「タテ積みをしながら無限にヨコズレをしていくという要領を会得すべき」(紀田順一郎)
今朝の紀田順一郎先生のHPから:熊楠は「学問の法要、其目する所を専にするに在りと雖も、傍ら亦博見洽聞(かくけんこうかん)の具無(なか)るべからず」、つまり学問のコツはその目的に向かって意欲を集中することにはちがいないが、一方では見聞を広める努力も欠かせないといっている。そのために常に日記帳を用意し、目にふれることのすべてを丹念にメモしていた。興味をひく新聞雑誌の記事も片端から切り抜いて日記に貼り込んでいた。
■読書が必要なことはいまも昔も変わらないが、その読書にしても自分の関心を先へ先へと開いていく方法論がないと、消閑的な意味しかなくなる。あまり一つのジャンルや著者に固執しすぎても、異なったものの見方ができにくくなる。逆にズレっぱなしでも具合が悪かろう。タテ積みをしながら無限にヨコズレをしていくという要領を会得すべきで、この辺が「其目する所を専にするに在りと雖も、傍ら亦博見洽聞の具無るべからず」ということばの真意であろうか。
心すべきことだ。でも散人にはもうタテ積みはしんどいから,新年は「無限にヨコズレ」して行こうかな。
上記は南方熊楠についての記述だが,紀田順一郎の荷風分析も鋭い。荷風について実に多くの本が書かれているが,その殆どは荷風への心酔者によって書かれていることが多く,ちょっと思い入れが多すぎるような気もする。紀田順一郎は荷風をかなり突き放して見ている。荷風について紀田は最後にこう結ぶ:
(この本の結びの部分↓)
彼の生涯の意味を振り返るとき,晩年の名声は家名を汚した蕩児が錦を飾って凱旋するというアイロニーに満ちた主題に結実するはずであったが,考えてみれば彼にはすでに帰る家もないし,その必要もないのであった。遥か以前に,半生にわたる強敵であったところの“家”を完膚なきまでに抹殺することに成功していたからだが,そのことが同時に反抗の対象も復讐の相手をも喪失する結果となることを,彼は予期していたであろうか。
作家としての創造の目標を喪失した彼は,一人の凡庸な老人となり,日記の最後に「四月二十九日。祭日。陰」(昭和34年)とあるように,ひたすら天候だけを記録し続けながら,孤独な死を迎えたのである。
文豪ともなると最後まで周りの期待が高いので,しんどそうでお気の毒。もともと凡庸な散人は,最後は荷風みたいなのが幸せ。
Posted: Sat
- December
30, 2006 at 11:34 AM
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