NHK:その時歴史は動いた「邪馬台国はどこか」


今晩の番組:
番組表: "の時 歴史が動いた 歴史の選択「邪馬台国はどこか〜近畿説VS九州説〜」 携帯で投票募集"
常識で考えればいいと思うのだけれどな。

視聴者投票では、圧倒的に「九州説」が多数を占める。でも、それはないと思う。理由:
  1. 3〜4世紀の出土品は圧倒的に近畿に集中している。つまり当時は近畿が日本の中心であった。日本を治めていた卑弥呼も出土品の中心にいたと考えるのが自然。邪馬台国とはヤマトのことなのである。
  2. 当時の日本の支配者であった卑弥呼は明らかに大陸文化とは異なる文化の持ち主であったことは魏志倭人伝で明か。これは大陸的な要素を有する九州的な政権ではない。九州は大陸と半島の、ニッポン征服のための「橋頭堡」であったと考える方が自然である。
  3. 日本書紀の神武記では、神武軍に征服されたそれまで日本の支配勢力であった奈良盆地の住民は「肉体的・身体的に」普通の人(彼ら神武軍)とは違う人種であるとも書かれている。つまり征服王朝は異民族であった。
  4. つまり九州を橋頭堡にした大陸騎馬民族が卑弥呼の邪馬台国の後継であるヤマトを征服したと言うこと。埴輪の武士の服装が騎馬民族の衣装である「ズボン」を履いていることからも明か。
  5. 日本書紀においては、ヤマトを征服した神武軍がどこから来たかは書いていない。最初に征服したのは福岡、次に吉備(岡山)、だんだん東進してヤマトにいたる。ものすごい近代的兵器(軍船とか調教された軍馬とか鉄製の鏃を)装備していた。ニッポンナショナリスト歴史学者は「神武は日向から出発した」と主張するが、九州の南部の一部族にこれだけの大進撃をするだけの能力があったとは、とても思えない。
  6. 昭和天皇は、韓国訪問の際「天皇家の祖先はこちら(半島)から來ました」と明言している。

これだけ考えれば、ニッポンの朝廷は大陸・半島からやって来てヤマトの邪馬台国文化を滅ぼしたと考えるのが、普通の常識。でも、こういう常識が通用しないのは、ニッポンナショナリズムのおかげ。人々は、自分が信じたいことしか信じないのである。

Posted: Wed - March 14, 2007 at 11:17 PM           |


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