2/2 Today 浄瑠璃坂の敵討ち(1672)……犯罪被害者家族は泣き寝入り


浄瑠璃坂とは、新宿の市谷砂土原町にある。外濠から市谷の崖を上る坂で「浄瑠璃坂の敵討ち場所」との史跡看板が立てられているが、当時は鷹匠の屋敷だった。敵討ちたちは鷹匠を頼ってそこに潜んでいた仇を数十人で夜討ちし「見事に」仇の首を打ち落としたとのこと。敵討ちした人たちは後で大島に流されたそうな。忠臣蔵の30年も前の話。

この敵討ちの原因だが、実に些細なこと。漢字の読みをめぐる議論で二人の家臣がケンカをして刃傷騒ぎとなった。切腹した武士の子供がもう一方の相手を仇として全国追い回し、遂にここで仕留めたというありきたりのお話し。ここで注目すべきは、敵討ちした連中は切腹を命じられることなく遠島ですんだということ。巻き添えを食った鷹匠の屋敷では家人が十人以上斬られたのだが、お気の毒としか言いようがない。こういう前例があるので、忠臣蔵の赤尾浪士も切腹ではなく、あっぱれと褒められてあわよくば仕官の道が開けると思っていたのかも知れない。だったら忠臣蔵は詰まらないお話しとなる。

このサイト に詳しい経緯が書かれている。

江戸市民はこの事件に大いに盛り上がったらしい。お手柔らかな犯罪者の処罰方法も市民感情に合致したものだった。まあ、当時の「国民感情」とは所詮その程度のものだったのであろう。でも、鎖国をしていたので国際的に恥ずかしい思いをすることがなかった。

(再掲載エントリー)

Posted: Sat - February 2, 2008 at 07:00 AM           |


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