日経春秋「まされる宝、子にしかめやも」に異議あり!


今朝の春秋コラム 。春秋子はとても良識派でいつも賛同するのだけれど、今日のはちょっと「??」だな:
今の若い女性は子供を持つリスクに目が行きがちでリターンを見逃しているのでは、などと書くと子育て教徒にされそうだ。ならば、この人も筋金入りの教徒だろう。万葉の官人で「妻子が待ってるので」と宴席を辞する歌も残した山上憶良は金銀宝玉何するものぞと断言していた。「まされる宝、子にしかめやも」
厳密に「リスク・リターン」で考えるとはたしてどうか。

社会通念とか道徳とか言うものは、突き詰めて考えて行くと、そこに必ず経済的合理性というものがある。人を危めない、人のものは盗まない、ウソは言わない、これらすべてそうした方が結果的に個人が得をするということになっている。道徳というものが先にあって、道徳を守る人が得をするように社会制度がつくられてきたとの見方も出来るが、どっちが先かについてはこの際問題ではない。道徳とか社会通念を守ることは経済的合理性を持つとだけ認識しておけばいい。

さて、子作りであるが、子供がたくさんいると云うことは社会的に良いこと、幸せなことと通常認識されている。必ずそこには経済的合理性があるはずだ。いや「あった」と過去形でいった方が良い。昨晩、テレビでオードリー・ヘップバーンが演ずる西部劇なるものをはじめて見たが、あの時代のアメリカでは明らかに子供が多いことは経済的合理性を持った。家族が大きいほど、農作業が進み、敵がやってきたときにも戦うことができる。一方、子供の教育費用はほとんどかからない。まさに「産めよ増やせよ」が通用する社会である。現在のインドなんかでもそうだ。子供が多ければ多いほど、家族は裕福になる(なにせ子供はすぐ働きに出るから)。

人類は何千年もこういう状況で暮らしてきた。だから社会道徳、社会通念もその前提で形成されている。

ところが今の時代を見るとどうだ。子供一人を成人するまで(全部公立学校に通わせて)養育・教育するのに一人あたり2000万円かかるらしい。やっと成人させても、自分の稼ぎから親に仕送りをする子供はむしろ少数派だろう。老後の面倒を子供が見てくれるかと言えば、なかなかそうでもないらしい。親の年金で生活し親を殴る暴力息子も多いという。これでは子作りはまったく合理的な投資としては成立しない。日本の女性の7割は中絶経験者だとか聞いたが、これはまさにこういった状況を反映しているものだろう。子供をつくると損をするのだ。

社会通念とか倫理は、社会の変化に遅れて、あとからついてくるものである。今の日本はちょうど過渡期にある。社会道徳の方が古いのだ。

さて、そうは言っても日本列島に日本人がいなくなってしまったら困る。どうすればいいのか?

やることは子供をつくるという行為が投資採算に乗るように制度改革をすることだ。

育児休暇とかが叫ばれているが、もっと抜本的な改革がなされなければいけない。教育費はなぜこんなに高いのかがまず問われなくてはならないだろう。育英資金融資を大幅に拡大し、子供が卒業後、働きながら教育費を返済する制度を一般化しなければならない(アメリカじゃそれが普通だ)。それからヨーロッパ(ドイツなど)で一般的なようだが、親と子供の経済関係をもっとドライなものとするような制度改革が必要だ。ドイツでは親が生前に自宅を(親が死ぬまで居住して良いとの条件で)子供に売却する売買契約が一般的だそうだ。親子間リバース・モーゲッジだ。その履行をめぐって親が息子を訴訟するケースもあるという。こういう契約も日本ではほとんど見かけない。法的な枠組みが充分でないように見える。

とにかく、今までのように「道徳」だけを理由に、女性に子供を産めと言っても通用しない時代になっていると思うのである。

Posted: Sat - June 12, 2004 at 11:55 AM           |  


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