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徳川吉宗、目安箱を設置
(1721)……彼の改革は成功だったのか?
八代将軍吉宗は興味深い人物である。風呂番の母親から生まれて将軍にまでなった質実剛健の見本みたいな人。庶民の声を直接政治に反映させるために目安箱を設置したりした。享保の改革を推し進めた名君との誉れが高い。日本人はこういう人物が好きだ。でも経済学的に見れば彼の改革は大いに疑問が残るところである。
吉宗の頭の中にあったものは基本的に「米(コメ)」だけである。年貢米をいかに余分に集めるか、米価をいかにして高く維持するか、消費をいかにして低く抑えるか、結果としていかに余分にコメを蓄えるかであったといってもいい。上米制度や上免制でコメが余分に幕府に入ることとなったが、年貢をより多く取られた農民はもちろんのこと、貨幣量が一定であったためコメの増加は米貨の下落を招き石高で収入が決まっている武家の暮らしは逆に苦しくなった。やむなく貨幣改鋳を行い貨幣量を増やすが、今度はインフレを引き起こし更に民の生活を苦しくしてしまう。農業、コメの生産を第一に重要視したのはいいが、一種の農民への徳政令(質地制限令)は農業への資本流入を押しとどめ農業の生産性をさらに低下させた。短期的には何とか幕府の財政は改善されたものの経済への長期的ダメージは大きかった。多くの民が餓死した。
ヨーロッパでは同時代に第二次エンクロージャー(囲い込み)が進み農業の生産性が飛躍的に進歩を遂げる。民間資本の役割を軽視(敵視)した吉宗の政策はヨーロッパでの「第一次」エンクロージャーに相当するものすら日本で行うことを不可能にしてしまったのである。
平成の世になってもいまだに日本ではエンクロージャーが出来ていない。だから日本の農村の生産性は低いままだ。日本の教科書ではエンクロージャーはなんか悪いことであったような教え方をしているが、経済構造の近代化には不可欠なものだ。どうしてエンクロージャーが日本で出来なかったのか。これは言われているような農業技術的な問題ではなく政治的な問題である。吉宗以来のコメ本位制文化と農業への商業資本の参入を敵視する政治であり、今も変わっていない。
(初出:2003.8.2)
Posted: Thu - August 2, 2007 at 09:25 AM
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