080722マラルメの蒼空『塔と蒼空』飯島耕一著 1977年 昭森社



080722マラルメの蒼空『塔と蒼空』飯島耕一著 1977年 昭森社
・<蒼空への無能力者=詩人の反抗というテーマであるにもかかわらず、今日のわれわれはこの「蒼空(アジュール)!」という叫びの悲痛さにまるで蒼空の再来を両手を上げて祈願しているかのように受け取りたくなるではないか。>
マラルメの「蒼空」加藤美雄訳

 さて詩集『近代寓話』(西脇順三郎)の冒頭の傑作群の中に、「夏(失われたりんぼくの実)」という、わが偏愛の詩がある。この詩は六十行足らずの詩だが、次のようにはじまっている。

人間の記号がきこえない門
黄金の夢
が波打つ
髪の
罌栗の色
に染めた爪の
若い女がつんぼの童子(こども)のてをとって
紅をつけた口を開いて
口と舌を使って色々形象をつくる
アモー
アマリリス
アジューア
アベーイ
夏が来た
・・・・・・・p66~7

・飯島さんは、この詩を解説して「人間の記号がきこえない門」とは聾唖学校のことで、「若い女」聾唖学校の先生が「つんぼの童子」に言葉の発声を教えている情景であるとし西脇さんから「然り」との答えを得たと書いている。 ・「アモー」は「アモール」(愛)。「アベーイ」はミツバチ、「アジューア」は、<考えた末、われわれが「アジュール」と発音しているフランス語のAzur(蒼空とか、蒼碧、藍碧、空の青)のことにちがいないと思った。>ある日、西脇さんに質問して、<「氏は、マラルメのAzurであるといわれた。」> ・<こうして久しぶりに、ぼくはステファンヌ・マラルメの詩を読むことになった。>

 De l'éternel azur la sereine ironie

 これを鈴木信太郎は「永遠の蒼空の朗かな皮肉は」と訳し、西脇順三郎は「永遠の蒼天の晴朗な皮肉(イロニイ)は」と訳している。「イロニイ」ということは、芸術家がその創作は象徴であるということを意識することを意味し、また芸術家が神を意識すると同時に人間自身の存在などはつまらない「無」なるものであることを意味する、と述べている。「イロニイ」は皮肉であって皮肉ではないだろう。むしろ「永遠の蒼空という晴朗な存在の、人間存在への無言の批評」のことだろうとぼくは考える。蒼空のする人間への批評だ。この蒼空のイロニイが無力な詩人を圧倒する、とマラルメは嘆きの声をあげているのである。この「蒼空(アジュール)」が、より軽やかになって、西脇氏の「夏(失われたりんぼくの実)」の、

  アジューア

 に反映しているわけである。

 この強力な「蒼空(アジュール)」から遁れようと、目を閉じても、所詮遁れることはできない。マラルメは「霧立ちのぼれ!」(Bouillards montez!)と、第三連目の冒頭で、悲痛に叫ぶのである。霧の粉末を霞のぼろ切れといっしょに空に流し込めと詩人は叫ぶ。また「倦怠」に呼びかけて、地獄の池レテから出てくるとき、泥と青い蘆を集めてこいと言う。それでもって、鳥どもが悪意を込めて曇り空に穿った真っ青な大きな穴をふさぐのだという。「蒼空(アジュール)」を消さねばならない。「蒼空(アジュール)」に反抗しなければならないのだ。

 さらに願わくば悲しい煙突がたえまなく煙を吐いて、その煤煙の浮動している牢獄=空が、その真っ黒な条(すじ)の格子のうちに、黄ばんで死にかけている太陽を消し去ってもらいたい。(マラルメのこの祈願は、20世紀後半の今日、ものの見事に成就したと自虐的にわれわれは叫びたいのを覚える)。

 ——天空は死んだ。——おお物質よ、おまえの方に俺は馳け寄る!

