『漱石とグールド 8人の「草枕」協奏曲』(横田庄一郎編)
カナダの天才ピアニスト、グレン・グールドの生涯の愛読書は漱石の「草枕」であった。臨終のとき、枕元にあったものが「聖書」と「草枕」だったというのだからすごい。この本は、漱石とグールドにどういう関係があるのか、8人の専門家が分析するという趣向。メモ。
この本:本を読み始める前に、まず自分流の謎解きをと、グレン・グールドのバッハを聴きながら「草枕」を精読。「草枕」の文章は密度が濃いので丸一日かかる。対象との距離感を重視する「非人情」の世界と関係があるのかな〜と漠然と感じたが、それ以上分からず、降参して「解答」を読むことにした。最初の論者アラン・ターニー(彼が英訳した「草枕」をグールドは読んでいた)によれば、グールドは芸術家のスタンスにおいて漱石に大いに共鳴したのであると。漱石は「草枕」で芸術家の孤独の境地である「非人情」と「憐れみ」と融合させた、それが熟成して晩年の「即天去私」に繋がってゆくとのこと。これはまさにグレン・グールドの課題に他ならないと。納得した。サイッデンステッカーやドナルド・キーンばかりじゃなく、日本文学の解説は英米人が書いたものの方が分かりやすい。カナダの翻訳家サダコ・グエンの分析も興味深い。寒がりのくせに極寒の「北」に憧れたり、典型的な夜型都市生活者であるに拘わらずソローの『森の生活』を愛読したグレン・グールドは「南画」としての東洋的「草枕」の世界に憧れたのだという。「草枕」で漱石が重要な意味を持たせたミレーのオフィーリアの絵にグールドが参ったと。そういえば「猫」も最後は溺れて死ぬ。「草枕」がグールドの音楽にどういう影響を与えたのか? サダコ・グエンによれば「ナッシング」とのこと。アラン・ターニーと同じく、グールドにとって漱石はあくまでも「芸術家の人生」を考える上での指標だったとの意見。ここまで分かると、後に続く音楽評論家の先生方の論評は読む必要がない(実際つまらなかった)。経済と同じで、無駄なところにエネルギーをつぎ込んでも何も出てこないのである。現代ニッポンには、この手のエネルギーの浪費が多い。
Posted: Thu - April 10, 2008 at 02:23 PM
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