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鳥羽・伏見の戦い
(1868)……幕府軍はなぜ負けた?
慶応4年1月3日、鳥羽と伏見で薩長軍と旧幕府軍の戦闘が始まる。15000人の旧幕府軍は三分の一の勢力の薩長軍にあっけなく大敗。なぜこんなにボロ負けしたのか?
井上清『日本の歴史 明治維新』によれば四つの理由があると:1)装備の差。旧幕府軍は刀槍を武器として個人的に武勇を誇る旧式武士部隊で新式鉄砲隊の敵ではなかった。(映画「ラースト・サムライ」ですな)2)旧幕府軍の指揮官が無能であった。単に身分が高いだけで近代的軍事については全く無知であった。(いまでもこんなのがいますけどね)3)薩長軍はあらかじめじゅうぶんに地理を案じ、先方を考えて布陣していたが、幕軍は、ただ激情に駆られただけで、軍略・戦法上の用意はほとんどなしに行動した。(カッとなって行動するとろくなことはないのです)4)幕軍がわには戦争の意義・目的についての自覚と誇りがなかったが、京都軍にはそれがきわめて明確であった。(大義なき戦争は勝てるわけがないのです)最後の「大義名分」がとくに重要。薩長軍が戦場で掲げた朝廷の「錦の御旗」がきわめて効果をあげたのでした。当時のはやり歌「都風流ぶし」に曰く:宮さま宮さま お馬の前の
ぴらぴらするのは なんじゃいな
トコトンヤレトンヤレナ
ありゃ朝敵征伐せよとの
錦の御旗じゃ しらないか
トコトンヤレトンヤレナ
この「錦の御旗」とは、岩倉具視が勝手に西陣の織屋に注文して作らせたものだったらしい。でもそんなことはどうでもいい。大義とは、ほとんどの場合、単純でわかりやすいものなのです。
Posted: Tue - January 3, 2006 at 09:09 AM
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