武田百合子『富士日記』を読んで時間を潰す、中村真一郎の後書きも面白かった!
今日は暖かく、午後ヤマガラなんかと遊びながら、テラスで『富士日記』を読む。武田百合子の文章は何度読み返しても面白い。でも今回は、中村真一郎の「後書き」に大いにワラッタ。
武田百合子の『富士日記』は独特の魅力があり、いつ読んでも楽しい。ああいう文章が書けるようになりたいものだと思う。日常の出来事をそこはかとなく書きつづっただけのものであるから、どこから読んでもいいし、どこで読み終わってもいい。時間つぶしには最高の娯楽だ。面白さ、保証付き。武田百合子についてはいろいろ感じるところがありすぎるので、書き出すときりがない。それよりも中央公論社の『武田百合子全作品1』の後書きの中村真一郎の文章にコメントする。抱腹絶倒。中村真一郎氏は書く(抜粋):- 武田百合子さんは長い間わたしたち夫婦のごく親しい友人であり、私に対する独特な深い理解者であった。
- 「私、武田(泰淳)が死んだあとで、中村さんに会うと、武田の代わりに中村さんが死んでくれたらよかったのにと、思ったものよ」と、私の家内に向かって、けろりとして行っていた百合子さんが、私より先に逝くだろうとは、一度も予想したこともなかった。
- (武田百合子が緊急入院したとき)個室のほの暗い片隅に、一回り大きくなったような、むくんだ顔の輪郭が目に入った瞬間、すぐ私は目を外らした。
- (武田)泰淳さんから、いきなり百合子さんと結婚しようと思うと打ち明けられ、そして夫婦生活における女性の生理的方面について、思いもかけない空想的質問を受けて、(中略)なんと時代離れをした人物かと、拍子抜けした覚えがある。
- 『富士日記』を最初に読んだとき、(中略)その才筆にも感心したが、同時にあの日記に精しく記されている日常の食事の簡素ながらもヴァラエティーに富む豊かさに、すっかり羨ましくなった。
- 少年時代から孤児暮らしの私と、家で娘同様のわが細君とによるわが家の食事は、学生結婚同様の単純を通り越して粗末に近く、(中略)山暮らしの武田家の食事の「豪華さ」にわたしたち夫婦は圧倒された。
- それで早速、その感想を百合子さんに告げると、あの本を読んだある編集者が、「武田家は随分、質素な食事をしているんですねえ」と驚いていたとのことで、世の中の上下の隔ての大きさを、改めて思い知らされたものだ。
- ところで、今回この「全作品」の第一巻の巻末に文章を書くようにと言うので、その『富士日記』(上)の校正版を読み直してみた。私の名前は一度も、この日記には登場しない。(他の人は沢山登場するのに)
- 武田夫妻と坊津の島津家の別邸跡への見学に出かけたことがある。私は丸に十文字の薩摩琉球王国の国旗を見た途端、地面に向けて激しく吐いてしまい、我ながら自分の地の中に眠っている維新以来の薩長への違和感の強さに驚いたものであった。それを見ていた泰淳さんは、私を富士山荘に招くに当たって、壁半分に大きな葵のもんを飾ってくれた。手間暇をかけていたずらをするというのも、東京育ちの子供の癖だ。
- 泰淳さんが亡くなって、その悲しみから脱却するための、数年間の百合子さんの荒行ぶりのすさまじさは、いくらユーモワまじりでもとても聞いていられなかった。それはほとんど狂人の所業、地獄降りに似ていた。その経験をあからさまに記述したものが、今回の「全作品」に入っているのだろうか。
かなり屈折した文章。はっきり言って、これは悪口ではないか。武田百合子も中村真一郎とは、しっくりいかなかったのだろう。だから日記には中村の名前が出てこない。それで中村真一郎は、怒ってしまったのである。二人は武田泰淳と百合子が結婚する以前からの付き合い。どういうことがあったのか、知りたい。食い物に対する「羨望」は人間的。百合子の献立は、朝からカレーであったり、お好み焼きだったりして、まさに「珍奇を通り越してケッサクに近く」、散人も「すっかり羨ましくなった」。中村真一郎の「薩長ぎらい」も興味深い。
Posted: Fri - March 2, 2007 at 07:35 PM
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