なぞなぞ(酔っぱらい系):トム・コリンズもビールも、同じ帆船?


今晩の日経夕刊。楽しみにしている「グラスの縁から」コラムで作家の東理夫が、ヘミングウェイが「トム・コリンズはよく風をはらんだ帆の快感を思わせる味だ」と書いており、また高村光太郎が「ビールは、ちょうどヨットの白い帆を見たときのような(中略)驚きに似た快味をおぼえる」といたことをあげ「僕もビールに何故かいつも帆船を思い出している」と、「ヘミングウェイも高村光太郎も、洋の東西を問わず、(お酒に)帆船をイメージしている」と結ばれる。ビールとトム・コリンズでは相当印象が違うと思うのだが、何故同じ「帆船」なのだろう?

しばらく考えてみたが、ようやくわかった。ヘミングウェイは、帆を風上から見ていたのに対して、高村光太郎と東理夫は帆を風下から見ているのである。最初のヘミングウェイの文章は、明らかに帆船を操る人の立場からの印象を述べている。帆船の舵手は常に帆を風上から見る。それに対して、高村光太郎と東理夫は遠くから帆船の膨らんだ帆を見ている。普通のヨットのイメージではあるが、それは風下側から帆を見る視角である。

これは単な帆船を見る視角の問題ではなく、帆船を自分の道具としてみているか、単なる風物としてみているかの違いである。トム・コリンズはどっとアドレナリンを分泌させ、闘争心をかき立てるが、ビールは人をして叙情的に風景を楽しませるものなのである。同じ酒でも、同じ帆でも、相当違う。

これに限らず、英米文学は、帆船(セーリング)の基本的技術が理解できないと、それに伴う感覚が伝わらず、わからない記述が多い。

Posted: Sat - September 10, 2005 at 07:07 PM           |  


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