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『金魂巻』の渡辺和博さん死去(2007)
で、『金魂巻』。あの本はいったい何だったのか。ビンボー人の「背伸び」を馬鹿にするとても嫌味な本であったが爆発的に売れた。国民の99%は「マルビ」であるわけだから、読者は自分が馬鹿にされている本を争って買ったのである。「マル金」の真似はとても出来ないが、少しでも盗むところがあれば盗みたい、一方「背伸びするマルビ」はみっともないので、せめてその真似はやらないでおこう、というような購買動機ではなかったか。『金魂巻』に描かれた「マル金」は一種の社会的なロールモデルみたいなものであった。中野香織が「世界のエティケットとファッションはヴェルサイユに収斂する」と書いていたと思うが(鹿島茂か)、そんなところだ。この本がブームになってから20年たった今、若干事情が変わってきたようにみえる。このことは日経新聞のコラム子(春秋子?)が指摘している:なぞなぞ(階級差別系)「なんで富裕層向け消費雑誌が売れているのか?」: "今朝の日経新聞で仕入れたなぞなぞ。ここ数年富裕層向けの媒体が急速に売上を伸ばしているという。なぜか? 景気がよくなったからだろう、というのは読みが甘い。さすが日経、ものごとの本質を明らかにしている。
日経によれば、かつて「マル金、マルビ(金持ちと貧乏人)」が流行語となった1980年代と現在では明らかに様相が違うという。"
要は、日経は「成金」が輩出して、良質の既成の価値観と趣味が希薄化し、形ばかりの表面的な薄っぺらな文化が日本を支配しはじめたというのだ。だから「お金持ちの行動マニュアル本」が売れるのだという(これを読んでハウツーを勉強する)。文化とは所詮スポンサー次第だから、ニッポンの文化もお金を持っている連中の嗜好に合わせて変質してゆくことになる。よいことなのか、悲しいことなのか。はたまた、どうでもいいことなのか。蛇足:農林水産省の統計によれば、日本の農家の農業生産額(金額ベース)よりも、農家の農地転用売却益の金額の方が大きくなっているという(全府県ベース)。いまや農家は農業よりも不動産業者として大きな収入を稼ぐようになったということ(「マルサの女」で追いかけ回されていた奴だね)。そんだけ売っても、まだニッポンの土地資産の大半は彼らが保有しているのでまだまだ儲けることが出来る。政治力を発揮して「再配分」と称して都市貧民からもぎ取ることはもちろんだ。ニッポンの文化が「ヒャクショウ化」するのは、自然な流れなのである。テレビ番組の食い物に対する異常な執着もニッポン文化のヒャクショウ化の表れか。(初出:2007.2.6)
Posted: Wed - February 6, 2008 at 10:14 AM
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