」開帳場(ステージ)の裏というか上手橋懸かり奥には、さらに楽屋という、またしても幕で囲まれた一角がある。ボクなんぞはずっと、楽団、お囃子の人たちが屯す、からきている言葉と思ってたのだが、どうやら楽屋の楽は楽団の楽ではなく、奈落の楽とか、網野善彦さんの「無縁、公界、楽」の方の楽らしかった。・服部幸男さんは郡司正勝氏を引用してつぎのように述べている。
・・・「もと幕は見物をさえぎる物ではなく、幕は登場してくる者が、それを力としてそれを後ろに出現する物であった。」というのである。
郡司氏の説かれたように、幕の祖型は注連縄で、俗から聖なる地を区別するためにめぐらしたものであり、神になるものはここに忌み籠ることを必要としたのだとすると、それは楽屋の原型である幕屋、幕の屋の性格と共通であった。すなわち「後ろの幕」の原義である。p255
・ただ、先学の研究にケチつける気は毛頭なく、ボクのほうに反証する材料があるわけではないのだけれど・・・「幕の祖型は注連縄で」「日本の芸能の特殊性につながる発想法」(郡司正勝『歌舞伎の発想法』)というのはどうかな?と思う。幕は胞衣のアナロジーじゃなかろうか。お母さんの子宮→胞衣→生まれる。子宮とこの世のあいだに「胞衣に包まれた状態」がもうひとつはっきり考えられていたんじゃなかろうか。縄についても調べなくちゃいけないかも知れない。ボクのいま持ってるイメージとしては、縄は網であって、海、産み、と関係するんじゃなかろうかというくらいだ。・楽屋のうちで一番最下層の役者たちの部屋を稲荷町と呼んでいたこと。そして、楽屋をあげての年中行事のなかでは曽我祭りと並んで最重要な祭りである稲荷祭りはこの大部屋の人々によって主催されていたこと。・再び「定式幕」だけど、裏方さんが舞台設営作業のときなど「ジョウシキ持って来い!」などと新人の裏方さんをテストすることがあって、この場合のジョウシキは畳表をロールにした物をいってるのだが、特殊な用語なので新人にはわからない。「常識ねえのか、おまえ!何年この仕事やってんの?」・で、長いことこの仕事に携わっていたボクだけれど、「ジョウシキ、常敷(ボクの思ってた漢字)いつも敷くわけじゃない畳表なのになんでかな?」と思ってが謎がとけた。・ジョウシキは劇場常設のさまざまな幕を演目にあわせた位置に吊り換えする際、一度舞台上に幕をおろすので、幕が汚れないように幕をおろす位置にダダダッートロールを伸ばして養生するのだ。(これは裏方さんの腕の見せ所でもあって、上手な人は一巻き4〜5間分のロールを一発でゴロゴロゴロリ〜一直線に投げほどく)ジョウシキは畳表からきた名前でなく、下りてくる定式幕からきた名前だったのだ。たぶん・・・・・「計白当黒」という言葉について
<補記> 書家の岡本光平氏が「書の図像学——文字をデザインする意志」と題する興味深いエッセイを書いている。(『現代思想』平成5年10月号)このなかで岡本氏は白と黒の美意識とそのもたらす効果について論じ、黒は東洋では単なるブラックカラーではなく、すべての色を集合させた「玄」つまり宇宙という意味であるとし、さらにそれは白があってのことであると言っている。側に黒を置くことによって、初めて本当の白が生まれると言う。これをもってしても芝居の文字は断じて白のうえに黒でなくてはならないと思う。
中国の清の鄧石如という書家が、「白を計りて以て黒を当つれば、奇趣が生まれる」という意味のことをいっている。これは、古今をとわぬ書の美のもつ性質をよく表現したことばであると思う。この「計白当黒」の美の理念は、勘亭流の芝居看板にも当然のごとく反映していたのであった。p118
Posted:2008年04月09日 (水)at11:01