2003.07.27 視点「Weblog (blog) は高齢者活性化の鍵となるか?」


いきなりたいそうなタイトルを付けてしまった。でも真面目である。定年退職後いったい何をして人生をすごそうかと言うことが、多くの人たちの悩みのようだ。本屋へ行けばその手の「参考書」がたくさん売られていることからも明らか。やれボランティアであるとか、趣味を見つけようとか、いろんな忠告が書いてある。要は今までのキャリアをいったん御破算にして「新しい第二の人生」を楽しめと書いてある。しかし人間というものはそんなに簡単に今までやって来たことを切り替えることは出来ない。また切り替える必要なぞもない。延長線上で生きていけばいいと思う。一つの解として Weblog (blog) がある。

Weblog (blog) とは何かと言うことから説明しないと普通の人には分からないだろう。聞いたこともないと言う人が大部分の筈だが、中には情報通も居られてアメリカで大流行している blog とは何かとんでもない新兵器であると考えられている人もいるかも知れない(なんせニューズウィークとかでも社会現象として大きな話題となっているのだから)。でもそんなたいそうなものではない。Web とはホームページなどのこと。Log とは記録。クルーザーをやられた方はご存じだが、log とは航海記録という意味でもある。一定時間ごとに船の位置や進路、観察した外的現象などを克明にノート(ログブック)に記録していくことをさす。だから Weblog (blog) とはホームページの更新記録、ホームページ上の日記「みたいな」ものだと思えばいい。さらにそれに意見表明の要素が加わり、南蛮渡来の趣味のよいソフトウエアのおかげで、誰でも簡単にプロフェショナルな形でできるようになったと言うことだ。

「なあんだ!」と言うところであるが、これが結構オモシロイノデス。従来からの紙に書く日記とか、ネット上のホームページとか、BBS、ネットニュースとどう違うのだと言われると、困るのであるが、全部試してみた上でこれが一番面白いというのが、わが経験的実感なのである。何故か。

やはりこれは blog の持つ「発信性」にある。機械的に読みやすい形で書かれるので自分の書いたものが二三日中に全世界の検索エンジンの検索対象となる。特殊なプロトコール(RSS/XML) を使って自分の書いたものを広く「配信」することも可能だ。個人のホームページでは「ただ人が来るのを待っているだけ」という印象をぬぐいがたいが、blog は技術的により発信性が高い。現実にそれが成功するかどうかは別の問題として「技術的には」個人がマスコミと同じような発信手段を手に入れたと言うことになる。やろうと思えば可能と言うことに過ぎないのだが、この「可能である」という点が大きい。書く姿勢も自ずと異なってくる。

さて、本論に戻り、何故高齢者に blog をすすめるかという点。多くの高齢者は定年退職者である。在職中は責任ある地位についていた人が多いだろう。社会の中で確たる「位置」を保有して居られた方々だ。在職中は発言すれば人は聞いてくれたしそれなりの影響力を行使できた。でもその「位置」とは名刺である。定年退職と同時に名刺を失い「位置」がなくなる。発言したくても発言するチャネルも失うのである。そこで多くの人たちは嫌々ながら今までの蓄積を捨てて「第二の人生」となる。やりたくもないゲートボールや旅行が好きな奥さん孝行だ。悲しいではないか。彼等にはもっと社会的な発言チャネルが与えられて然るべきだと思うのだ。それが blog である。

隠居の生活は自由があって気ままでよいものである。でもその隠居も熊さんと八さんに「知ったかぶり」をすることではじめて人生を楽しんでいるのではないか。熊さん八さんにしても隠居の言うことを真面目に聞いてはいないが、それでも彼等がいなければ隠居の生活はただわびしいだけだ。

老人には鬱病患者が多いと聞く。社会から隔離されたと感じるからだ。同時に一番鬱病にかからない職業は新聞記者であるといわれる。新聞記者は常に自分の意志を発表する手段(チャンネル)を持っているから鬱にはならないのである。老人も自分のチャンネルさえ確保できれば、現実にそれが機能するかは別問題として、いきいき生活できるのではないか。言うべき事は山とあるはずだ。何せ現役時代は「うるさ型」で文句ばっかり言ってきた人が多い。それが急に丸くなるというのは、どこかで無理をしている証拠である。

現代日本社会に大きく欠けている機能といえば、チェック機能である。これがないために企業に政治にガバナンスが効かない。マスコミ評論家のチェック機能は本質的に外部からの「評論」に過ぎないために無力だ。数十年に渡って現場を知り尽くしている定年退職者が、各々の立場から積極的に「発言」するようになれば、日本も変わるのではないかと思う。老人が blog をすると言うことは、老人のためばかりではなく、社会のためにもなるのである。意地悪爺さんが役に立つ場合もあるのだ。

blog とは「言いたいことは山とあるが、言うすべを持たない人たち」のために神様がお与えになった「道具」かも知れない。

Posted: Sun - July 27, 2003 at 05:55 PM           |  


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