猫のページ
我家は昔から猫の通り道になっていて、いろんな猫がやってきました。
あまり意識をしていなかったのだが1匹の猫が僕をすっかり猫好きにしてしまった。
それが
トラー(茶トラ男子)である。
10年ぐらいまえに初めて現れた時には、もうかなりの大猫だったので2、3歳だったのだと思う。
全くの野良でしかもかなり凶暴だったのだが、(よく引っ掻かれた)男前でもあったので、毎日御飯を与え根気良く手なずけた。
喧嘩が強く精力的で、しばらくやって来ないな?と思っていると、とんでもない遠くで出会うこともあった。
やがてマウイ(我家の愛猫)がやってきて、いじめられはしないかと心配しつつも引き合わせてみると、案外仲良くなってしまった。
やんちゃ盛りの子猫の相手を良くしてくれ、そればかりか僕達との距離もいっきに縮めてくれたのだった。
思うにマウイがトラーに、猫界の掟と言うかそんなものを教わったように、トラーもマウイから、人間とのつきあい方を学んだのかもしれない。
今迄の態度が嘘のように体を擦り付けてきたり、なでられて喉を鳴らしたり、ごろりと腹を見せるようにもなった。
他にご飯をもらえる所も出来たのか、まるまるとしているのが上の写真である。
それでも相変わらず強力な奴で、縄張りである我家の敷地に他の猫がやって来ると、こてんぱんにやっつけたのだったが、マウイが成猫になるとあっさりと縄張りを譲り、毎日はやって来なくなった。
しかし、さすがのトラーも寄る年波には勝てず、喧嘩をしては痛手を負うようになる、晩年に負った首の後ろの怪我はとくに酷かった。
暑い季節など傷口が臭って、夜中にやって来ると臭くて目が覚めたほどである。
せっかく治りかけても「かさぶた」を掻いてしまうので、その傷はいつまでも治る事は無かった。
そうなるとさすがに僕達も少し持て余しぎみではあったが、長い付き合いでもあり、マウイにとっては恩猫(師匠?)でもあるので相変わらずのもてなしをした。
やがてだんだん痩せ細って行き、多分病気でもあったのだろうがご飯も食べられなくなってしまったが、「もうこれで最後だろうな」と思ってもまたやって来る生命力には驚かされた。
だがその時がやって来た。
6月の雨の夜、よぼよぼとやって来てはいつものように座布団に横になっていた。
そして数時間後、「今日はいつもより長く居るな」と思っていると、寝返りするなり大量のおしっこをした。
うわ!!っと僕らが大騒ぎしている間に、トラーはゆっくりと出て行ってしまった。
つまりそれっきりである。
野良猫としては長く生きた方だと思う、子孫をたくさん残したろうし満足だろう。
最後にあいさつに来たのだろうか? もしもマウイが家に来なければ、家の猫になっていたかもしれない。
そう思うと、あのまま看取ってやれれば良かったのにと少し悲しくなる。
そして
マウイ(雑種の男子)である。
1998年の8月のある日我家にやって来た。
家内が拾って来た時には蚤だらけで、目やにいっぱいの痩せた子猫だった。
車の多い国道ぞいで保護したのは、とりあえず安全な場所に連れて行こうとゆう事だったらしいが、どうゆうわけか即座に「うちの子になるかい?」となったのは、縁とゆうやつなのだろう。
そうと決まれば名前を付けなければと言う事で、当時家内が弾いていたウクレレのメーカー名からマウイと名付けた。(猫を意味するマウにひっかけたのは言うまでもないか?)
両手のひらに乗る程だった子猫も、最盛期には8キロオーバーの大猫であった。
猟が得意で、鼠や雀はもちろん小さな蛇やコウモリ迄捕まえて来た。
殺鼠剤(猫いらず)を食べて死にかけたり、マムシに噛まれたりした事も有ったが、たいした怪我や病気も無くすこぶる元気だった。
ところが、ある日ご飯を全くを食べなくなり、2、3日様子を見て病院に連れて行くと、腎臓の機能が低下していると言われました。
そのまま三日間入院して治療を受けたが、その甲斐も無く、慢性腎不全と診断された。
それは余命わずかと宣言されたとゆうことであり、すごくショックだった。
何かの間違いであってほしいとの想いで他の動物病院にも行ったのだがやはり同じで、ただ「おそらく先天的に腎臓が弱かったのでは。」と言ってもらえたのは救いでした。
何しろ体が大きかったので、きっと長生きしてくれるだろうと思い込んでいたが、逆にそれがあだになったのかもしれません。
飼い猫とはいえ、マウイは好き勝手にさせていたので、外で鼠を捕まえて食べたり、縄張りを守って喧嘩したり(去勢はしてありましたが)、その辺は野良猫とあまり変わりなかったのも短命の理由だったのかと思います。
少しでも永く生きてほしくて延命治療をしたのですが、まるでそれを拒否するかのように全くご飯を食べませんでした。
結局持ったところで数ヶ月、我家にとって経済的負担も大きく、マウイも病院に行くのが非常にストレスなので、後は自然に任せる事にしました。
しばらくはご飯を食べない事を除けば、以前と変わらず機嫌良くしていましたが日に日に弱って行き、最後はどこかに姿を消すつもりだった様です。
しかし結局最後は家で死に、庭の片隅に(いつも居たあたりに)埋めてやりました。ご飯を食べなくなってから一月後の2007年6月23日の事です。
今でも写真を見たり、思い出すたび悲しくなるのですが、最後にまた大切な事を教えてくれた気がします。
悲しさは悲しさとして、2007年12月20日我家に子猫がやってきました。
シャイと言います(雑種の女子)。
やはり猫の居ない生活はなんだかもの足り無くて、いつかはまた飼うつもりで居たのですが・・・・。
10月のある夜ハッチの店に行くと、掲示板に猫の里親募集の張り紙が有りました。
ハッチの妹のMちゃんによると、ゴミの日にスーパーのレジ袋に入れられて、捨てられていたのを、店の常連さんの友達が保護したのだそうだ。
生まれたばかりで2匹のうち一匹だけが助かったのだが、保護した人は事情が有り飼えないとのことだ。
「かわいそうやろ!飼うたりん!!」と言われたのだが、旅行が控えていたし「今度こそトラ猫て決めてんねん!!」とその時は言ったもののずっと気にはしていた。
旅行から帰り、1月がたち2月がたってもまだ貰い手が見つから無いらしくやはり気になる。
一度どんな猫か逢ってみたいと連絡すると、「とりあえず2、3日様子を見て下さい。」とゆうことで我家にやって来た・・・・そして今家の猫である。
結局はまたトラ猫では無くしかも女の子で、名前も既についていました。まあこれも縁とゆう事で・・・・。
やって来た日は警戒していたのかおとなしかった。まさに借りて来た猫とゆうか猫を被っていたのである。
日に日にお転婆になり、先が思いやられるやんちゃぶりである。
生まれてすぐ捨てられたせいか、ちゅぱちゅぱ吸い付いてくるのには(母猫の乳首を吸うように)閉口する(かなりしつこい)。
音楽は好きらしくアコーディオンの音も平気で、得意技はジャンプとデングリ返りだ。
人見知りはしないようなので、看板娘になってくれるか?期待する所です。