1/31 Today わが人生始まりの日 (1946)


戦争がようやく終わり、兵庫県西宮市の山の中の家族に末っ子が生まれた。食糧事情の厳しい時期で、食べるだけでたいへんだった。家の周りの空き地の至るところを麦畑と芋畑にして食いつないだ。庭では鶏を飼った。焼け跡がまだまだ残っており、傷痍軍人が町中に多くいた。小学校も防空用の迷彩塗装が施されてあるままだった。散人の原風景です。

永井荷風はこの日何をしていたのか、『断腸亭日乗』で調べました。「昭和21年1月31日、晴、灯刻中村光夫氏來りミュッセ詩集其他貸輿」とだけ簡単に書かれています。さすがは大文豪、優雅です。きっとその夜、中村光夫とフランス詩の話でもしたのでしょう。

なんで中村光夫が荷風の元にやって来たのか、調べてゆくと実に中村光夫は当時筑摩書房の編集をしていたことが分かりました。荷風が戦後初に公開した『来訪者』の出版担当者だったのです!

これで積年の疑問が解けました。「荷風塾学校通信、荷風の誤植」 で浄閑寺の荷風碑に彫られた「震災」の詩で「紫朝」が「紫蝶」とミスプリントされている話を紹介しましたが、この詩「震災」の初出は筑摩書房の『来訪者』です。今やっと直接の「責任者」を突き止めることが出来たのです。編集担当者の中村光夫が誤字を見過ごしたのだ!

(このエントリーの初出、2004.1.31)

Posted: Mon - January 31, 2005 at 08:50 AM           |  


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