6/21 Today 沖縄地上部隊全滅 (1945)……そのとき内地では


牛島司令官以下の日本軍は上陸した米軍に頑強に抵抗したが、ついにこの日、司令官以下ほとんどの将兵は自決し部隊は全滅した。この日の荷風日記。

自宅の偏奇館を焼かれ岡山に逃れていた永井荷風のこの日の日記は、沖縄のことは触れておらず「流寓の身を顧み涙なきを得ず」と自分の境遇を嘆いているのみ。沖縄の事情は内地に伝わっていなかったのだろう。

『断腸亭日乗』昭和20年6月21日より抜粋

「六月二十一日、晴、午前近隣の理髪舗に入る、客の鬚を剃るに西洋剃刀を用いず日本在来の剃刀を以てせり、通りかかりの郵便局にて葉書を買うに一人一枚ずつなりといえり、・・・・午後東京より持ち来たりし仏蘭西訳トルストイのアンナカレニンを繙読す、夕日二階に差し込みきたりて暑ければ出でて門口に立つ、軒裏に燕の巣ありて親鳥絶え間なく飛び來たりて雛に餌を与ふ。この雛やがて生い立ち秋風の立つ頃には親鳥もろとも故郷に帰るべきをおもえば、余の再び東京に至るを得るは果たして何時の日にならんと、流寓の身を顧み涙なきを得ず、・・・・」

トルストイを読んだり、ツバメに涙したりして真面目なもんですが、この後すぐ市内の夜のタウンウォッティングに出かけ「鋭い観察」をしております。荷風お爺さんは相変わらずです。

でもその後1週間に荷風もまた疎開先の岡山で空襲に会い「九死に一生を得る」こととなる。軍人にとっても民間人にとってもたいへんな時代であった。そんな昔のことではない。

Posted: Tue - June 21, 2005 at 07:32 AM           |  


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