 ——Le Ciel est mort.——Vers toi, j'accours! donne, ô matière,

 これがその次ぎに来る一行である。donneは次の行にかかる。「私は物質に嘆願する。これこそまさに無能力者の歓喜だ。私を蝕む苦悩に疲れ果てて、私は群集の普通の幸福を味わって暗い死を待望したくなる」とマラルメはアンリ・カザリス宛の手紙に書いた(鈴木訳)。

 しかし蒼空は強力だ。蒼空が勝利を得る。「死んだ天空は怪(ば)けてくる。そしてそれが蒼い鐘の中で歌を歌うのを私は聞くのだ」(同じくカザリス宛の手紙)。

 蒼空は、昔ながらに、濃霧の中を転々して、手元は狂わぬ
 短剣のごとくに 俺の魂の生来の苦悩を 突きとほす
 所詮無益な邪(よこしま)な反抗の中で どこへ遁がれよう

 そして名高い最終の一行が来る。

  おれは憑かれている。蒼空(アジュール)!蒼空(アジュール)!蒼空(アジュール)!蒼空(アジュール)!

  Je suis hantè. L'Azur! L'Azur! L'Azur! L'Azur!

 「最後の真摯で且つ奇怪な叫び」とマラルメ自身この一行のことを言う。

 蒼空への無能力者=詩人の反抗というテーマであるにもかかわらず、今日のわれわれはこの「蒼空(アジュール)!」という叫びの悲痛さにまるで蒼空の再来を両手を上げて祈願しているかのように受け取りたくなるではないか。p72~4

・ボードレールの、散文詩『パリの憂鬱』の中の「芸術家の告白祈祷」の一篇がマラルメの詩「蒼空」に影響を与えたとマラルメ自身が書いているらしい。

  視線を空と海との広大無辺際に溺れさせる大いなる楽しみ!

  孤独、沈黙、比類ない青空の純潔さよ!

 そしてまたマラルメと同じく、ボードレールにあっても蒼空は敵なのだ。「いまや、天空の深さは私をげっそりとさせる。その透明さは私を激怒させる」

  ああ!永久に苦悩しなければならぬのか、それとも永久に美を逃れなければならぬの
  か?自然よ、冷酷な魔女よ、つねに勝ち誇る敵よ、私を釈放してくれ!私の欲望と誇
  りとを誘拐するのをやめてくれ!美の探求とは、芸術家が、敗れるのに先立って恐怖の叫
  びをあげる決闘なのだ。


 さらにマラルメと同時代のアルチュール・ランボーのAzur蒼空が、どうなっているかを、われわれは見たくなってこないか。

 ただちに思い出すのは『地獄の季節』の「錯乱」のⅡの次のくだりである。

  Enfin, ô bonheur, ôraison, j'écartais du ciel l'azur, qui est du noir, et je vécus'
  étincelle d'or de la lumière nature.

 ついに、おお幸福よ、おお理性よ、俺は天空からあの黒っぽい蒼空(アジュール)というやつをひっぺ
  がした。そして本然の光の黄金のきらめきとなって生きた。

 ここにも蒼空への敵意がうかがわれるであろう。いかがわしい黒っぽい蒼空を天空からひっぺがすことだ。ランボーの韻文詩「誰かが花について詩人に語ったこと」にも、その第一連にl'azur noir黒い蒼空、という言い方が出てくるし、「飢餓の饗宴」という一篇には黒い空気さえ出てくる。

 しかしまたランボーの「五月の軍旗」のような後期韻文詩には、あくまで明るい蒼空が出て来るのを見逃すべきではない。

 Le ciel est jili comme unange.
 L'azur etl'onde communient.

  空は一人の天使のように美しい。
  蒼空と波は一つのものだ。

 ここにもしかしすぐあとに「光は俺を傷つけるかもしれない」とあり、やはりボードレールにしても、このランボーにしても、「蒼空はわれわれを傷つく」、との意識が強くあった。p75~7


Posted:2008年07月22日 (火)at09:15