「ジャン・ボードリヤールの消費社会への批判を読み“無印良品”をつくった」(堤清二)
今日の日経「文化往来」。先日77歳でなくなったボードリヤールについての記事の中から見つけた。そうだったのか。
いろいろメモ:- ボードリヤールは商品は利用価値だけで用いられるのではなく、社会的権威や幸福感といった他者との差異を示す「記号」としての役割を持っていると説いた(『消費社会の神話と構造』)
- 差別化したいという「欲望」に基づく消費は際限がなくなる。
- 堤清二はこれを読んで、ブランド品と言うだけで価値が上がる状況に疑問を覚え「無印良品」をつくった。
堤清二は偉かったので敢えて反対のことをしたが、大半の商売人はこの本を読んで「そうだったのか!」とこの消費者の性行につけ込んで儲けようと企てることになる(ブランド商法)。実際「過去数百年間になされた生産性の上昇分のほとんどが衒示的消費に回され、労働時間の短縮にはつながらなかった」とヴェブレンも指摘している。つまり、人類はせっかくの生産性上昇分を享受できていないのである。いまだにそう。人間は昔からいっこうに変わらない、アホだというのは簡単。でも人間である以上、他者との「差異」を求めるものなのである。差異を求めながら、商売人に乗せられてぼられないための方法は何か。お金じゃない「差異」を求めること。これに尽きる。二三の参考例:- 伊丹十三は、ものに拘った。でもお金はかけなかった。世界で一番高い消しゴムを使っていたがそれは500円。醤油は長野県かどっかの知られていない醤油屋から取り寄せていたが、普通の値段。「差異」は値段じゃないと認識していた。
- 余丁町に住むグレゴリー・クラークは、千葉県に壮大な土地を所有し自分の「王国」を築いている。軽井沢なんかの別荘地の100分の1以下の単価。みんながブランド別荘地に群がる時に敢えて逆張りをする。「ニッポンの地価は高い高いと言うが、自分で探せばいくらでも安いところがある」という。
- フランス人の多くは、バカンスの度に地方の無名のワイナリーを自分で訪ね、自分の舌で判断して葡萄酒を安く多量に買い込む(地下室に保存する)。自分で納得した「知られざる銘酒」のコレクションをつくるのである。
要は「システムの裏をかけ」ということだ。ニッポン・システムとは「都市住民をうまいことだまして搾取しイナカに所得移転を図るシステム」と言っていいが、彼らの手口を勉強しさえすれば、うまく裏がかけるのである。だいたい政府とかマスコミとか消費者団体とか「リッチ志向の読者を対象にした女性雑誌」なんかが言っていることの反対をやればまず間違いはない。「記号」の意味は自分と限られた人だけに分かればいいことなのである。記号の商品化と大衆化は記号の値打ちを低下させるものでしかない。それに乗せられてしまうか否かが、勝ち組と負け組の分かれ目。
Posted: Fri - March 9, 2007 at 02:30 PM
|