タイのクーデター:いったい何が「民主主義」なのか、考えさせられるね


今回のタイ・クーデター。タクシン首相のやり方はあまりにひどかったので、やむを得なかったとの見方が大勢を占める。でも選挙をやればタクシンは勝てたのである。ここ:
<タイ・クーデター>内幕 前首相の非常事態宣言察知、決行 | エキサイトニュース: "タクシン政権の汚職体質が深刻化していたのに、ばらまき型政治によってやり直し選挙でも与党勝利が予想され、クーデター以外にタクシン政権を断ち切る手段がなかった"
タクシンは農村部へのばらまき政治により、農村部で圧倒的な支持を集めていたのである。そのツケを都市住民が払っていた。タイの都市住民の方が、日本の都市住民より権利者意識が高い?

タクシンのやり方は、一票を安く買える農村部にカネをばらまくことで合計金額では「安く」「多く」の票を買い、自分の政権基盤を固め、それで勝ち取った政治権力でもってがっぽり「都市部」で儲けるというパターン。なんだか日本の戦後の保守政治を思い出す。小沢もこれの再現を狙っているのかも。金権政治だと批判するのはたやすい。でもこれも「一票」の重みを重視した「民主政治」であったことも確か。トクヴィルじゃないけれど、考えさせられるな〜。

そんなことを考えていると、NHKの6時のニュースで、イラク・クルド人自治区の話が出ていた。イラクの石油の半分を保有する(キルクーク油田)クルド人たちは、今や大変な景気。中央政府から独立を目指す運動が広まっているという。シーア派は南部の油田をもっている。サダムの基盤だったスンニー派の居住区には油田はない。スンニー派は「イラクは一つ、地方の独立なんかは許せない」と喚いているが、要は今まで人の財産で食っていてそれができなくなって困っていると言うことに過ぎない。

そこではたと思い当たった。これは「民主政治」であるとかの問題ではないのだ。「ナショナリズム」と「グローバリズム」の対立なのである。クルド人にとってはイラク人である以上に、グローバル市民であることの方が重要なのだ。スンニー派が「ナショナリズム」を主張しているのは、クルド人自治区の石油の儲けのピンハネを考えてのこと。どっちもエゴイストなのであるが、クルド人の方が自然流だ。タイ・バンコックの市民についてもそういうこともあるかも知れない。つまり、「ナショナリズム」を主張するやからは、常に、他人のカネで食っている「弱者」であるということ。

それにつけても、思うことは、日本人の経済意識は遅れていると言うこと。日本の都市住民は自分が日本のGDPの大部分を稼いでいるというのに、そのほとんどがピンハネされていることを不思議とは思わないのである。貧乏人の都市住民に限って「安全で環境にやさしい」という「高価な」いわゆる自然食品に固執する。おかげで都市住民はぼられてどんどん貧乏になりイナカは豊かになる。戦後のある時期、都市住民のほとんどは地方出身者だったときは(自分の親元への所得移転であり)まだわかるが、今やほとんどの都市住民は都市生まれではないか? 地方への所得移転のメリットを享受できないのである。

日本人のイエスとノーがはっきりしないのは、瞬間的に損得勘定の計算ができないからではないかと昔書いた。やはり、そうなのかも知れない。

Posted: Sun - September 24, 2006 at 07:28 PM           |


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