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日々雑記
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2002.10.31 きょうは何の日。近衛文麿の新体制運動でダンスホール閉鎖(1940)。新体制運動とは近衛文麿を中心に起こされたファシズム的政治運動。全政党が解散され、町内会、部落会、隣組が内務官僚と警察の指導のもとに一段と整備された(現代でも社会風土にその尻尾が残っている)。個人主義者の荷風は当然『日乗』でさんざん悪口を連ねています。たとえば同年『日乗』11月10日の次のようなくだり。
「このごろ専ら人の云い伝うる巷説をきくに、新政治家の中にて(中略)他の一味は過激なる共産主義者なり。軍人中この一味に加わる者また少なからず。(中略)新体制の一味徒党のなかには以上の二派ありて両者の葛藤遠からず社会の表面に出づべしとのことなり。また近衛公には妾あり。新橋の芸者にて俳優羽左衛門が狎妓とは大の仲良しなりという。」
人から聞いたと書いてますが、これは荷風の常套手段で日記が露見したときの責任逃れのため。新体制運動が右翼と共産主義者(共産主義的考え方を持つ若手将校)との同床異夢の連合であることをいち早く見抜いています。これは卓見でした。近衛自身がずっと後になってからそれを認めて反省しているのですから。荷風は近衛より事態を理解していた。
「近衛公には妾あり」というのが荷風らしい嫌み。荷風はさんざん不道徳な生活態度を社会から非難されていたのですが、少なくとも荷風は独身だった。何をやろうと「不倫」ではなかったのです。「自由恋愛」と「不倫」は、道徳的、法律的に全然違います。
リンクにまゆみ国文研究室というサイトを加えました。大学院で樋口一葉の研究をとても真面目になさって居られる方です。同じ文系でもいい加減な経済学部とは違って文学部はたいへんみたい。荷風の『断腸亭日乗』にもご興味があるとのことで頼もしい。女性の荷風ファンはまだまだ少ないのでぜひ頑張ってほしいな。
2002.10.30 きょうは何の日。教育勅語発布(1890)。さすがに散人は聞いたことがないが、親兄弟の話によると学校で毎朝校長がこれを読み上げたらしい。読み間違えて切腹した校長先生も居られたとか。生徒には難しすぎて内容は理解できなかったのだが、最後の「御名御璽」という言葉を聞くとやっと終わったことが分かって頭を上げたそうな。明治の最初には西欧の諸制度を参考にし意欲的な自由主義的、開明的な教育制度が指向されたが、徐々に後退し、明治23年にはこのような国家主義的な制度となった。最初の志はよかったのですが結局は土着勢力に敗れてしまった。
うちのカキが実をつけました。写真を庭仕事(カキ)にアップ。昨日の午後ちょっと収穫作業をしましたが、すぐくたびれてギブアップ。手持ちの竿では届かない。ヒヨドリが喜んでいるので彼等にやることにします。庭では季節を間違えたシャクナゲが咲いています。うちはいい加減なのが多くて困ります。
今月出版された松本哉『女たちの荷風』について荷風ファンのアクエリアンさんが早速素晴らしい論評を発表されています。該当ページへの直リンクですがぜひお読みください。荷風リンクにも加えました。
2002.10.29 きょうは何の日。第一回宝籤発売(1945)。一枚10円、一等10万円。副賞に「純綿キャラコ」というのが何ともうらさびしい。確率的には宝籤を買えば絶対に損をする(胴元の取り分だけ)。それを知りつつみんな買う。夢を買うのである。昨今ブランド品店に群がる若者がブランドという「記号」がもたらす夢にお金を払うのと同じ。年寄りはそれを馬鹿にするけれど、きょうびの消費というのはほとんどが「記号」への支出。みんなが「裸の王様」に気が付けば不況になるのである。
荷風関連文献リストを更新しました。最近出た本を中心に三十数アイテム追加。荷風関係の本がまだまだどんどん出てくるのには驚きです。荷風は常に新しい。掲示板も荷風論で盛り上がっています。ぜひ掲示板にもお出でください。
