3/28 Today 利休忌
(1591)……利休の茶碗と権威と経済の関係
千利休の命日。裏千家と表千家では一日違うらしい。しらなんだ。千利休(1522-1591)
千家流茶道の開祖とされる千利休(せいのりきゅう)は天正19年(1591)2月28日に秀吉の命により切腹しました。千家ではその1ヶ月後を命日としていますが、その「1月後」の解釈が表千家と裏千家で異なるため、表千家では3月27日、裏千家では3月28日に利休忌を行い、追善の茶会をします。
風雅な茶会はともかく、経済の話を。千利休は朝鮮で拾ってきたような茶碗にエライ値打ちを付けた。「この茶碗は一国一城に値する」とか。これは経済学的にどういう意味を持ったのか?
これは案外奥が深い問題である。ものの価値とは何だという哲学的な命題なのだ。使用価値から考えれば、茶碗は茶碗だ。みな同じ価値。でも利休(その後ろには天下の秀吉が付いていた)という「権威」が価値があると認定すれば一瞬にして一個の茶碗が一国一城の値打ちを有することになったのだ。みんなありがたがって珍重した。
今どきのブランド商品もそんなもんだ。ブランドという記号に大枚を払う。塩化ビニールのバッグを争って買い集める女子供ばかりじゃなく、大の男たちも同じような行動をとるらしい。交換価値が発生し市場で流通するようになる。
紙幣だってそうだ。たかが紙切れに過ぎないものが、お上の権威でもって価値がついているにしか過ぎない。利休の茶碗と変わらない。これを最初に考えた元のフビライはエライ。当時の中国は貨幣の原材料である金銀銅を日本に頼っていたので経済発展に制約があったのであるが、元の時代に紙幣の大量発行を行い(紙幣の受け取りを拒むものは直ちに死刑となった)巨大国家事業を実施したのだ。新大陸からの大量の金銀の輸入で貨幣量を増やし大きく発展した中世のヨーロッパ経済も然り。
こうみてみると、経済の規模が貨幣量を決めるとされているが、貨幣の量が経済の規模を決めるという方が当たっている。
豊臣秀吉は経済のセンスがあった人だったので、このへんの理屈はわかっていたのだと思う。朝鮮に出兵した秀吉は武士達に与える恩賞に困っていた。それまでの国内での戦では敵の領地を没収し味方の武士に恩賞として与えていたのが朝鮮戦争では出来なくなった。だって領土がぶんどれなかったから。そこで秀吉は千利休を操り「一国一城」クラスの茶碗を大量生産したのではないか。これを恩賞として武士達にやる。武士達はとても有り難がった。景気もよくなった。
散人が権威というものをあまり信用しない背景にはこんなこともある。むしろ「このたいへんけっこうな茶碗をぜひお城と交換してください」と云いたいところだ。
最近はやりの安全な「こだわり」自然食品とか、天日干しのお米とか、関鯖とかいうものに大枚を払って喜んでいるのも同じ類の話。「何とか評論家」とか言う権威とやらが言うことを信じてお金を余分に払って有り難がっているのだから、世話はない。
(再掲エントリー)
追記:現代の世界的カネ余りもそうだ。昨年まではそれでえらく景気がよかったのであるが、誰かが「この証券は単なる紙切れじゃんか」と言いだして、パニックとなった。「裸の王様」にあまり本当のことを言ってあげない方がいいときもあるのである。
Posted: Fri - March 28, 2008 at 05:49 AM
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