Kafu 学校通信 No20 荷風と「教養主義」


竹内洋の『教養主義の没落』 (中公新書)は良書である。明治から昭和にかけての「インテリ文化」の変遷を見事に書いている。いいにくいこともはっきり書いてあり、とても正直な本だ。 そのなかで、坪内祐三の言葉をひきながら荷風について触れた部分があり、これが実によい。「目から鱗」という気持ちである。備忘録としてその部分をメモし ておく。

引用:
武士文化と町人文化

そこで、教養主義をハイカラや修養主義などの近代日本のサブカルチャーのなかで位置づけてみたい。そのために西欧文化 への志向の有無と武士・農民文化とを交差させた近代日本の文化空間を設定しよう。(中略)とすれば、評論家坪内祐三の永井荷風についての以下の言明も納得 しやすくなる。坪内は岩波文化、つまり教養主義文化と永井荷風の作風の非親和性についてつぎのようにいう。「(略)岩波茂雄が大正になって岩波書店を作っ て、(中略)そのへんから哲学と人生論がクロスする教養主義の流れが出来て、ずっと昭和30年代まで続いてゆく。だから、永井荷風なんて、そういう風潮の なかではしんどかったんでしょうね」(中野翠『ふとどき文学館』)

永井荷風は「しんどかったでしょうね」といわれるのは、岩波書店を中心とした上昇的インテリの教養主義と永井荷風が入 り込んでいった江戸趣味とは、図に見ることが出来るように、対極に位置したからである。教養主義は地方出身インテリの「あがり」の、江戸趣味は「新帰朝 者」など、都市知識人の「くずれ」や「いやし」の文化だったからである。


p179


荷風と「世間」とでは位置する象限が違った上にベクト ルの方向も反対だったのだ。荷風も「しんどかった」わけ。100年生まれるのが早すぎたのである。

竹内は戦後教養主義を撃ち破る嚆矢となったのは石原慎 太郎の『太陽の季節』とも書いている。今やぼろぼろになった教養主義は前尾繁三郎や木川田一隆のような実務家に残存しているという指摘も面白い。

Posted: Fri - September 19, 2003 at 01:49 PM           |  


©