なぞなぞ(ネット系):吉野家牛丼とかけてブラックバスと解く、そのココロは?


どちらも「有名人」は近寄らない。行く時はこっそり行く。

昨日ブラックバスに付いて日頃考えていることを書いたら(これ)、至る所から超弩級に非難の嵐。気の弱い散人はすっかりへこんでしまった。まともなことを書いたつもりなんだがな〜。

同じよなことが前にあったな、と思って考えると、以前に「吉野家牛丼はうまい」と書いたときにも(ここ)同じような集中攻撃を受けたことを思い出した。それで思い出したのは、有名人は吉野家に行くのを報道されたくないらしいという事実(これ)。有名人ともなると、好きな吉野家牛丼も大ピラには食えないのだとお気の毒に思った。

ブラックバスについても同じようなことが言えそうだ。以前はバス釣りしていた「有名人」たちも、最近はすっかり口を閉ざすようになった。なんでだろう?と思っていたのだが、昨日の「超弩級」非難の嵐で分かったような気がする。

大衆はいったん巻き上がると止め処がない。特にナショナリズムが絡んでくるとどうしようもない。イギリスのジンゴイズムを見るまでもないが、アホ・ブッシュのイラク戦争ですらアメリカ国民の大多数はブッシュを支持した。人類は性懲りなく同じことを繰り返してきたのである(幸いイギリスはその後ジンゴイズムから少しは進歩したみたいだが)。それが人間であるとすれば、それに迎合する政治家が当然出てくる。マスコミもそうだ。政治家、マスコミ、大衆の相乗効果でもって、ジンゴイズムは増大してゆく。現代日本を支配する「米国牛肉は危険、それを無理矢理日本に押し付けようとする米国はけしからん」とする大衆感情と「ブラックバスは悪い、絶滅種はグローバリズムと格差社会の犠牲者で可哀想、ブラックバスはグローバリズムと競争社会の象徴」とする大衆感情の前には、人気商売で飯を食っている「有名人」は平伏するしかないのである。だから天然常識人の糸井重里も(バス釣りゲームを作った以降)最近は何も発言しない。悲しいことである。

まるでトックヴィルを読むようだ。最近トクヴィルの本が読みやすい翻訳で再刊行されたらしい。これ↓

アメリカのデモクラシー (第1巻上)
アメリカのデモクラシー (第1巻上)トクヴィル

岩波書店 2005-11
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日本の現状はトクヴィルの警鐘する「衆愚政治」ではないかと愕然とした。でも、やはりトクヴィルの言うように「民主政治とは(時間がかかるが)自ずと自分の誤りを正す」ことに期待したい。

そこで急に考えついたのだが、現代日本で「自分の飯の種に直接的に効いてくる悪影響」を気にしないで発言できる人たちとは「隠居世代」だけではないかとと言うこと。隠居には守るべき世間体も所属団体に対する遠慮もない。自由に発言できるのだ。それでもって飯の種を取り上げられる心配もない。「有名人」とはそこが違うのだ。

いま団塊の世代が大量に定年を迎えている。彼らにとってはもはや遠慮しなくてはいけないものは何もない。何を言っても会社を首になることはないし、収入がダウンすることもない。団塊の世代よ、今こそ自由に発言しようではないか。そうすれば日本も変わるかもしれない。

Posted: Mon - November 6, 2006 at 06:31 PM           |


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