1/14 Today
額田王「熟田津に……」と詠む(661)
万葉集に名歌を残した額田王とは不思議な人物である。どうも宮廷における高級巫女のような立場にあったようだ。斉明6年(661)女帝の斉明天皇は百済を助けるために自ら大軍を指揮して大和を出発。1月14日に船団はいまの道後温泉あたりの熟田津に到着。そこで潮待ちをする。その時、額田王が詠んだ歌とされるのがこの有名な和歌:熟田津に船乗りせむと月待てば潮もかなひぬいまは漕ぎ出でな
女性でありながら、まことに堂々とした力強い歌だ。巫女的な指揮官だったのか。
正確を期して言うと、この歌を詠んだの1月14日より少し後だろう。日本書紀によれば「14日に熟田津に泊まる」とあるだけだが、犬養孝先生のご調査によれば、あの付近の潮の流れが西行に適する時期は旧暦の22,23日ごろであるという。一週間近く潮待ちをして出発したのかも知れない。額田王といえば次の歌も有名:あかねさす紫野行き標野行き野守は見ずや君が袖振る
この説明をすると長くなる。要は不倫ぽい歌だ。壬申の乱の原因がここに潜んでいるとする説もある。額田王は中大兄皇子(天智天皇)と大海人皇子(天武天皇)の両方を夫とした女性なのだ。この歌の野守とは天智天皇(中大兄皇子)、君とは天武天皇(大海人皇子)ともとれる。まことに大胆な女性であった。もちろん酒宴の際の座興の歌だとする説が有力なのも知っている。当時額田王は40歳を超えていたから艶っぽいことはなかったというのだが、それこそエイジズムではないか?(初出:2004.1.14)それにしても当時の日本は「チャングムの誓い」の世界そのもので驚く。2007.1.14
追記田辺聖子の『文車日記』を読んだら、冒頭に額田王の話が出てくる。「不世出ともいうべき天智・天武の偉大な帝王たち。この非凡な男たちの双方から愛された女人は、なお、非凡といわねばなりますまい。それが額田王です」と田辺先生たいへんな思い入れ。上記の「あかねさす……」の歌については「座興的にうたい交わしたらしくみえる歌に、中年の男と女の、ずぶとい、したたかな、恋の未練を感じます。豪快な感じさえあります」と仰せ。そうか、額田王は図太かったのだ。田辺聖子といえばNHK朝ドラの「芋たこなんきん」。放送の一つ一つは面白いのだけれど、次回はいったいどうなるのだろうという緊迫感に欠ける(だって結果はみんな知っているから)。視聴率はどうなるんだろうね。
Posted: Mon - January 14, 2008 at 07:19 AM
|