りいことリウマチ
1.痛みが始まる以前
小学6年生の秋口に、母が「私立の学校受けない?」と言いました。クラスで何人か、塾に通っている子がいて、「自分も力試しをする機会があったらなぁ」と思っていたので、母からそう言われたのはとても嬉しかったのです。取りかかるには遅かったのでしょうが、受験することになりました。塾には行きませんでした。参考書を買って貰って、毎日夜遅くまで机に向かっていました。そして滑り止めなしで2校受けました。合格圏にはあった学校でしたが、やはり塾など行かず場慣れしていなかったし、ひどい風邪をひいてしまいました。みごとに2校とも不合格。クラスで全く同じ2校を受けた子は両方合格でした。母が一番気の毒でした。「塾に行かせなかったら落ちちゃった」と思ったみたいで。私は少しがっかりだったけど、合格発表のその日もちゃんとピアノのお稽古に行きました。「あの子は気にしてないみたい」と母が他の人に言ってました。そんなことなかったのだけど、子供なりの気遣いだったのでしょうね。
 そんなことがあったから、中学では勉強頑張らなきゃ、と思っていました。高校は母に恥ずかしい思いさせないように、って。なんてけなげなんでしょう。念願の塾に通い始めました。その甲斐あってか、学校ではまあまあの成績で3年間過ごしました。中学は越境していて、地元から20分くらいかかるところにありました。電車で一駅乗って。部活はブラスバンドで、これもそれなりに頑張っていました。希望の楽器につけなかったのでちょっとサボリ気味だった・・・かな。塾は学校の近くにあったけど、たいがい一度帰宅してからご飯食べて、また塾に行く、という生活をしていました。だからクラブに出た日はかなり過密スケジュールでしたね。一度、買って1ヶ月も経っていない6ヶ月定期をなくしたことがありました。また買って、と甘えることができなかった私は、徒歩で学校まで通うことにしました。これが朝なんか人通りのない道で、時々「ヘンな人」がいるのです。痴漢ですね。(あんな子供相手にしたって・・・と今ではおかしいのだけど)もう恐くて、全速 力で道を走りました。歩いて30分の道のりを。そんな毎日が、私の脚力を多少とも鍛えてくれたようです。体育ではどの競技でも秀でたことのなかった私が、その年の耐寒訓練(一年の一番寒い時期・大寒をはさんで一週間、早朝に登校してマラソン・剣道・柔道のどれかをそれぞれ鍛錬するんです。)の納会試合で学年女子3位になったんですよ。その次の年には体育祭で800メートルの選手にクラスの中から選ばれたのですから、私にとってはすごいことでした。私にとっては。
 高校は、頑張った甲斐があったのでしょうか、第一志望には落ちてしまったけど、世間的にはまあネームバリューのある学校に合格してしまいました。半分マグレだったと思います。
 今になって思うと、中学時代までのこういう子供なりに無理して頑張っていたことも、後になってはリウマチの引き金になっていたのかもしれません。

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那由多のお部屋〜那由多と愉快な仲間たち〜
Nayuta und ihre Lusige Leute
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