「<型>が消えてしまったために、<型破り>が出にくくなった」(佐佐木幸綱)


今朝の日経文化欄。佐佐木幸綱が「男女の距離」と題して寄稿。なんでも最近のサンフランシスコの有名レストランではトイレに男女の区別がなくなったという。男女差別撤廃のためらしいが、そのことから始めて掲題の「名言」にまで持っていく佐佐木幸綱の筆力に感服。

男女の間が接近し始めたのは、ヘミングウェイとモンローが死んでからだと言われる。二人の死は、男っぽい男、女っぽい女がもてはやされた時代の終焉の告げる象徴的な事件であったと。う〜ん、これにも納得。

現在は(型がなくなってしまったので)「個性的な顔、表情、キャラクターが見られなくなり、お嬢様とか御曹司とか、ブランドものを見るのと同じ見方で、人を評価するようになってきた」とも。

またしても爺さんのぼやきかと、言いたい人は言うがいい。でも、短歌にしても俳句にしても、<型>があるから芸術なんだよな。

同 じ紙面に、興膳宏氏が偶然同じようなことを書いている。「風流」という漢語には「一定の型にはまらない個人の風格を意味することがある」と。蘇東坡の詩に も三国志の英雄たちを「千古の風流人物」と呼んでいる例があると。この詩を意識して毛沢東はまた「風流人物を数えんには、なお今朝を看よ」と自分が一番エ ライのだと気炎を吐いたとのこと。中国共産党は嫌いだが、彼らエリートたちの古今東西の古典教養はすごい。日本の政治家たちも、もうちょっと勉強しない と、彼らとの会話のニュアンスについて行けないのではないか。

Posted: Sun - April 3, 2005 at 03:29 PM           |  


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