3/5 Today 團琢磨が暗殺される (1932)……今も昔も農村ウヨはこわい


三井合名会社理事長の團琢磨が「農民血盟団」の一人一殺行動員により射殺された。この年(昭和7年)は嫌なことが続いた。上海事変の勃発、井上準之助の暗殺、5・15事件、重光公使の襲撃、リットン報告書の国際連盟採決を受け松岡洋右代表の「堂々」退場など。ちなみに團琢磨は、日本政府が米国に送った第一回留学生として小学校から大学まで米国で教育を受けた人物。その前夜はリットン調査団といっしょに歌舞伎を鑑賞していた。

團琢磨は作曲家でエッセイストの團伊玖磨の祖父に当たる。團伊玖磨は『パイプのけむり』(昭和40年)でこういう文章を残している。
白衣に覆われた遺骸は、その日の午後原宿の家に帰ってきた。報道陣の人達や、突然の凶変を聞いて駆けつけた弔問客でごった返す中で、八歳だった僕は、父に連れられて祖父に対面した。遺骸を覆っていた白布が静かに取り除かれた時、僕は祖父の白い死顔を見た。顔色は異様に白く、頭髪も白く、綺麗に刈り込まれていた髭も白かった。あたりの喧噪をよそに、白布の上の白い一角だけには異様な程の厳しい静寂が漂っていた。


以後、團伊玖磨は「毎年、春がめぐってくるたびに、僕は遠い昔に過ぎ去っていったある朝の悲しい記憶が蘇ってくる」と書く。


参考カテゴリー:「パイプのけむり」私註


(再掲載エントリー)

追記:団琢磨が暗殺されて以降、日本は軍国主義の奈落に向けてまっしぐらに突き進んで行った。平成の日本でも、小泉改革の主要メンバーは軒並み農村ウヨの政治的テロに倒れ、ニッポンは国際的孤立と経済的衰退へと奈落に向けてまっしぐらに突き進んでいるように見える。

Posted: Wed - March 5, 2008 at 05:50 AM           |


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