10/31 Today ダンスホール閉鎖(1940)……近衛文麿「ウヨもサヨも所詮同じ」


近衛文麿の新体制運動でダンスホールが閉鎖されます。新体制運動とは近衛文麿を中心に起こされたファシズム的政治運動。全政党が解散され、町内会、部落会、隣組が内務官僚と警察の指導のもとに一段と整備された(現代でも社会風土にその尻尾が残っている)。個人主義者の荷風は当然『日乗』でさんざん悪口を連ねています。

たとえば同年『日乗』11月10日の次のようなくだり。
「このごろ専ら人の云い伝うる巷説をきくに、新政治家の中にて(中略)他の一味は過激なる共産主義者なり。軍人中この一味に加わる者また少なからず。(中略)新体制の一味徒党のなかには以上の二派ありて両者の葛藤遠からず社会の表面に出づべしとのことなり。また近衛公には妾あり。新橋の芸者にて俳優羽左衛門が狎妓とは大の仲良しなりという。」

人から聞いたと書いてますが、これは荷風の常套手段で日記が露見したときの責任逃れのため。新体制運動が右翼と共産主義者(共産主義的考え方を持つ若手将校)との同床異夢の連合であることをいち早く見抜いています。これは卓見でした。近衛自身がずっと後になってからそれを認めて反省しているのですから。荷風は近衛より事態を理解していた。

「近衛公には妾あり」というのが荷風らしい嫌み。荷風はさんざんその女性関係を社会から非難されていたのですが、少なくとも荷風は独身だった。何をやろうと「不倫」ではなかった。「自由恋愛」と「不倫」は、道徳的、法律的に全然違います。荷風は「不良」だったかも知れないけれど「人の道に背く」ことはなかったのです。


(初出:2003.10.31)

Posted: Tue - October 31, 2006 at 10:14 AM           |


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