1/17 Today 阪神大震災
(1995.1.17)……去年のエントリーの再掲
散人は阪神大震災での幸運な生き残り組である。危うく死にかけた。瓦礫の中なら脱出できたのは、いま考えても奇跡的だと思う。あまり思い出したくない記憶であるが、むかし書いた文章があるのでご紹介します。
わたしの阪神大震災
(2000.2.1「経済動向」.pdf
)六千数百人の命を奪った阪神大震災から5年。個人的にも忘れることが出来ない事件であった。ちょうどそのとき関西に用事があり、宿泊していた西宮の両親宅で地震に遭遇したのだ。寝ている上にタンスが倒れてきて、更にその上に屋根が落ちてきた。身動きがとれず、土埃と屋根の重みで息も出来ない。右足の膝から下だけは、わずかに動いたので、体を少しずつその方向にずらして行き、最後は無我夢中で一気に脱出した。抜け出たところは崩れた屋根の上で、頭上には一面の星空があった。
それから罹災者生活が始まったが、余震が続く夜中、手帳に書き付けた「死なないためには」と題するメモが残っているので紹介したい。1)タンスの下では寝ないこと。どんなことをしてもタンスは必ず倒れる。2)ボロ家には住まないこと。古い家は例外なく壊れてしまった。3)水を確保すること。食べ物なぞはなくとも三日ぐらいは平気だが、水がないと本当にどうしようもない。井戸があれば一番よい。
この三点を心に決めて、交通手段の復旧と同時に東京に帰ってきた。しかし、以来5年、ひとつも実行できていない。寝ている部屋の壁には相変わらず本棚がある。住んでいるところも古い木造住宅だ。井戸を掘ることにいたってはだれも冗談だと思って相手にしてくれない。なぜ実行に移せないでいるのか。それは経済的な問題である。タンスのない広い部屋にも、頑丈な家を建築するにも、井戸を掘るにも、たいへんなお金がかかる。日本では最も基本的な「死なない」ことが、きわめて高くつくのである。
日本の個人金融資産が1300兆円だとか、GDPは世界二位だとか、日本はえらくお金持ちの国であるかのような錯覚がある。だからODAも大盤振る舞いだ。新年の各紙の社説にも、もう経済成長を追い求めるのはやめよう、生活の質の方が大切だ、という論調が目立った。でも大部分の国民が地震ですぐ壊れるような家に住んでいて、どうしてそんなことがいえるのか。生活の質は物質的な裏付けがあってはじめて得られるものだ。ゼロ成長でもかまわないと言うには、はっきり言ってまだ十年早いのである。少子化が進み、ひ弱な若者が増え、経済成長率の低下は不可避とする議論があるが、それにも同意できない。
阪神大震災の話に戻るが、地震の直後の瓦礫のなかで、子どものような若い婦人警官がひとりで、信号機が停止した街路の交通整理をしているのを見た。怪我した家族を車に乗せた男が大声で叫びながら猛スピードで交差点に突っ込んで来るのだが彼女はいっさいひるみを見せなかった。以来、筆者は若者と女性の悪口は言わない。労働力問題は若年層と女性の就業率を上げることで十分対応できる。
(橋本尚幸)
自衛隊への出動要請が無能な県知事(貝原俊民)の思いこみによって数時間も遅れたのは、犯罪的とも言える大失策であった。当日朝、散人は何もしないで停まっている自衛隊のトラック群を目撃したが、彼等は県からの出動要請がないため、無為に「待機」続けざるを得なかったのである。その間多くの人が死んだ。そういう県知事が再選されるのだから、世の中は不思議である。ネットニュース(fj.soc.politic)での散人発言
(↑ここに朝の7時頃と書いてあるのは散人の思い違い。8時は回っていたと思う)2005.1.17
追記今朝のNHK特集で「阪神大震災10年」をやっていた。人と人のつながりが大切と言っていたが、阪神間はもともとそんなのが希薄な地域だったのではないかと思う。都市はどこでもそうだろう。だからいまだに空き地だらけで人が戻ってこない(ようやく人口が以前の状態になったというが、人が入れ替わったのではないか)。10年前の1月17日、二階がぺちゃんこになったわが家を、親族以外で最初に「大丈夫ですか」と見舞ってくれた人は、一人の見知らぬスペイン人だった。午後の4時頃だったが、山向こうのカソリック病院で神父をしているという日本語ぺらぺらの若者が声をかけてくれた。我々日本人は、隣組とか自治会とかNGOとかの組織ベースのボランティア活動には熱心だが、個人ベースの自発的ボランティア(気配り)はあまりやらないように思う。シャイだというのだが……。人と人のつながりとは、隣組みたいに制度化するものでもなく、こういうスペイン人神父のような気配りが出発点だと思う。
Posted: Mon - January 17, 2005 at 10:24 AM
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