NHKニュース;北京大学生と東大生の交流フォーラム‥…考えさせられたな〜!


さっきやっていたNHK首都圏。東大生が日中問題解決の一助にと交流フォーラムを企画実施したと。その志や、えらい。でも、彼らの発言を聞いていると、発言内容とはまったく別の観点で、とても考えさせられてしまった。

両国の学生は英語で話している。どっちの学生の英語も、なかなかのものだ。でも、決定的な差があった。東大生の英語は流暢ではあるが言語的に(内容ではなく表現方法で)論理が不明確、それに対し中国人学生の英語は、英語はそれほどうまくはないにしてもとても論理的であったということ。まざまざと違いを見せつけられた感じで、驚愕した。

思うに、中国人学生は、自分の国の言葉(漢文)をそのまま英語に直訳しているのだろう。これがまさしく英語になっているのである。漢文と英語は言語構造が同じばかりではなく、論理の組み立て方である文章構成自体が似ていることによる(漢詩は実に英語に訳しやすい)。中国人にとっては、英語をしゃべろうと思えば発音なんかは全く関係なく自分の言葉を単語帳で置き換えればそれですむのである。それに対して東大生の英語は、発音もいいし、口語的表現フレーズの多さにも長けてはいたが、肝心の論旨が言語的に(少なくとも英語的には)不明確なのだ。東大生の英語はまさに「感性の世界」だ。

日本人も昔は漢文を使って「日本書紀」を書いた。非常に明快な歴史書である。それが「源氏物語」あたりを境として、情緒的な文章がのさばり始める。その運動の推進者は、本居宣長。日本語は情緒の世界に入っていった。それでも江戸時代のサムライ階級は漢文に親しんだ。だから明治時代のエリートは誰もが英語がうまかった(漱石なんかの英語のスピーチの録音は残っていないが、明治世代の後継者であるアホ松岡洋右の英語演説はフィルムで残っている。なかなかのものだ)。明治の人はえらかったとされているが、子供の頃に暗記させられた漢文(白文)をそのまま英語に翻訳したにすぎない。それでも見事な英語になった。

現代日本の英語教育に付いて云々するつもりは全くない。言いたいことは、英語民族(ひいては欧米語民族)にとっては、中国人の話し方の方が日本人の話し方よりも圧倒的に親近感を覚えるということである。同じ文化を共有している民族との実感を持つことができるのだ。

そんなことはニッポンには関係ない、欧米のアホにはわからなくともニッポン文化は日本人に愛されさえすればそれでいいのだと公言する「大アニメ作家」もいる。日本市場は大きいから、商業的にはその通りかもしれない。でもそれでは、ニッポンはますます国際的に孤立するのではないか。

今週の「週刊新潮」でアホ櫻井よしこが書いていることによれば、米国下院で日本の歴史認識を非難する決議案(歪んだ歴史認識を放置し櫻井みたいな歴史歪曲主義者を放置した日本政府の無責任を非難する決議案)がまさに可決されようとしているとのこと。櫻井は日本の宣伝工作が稚拙だったからだと言っているが、そうではないだろう。散人が前から書いているように、アメリカはいざとなれば日本より中国を選ぶ。それは経済的・政治的価値観からというよりは、文化的価値観を共有しているかどうかによるのである。

櫻井よしこに代表される、子宮(ないしは陰茎)に訴えるだけの「ヒャクショウイズム」がニッポンを支配しているようでは、日本は国際的に孤立してしまう。

Posted: Thu - October 5, 2006 at 07:27 PM           |


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