11/2 Today
死者の日……キリスト教の儀式だが、聖書には書いてないらしい
ここ;死者の日 - Wikipedia : "死者の日(ししゃのひ)はキリスト教・カトリック教会で全ての死者の魂のために祈りをささげる日で、諸聖人の日(諸聖人の祭日)の翌日にあたる11月2日が死者の日となる。"
経緯:死者のために祈るという発想自体は古代から存在していたが、キリスト教の歴史の中で死者の日というものを取り入れたのは11世紀のクリュニー修道院の院長オド(オディロン)であるといわれている。
ペトルス・ダミアニの記した『聖オド伝』にはオドと死者の日についてこんな話がある。聖地から帰った巡礼者が嵐によってとある孤島にうちあげられた。そこには一人の修道士が住んでいた。男はその修道士からある岩を示された。その岩のすきまからなんと煉獄の様子が伺えるというのだ。男が覗き込むと煉獄で苦しむ人々の声が聞こえる。修道士は悪魔が「死者のために祈られると死者の魂が早く天国へいってしまうから不愉快だ」とぼやいているのも聞いたと男に語った。男は故郷に帰ると、すぐにオドに会ってその話を伝えた。そこでオドは11月2日を死者の日と定めたので、こうして死者の霊魂のために祈りをささげる習慣が生まれた。そしてクリュニー修道院から系列修道院へとその習慣が伝えられ、やがてフランスから西欧全体へと広まった。
宗教改革の時代、イギリス国教会で死者の日が廃止されたが、ヨーロッパの国々ではプロテスタントが主流の国であっても死者の日は廃止されることがなかった。マルティン・ルターは聖書に根拠のないすべてのキリスト教伝統を廃止しようとしたが、それでもザクセン地方から死者の日の習慣を廃止することはできなかった。死者の日は単なる教会暦の祝い日という枠を超えて、人々の文化の中に根付いていたのである。フランスでは死者の日になると墓に飾りをほどこし、ドイツでは墓に花を飾るなど地方によって独自の習慣がある。
「悪魔がぼやく」というのが、なんともカワイイ。蛇足:急に思い出したのが、内田先生の下の文章:礼について (内田樹の研究室) : "死者ともコミュニケーションすることができる。 これが人間が動物と分岐した決定的なポイント・オブ・ノーリターンだと私は考えている。"
内田先生はいろいろ難しいことを書かれているが、要は上野千鶴子に腹をお立てになっているようなのだ。言いたかったことはこれだと思う:そういえば、上野千鶴子の『おひとりさまの老後』という本には、「家族の不在(悼むべき祖先の不在、来るべき子孫の不在)を少しも痛みとして感知しない人間」になるための方法がことこまかに書かれていた。
面白そうな本だな。買ってみようかしら:
Posted: Fri - November 2, 2007 at 10:58 AM
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