「富士五湖」という名前はコンクールに優勝を狙って付けられた!


富士北麓の本栖湖、精進湖、西湖、河口湖、山中湖の五つの湖は「富士五湖」とまとめて呼ばれるが、これは昭和2年に始まったとのこと。その動機が、またケッサク。

山中湖情報創造館で借りた内藤成雄『富士北麓と文人たち』という本を読んでいたら、「富士五湖」という名前の由来に関して面白い記述に出くわした。すなわち、こういうことらしい:
昭和2年、東京日日、大阪毎日新聞(現毎日新聞)は鉄道省後援で「日本新八景」選定のため国民の葉書投票を企画した。部門は湖沼・河川・温泉・山岳等八部門、富士北麓の各湖はそれぞれの名前で湖沼の部に投票をはじめていた。然しバラバラ投票では効果が上がらなかった。前記「富士山麓史」によれば、『この時、堀内良平(富士急の創設者)の胸にひらめいたのが「富士五湖」の名であった。(略)良平は新聞社に行き「富士五湖」の新名称で投票することの了解を取ると共に、自社の株主に一株一枚の投票を呼びかけた。締め切りまでに富士五湖に寄せられた票は360万票、湖沼の部日本一となった』とある。

この堀内良平という人物、なかなか商売がうまい上に、新聞記者上がりだけにキャッチの才もある。

この本、他にもいろいろ面白いことが書かれている。晩年の太宰治のノイローゼを心配した筑摩書房の社長が、太宰が尊敬する井伏鱒二といっしょに河口湖の天下茶屋に逗留させる手はずを整えていたのに、太宰とすれ違いとなったばかりに一日遅れで太宰は心中してしまったとか。太宰は天下茶屋からの富士の眺めを「風呂屋のペンキ絵のようだ」と悪口を書いているが、実際はとても好きだったらしい。

富士北麓と文人たち
内藤 成雄

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Posted: Wed - April 20, 2005 at 12:38 PM           |  


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