8/14 Today J・キュリー没 (1958.8.14)


J・キュリー(Joliot-Curie,Jean Frederic)とはマリー・キュリー(キュリー夫人)の娘婿。よく知らないがエライ物理学者。でも今日は彼のことではなく、彼の義母に当たるキュリー夫人について考える。キュリー夫人の艱難辛苦は有名だが、彼女は貧乏以外にも戦わなくてはならない大きな障害があった。

キュリー夫人の伝記は小学校の図書館には必ずおいてある。パリに出てきた貧しい少女が貧乏と不幸と戦いながら遂に栄光を手にする。日本人が大好きな一生懸命物語である。二宮尊徳の石像と共に『キュリー夫人伝』は小学校にはなくてはならないものだ。でも彼女は貧乏以外にも戦わなければならない敵があった。人種差別である。

マリー・キュリーはポーランド国籍のユダヤ人である。当時のヨーロッパの反ユダヤ感情にはすさまじいものがあった。マリー・キュリーの名声が上がると共に、彼女に対して嫉妬の燃えた反ユダヤ主義者たちは、彼女の同僚教授との不倫スキャンダルまでも捏造し彼女の二度目のノーベル賞受賞を阻もうと画策した。ドレフュス事件があった時代である。でもマリー・キュリーはその障害を乗り越え二度目のノーベル賞を受賞する。

ドレフュス事件ではゾラが己の身を挺して反ユダヤ主義者を弾劾した。歴史に残る名文「我弾劾す」を新聞に発表。名誉毀損裁判となりゾラは国外に亡命せざるをえなくなる。今どきの日本で多い自分の身は絶対安全であることを承知しながらやっている大甘の「○○反対、○○反対運動」とは訳が違うのだ。

フランスにおいて反ユダヤ主義が抑えられたのもこういった果敢な戦いがあってこそだ。ドイツではこれがなくナチスの台頭を許すこととなる。日本に於いては差別の対象こそ違え同じ偏見と弾圧があったが日本の知識人たちは何も出来なかった。永井荷風は社会主義者幸徳秋水の死刑判決に対して何も出来ない自分に絶望し、江戸戯作者への道を進むこととなる。おかしなこととは戦わねばならない。間違ったことは是正しなければならない。でも彼等は何もやらなかった。

余所の blog (nobilog) で「道の景観」に関する議論があった 。東京に乱立し景観を損ねている電柱と電線を何とかしようとの主宰者の問題提起に対し、若い世代から「そこまでする必要はない、電線と電柱にも美があるのだから」とする議論が出てきたのには正直驚いた。現代日本に於いて、欠けているものがあるとすれば、それは現状改革への意欲と意志である。ゾラとキュリー夫人を見習わねばならない。

話は変わるが、また別の blog (artifact) では、ドーデの『最後の授業』に関する話題で 、ローカル・ナショナリズムの立場からフランス文化のアルザスでの強制を否定的に見る意見が多数出されていた。ちょっと感覚がずれていると思った。当時のパリ文化の求心力は非常に大きなものがあってとてもプロシア文化の求心力とは比較にならなかったからである。マリー・キュリーもそういうパリのエネルギーにひかれてポーランドからやって来た無数の人たちの一人である。今どき誰もキュリー夫人をポーランド人だとは思わない。フランスにおいては出身地はどこであれフランス語を正しく話す人間が、それすなわちフランス人であるからだ。アルザスの人もそうであった。偏狭な民族意識がいまだに強く、在日韓国人がいまだに差別され攻撃される日本の風土はとても未熟である。

Posted: Thu - August 14, 2003 at 11:30 AM           |  


©