Le Monde
サダムは生きていた
2003.3.25
003.3.25
サダム・フセインが再びテレビに現れましたが、先週と
は打って変わってえらく元気な様子でした。死んでなかったのだ。悪い奴ほど死なない。イラクの人々も「解放軍」に花束で歓迎する様子もありません。やっぱ
り簡単にはいかない。せめて早く終わってくれればいいのですが、悪い予感もします。
par Pierre
Georges
Saddam
toujours
サダムは生きていた
なんたる馬鹿げた考え方であったか、戦争とはきれい
な、無菌室で行う外科手術みたいなものであるとは。なんたる馬鹿げた考え方であったか、すべての人々が熱狂して喜び、爆撃にも辛抱しながら解放侵略軍が来
るのを待ち、侵略解放軍に花や果物やキッスで歓迎するだろうとは。なんたる馬鹿げた飛んでもない自惚れた考え方であったか、軍事侵攻とは健康のためにやる
散歩みたいなもので帝政時代の軍隊行進みたいなものであるとは。なんたる馬鹿げた考え方であったか、イラク軍は砂漠で戦争するのはいやなので多分町の中で
降参するだろうとは。
これらはすべて間違っていた! 少なくとも現時点に於
いては間違っている。これらはワシントンの国防総省のタカ派達が自分の戦争を売りつけるために(承認して貰うために)言ってきた事だ。ずっと彼等の計画を
実行しようとして言い続けてきた事だ。すべて見通しているという戦略論がいつも陥る過ちである。すべて見通していたはずだが、見通せなかったのは一旦は負
けて戦闘意欲を無くしていたはずの敵が、後で急に味方に多大の犠牲を強いる抵抗を始める事であった。
月曜の朝9時、たった今だが、サダム・フセインが再び
イラクのテレビで演説をした。多分生放送らしいが、録画であっても大した違いはない。とにかく戦争が始まって5日目、彼はその状況に基づいて演説をしたの
だ。明白な言葉で長時間に渡りイラク南部のウム・カサールやバスラで戦っている「英雄的な」イラク軍部隊について言及したのである。ということは、実際の
戦争と切っても切れない関係にあるテレビ映像の戦いに於いては、このイラクの独裁者は小さいながらも確かな勝利を手にしたのである。
まず最初に、彼は彼がまだ生きている事を示した。生き
ているばかりか、先週の木曜日にテレビに出てきたグロッキーになった老いぼれみたいな人間とは打って変わって、この言葉が妥当かどうか知らないが、ずっと
元気で生き生きして見えた。サダムがまだ生きている事には疑いの余地はなく、替え玉でも影武者でもないのだ。サダム・フセインは完璧な制服姿でまだ生きて
いるのである。これはこの数日流付していた彼が死ななかったにせよ重傷を負っているという噂を完全に否定するものであった。
彼がサダムのクローン人間でもない限り、サダム・フセ
インは三つの重要な事を、この映像の戦争に於いて、述べた。一つは、サダムがまだイラクを掌握している事。もう一つは、イラクはまだ抵抗を続けている事。
そして三つ目は、イラクの「聖戦の英雄達」は自国内に入ってきた「呪われた敵」に対して「死ぬまで立ち向かう」ということ。別の言い方をすれば、この宣伝
戦争ではなく実際の戦争に於いて、このイラクの独裁者はどっかの深い地下司令室に隠れながら、敵側が確実に起こるとは予想していなかった事を約束したので
ある。それは泥沼化する白兵戦が町から町でバグダッドに到るまで繰り返されるという事である。
これが月曜日の朝の出来事だ。サダム・フセインはまだ
しゃべり続けているし勝ち誇っている。もちろんこれは彼が本当のことを話しているという事を意味しないし、地上戦の戦況が彼の言っているとおりだという事
でもないだろう。ただ、この週末に見られた多くの映像、捕虜や戦死者や爆撃や民間犠牲者やバグダッドで撃墜されたという飛行機のパイロット狩りなどのプロ
パガンダや反プロパガンダの映像のやりとりなどのヴァーチャルゲームのようなテレビ化された戦争と伝説は、すべてお仕舞いという事である。本当の戦争とな
るのだ。本当の戦争に於いては、人は死に、嘘をつき、隠れ、しくじる。テレビの「やらせ現実ドラマ」ではないのである。
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ARTICLE PARU DANS L'EDITION DU 25.03.03
Posted: Tue - March 25, 2003 at 10:19 AM
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