2002.10.28 きょうは何の日。1919年、アメリカ議会で「禁酒法」が成立した。アメリカならではのへんてこりんな法律だと思われるが、イギリスでも18世紀にはジンに関するいろんな法律が幾つもでき、それでもジンを飲もうとする大衆との間でイタチごっこが繰り広げられた。これらの禁令の背景にあったのは、蒸留酒を労働者に自由に飲ませてしまうと「働かなくなる」という支配階級の懸念であった。冗談じゃない。現代でも麻薬は法律で禁じられているがイタチごっこ。需要がある限り世界から麻薬がなくなることはない。お酒と同じように自由化して税金を取る方が得策かも知れない。
2002.10.27 今日はなんの日。浅草に十二階(凌雲閣)完成、日本最初のエレベーターが取り付けられた(1890年)。若い方は十二階といってもなじみがないかも。面白いホームページがあります。「浅草十二階計画」。
荷風が浅草十二階に登ったことがあるのか、またパリでエッフェル塔にのぼったのか、ちょっと気になって調べてみました。どうも登らなかったみたい。『日乗』ではいっぺんだけ「浅草十二階」に触れているのですが「その下に住んでいた女から手紙を貰った」というような記述。荷風は高いところにはあまり興味を示さなかったようです。彼の書くものは鳥瞰図ではなく「虫瞰図」だったからかな。それにしては時代の先がよく読めた人でした。
2002.10.26 きょうは何の日。BC202ザマの戦(第二回ポエニ戦争)。ローマの将軍スキピオはカルタゴ本国を急襲。呼び戻されたハンニバルとザマで対決する。戦史に残る大作戦でスキピオは勝利しローマは地中海を制覇する。ポエニ戦争ではカルタゴもひどいことをしたけれどローマの復讐心はものすごかった。情け容赦なく相手を壊滅させ二度と(復讐のために)敵が復活できないようになるまで徹底的に破壊を続けた。これがグレコ・ロマン・スタイルの戦争の基本なのである。ドイツと日本は、とても幸運なことに、ソ連という新しい敵のおかげで助かった。
2002.10.25 きょうは何の日。アザンクール(Agincourt)の戦い。1415年の今日、ノルマンディーに上陸したヘンリー5世率いる英軍はフランスの重装騎兵軍団を撃ち破る。さすがロビンフッドの国、長弓兵が大活躍した。映画「ヘンリー5世」でのフランス重装騎兵の突撃シーンは映画史に残る名撮影。CGを多用した現代映画でもあれだけの迫力は出し得ていない。映画制作はやっぱりお金じゃないんだ。アザンクールで敗れたフランスは百年戦争最大の危機を迎えるが、やがてジャンヌ・ダルクが現れてフランスを救う。神風ですね。島国が大陸に攻めていってもろくなことはないのです。
2002.10.24 きょうは何の日。1929年のこの日「暗黒の木曜日」。ニューヨーク株式市場が大暴落。世界恐慌が始ります。それ以上は生々しすぎて書く気になれない。あの時代の社会風俗を描いたアレンの『オンリー・イエスタデイ』はとても身につまされる名著。結局ガルブレイスが言ったように「資本主義というものはキチガイじみた馬鹿騒ぎとその反動としての恐慌を繰り返すもの」なんですね。85年以降のバブル期の馬鹿騒ぎを思い出すと、そういうもんだとつくづく思います。
2002.10.23 きょうは何の日。1956.10.23 ハンガリー動乱勃発。首都ブダペストで知識人、学生、労働者による大規模な反体制デモが実施され、出動したソ連軍戦車との間で絶望的な市街戦が繰り広げられた。誰もソ連軍はやってこないだろうと思っていたのだが甘かった。ナポレオン三世に始まるヨーロッパの首都での街路整備と戦車の発明で古典的な民衆蜂起は物理的に不可能となっていたからソ連軍が出てきたら市民たちに勝ち目はなかった。まあ街路が整備されておらずコンクリートの電柱だらけの東京なんかでは、まだ可能性は残っているけどね。
2002.10.22 きょうは何の日。キューバ危機(1962)。ケネディー大統領がキューバでのミサイル基地建設を阻止するため海上封鎖を発表。でもミサイルを載せたソ連船はキューバにどんどん近づいてゆく。いよいよ米ソ戦争勃発かと世界は恐怖に包まれたが、結局ソ連が屈して戦争は回避された。当時のソ連の軍事力ではアメリカに勝つ可能性は全くのゼロだったから元気のいいフルシチョフとしても他に選択の余地はなかった。イラク、北朝鮮問題も基本的には同じことだが、敵の指導者の頭の構造がおかしかったり、また米国は「口だけだ」と判断されると、こういうプレッシャー政策が通用しなくなる。で、時々は「口だけじゃない」ってところを見せる。きのう日高義樹のワシントンインタビューをテレビで見たけど、彼等は本気ですね。(ちなみにワシントンの安全保障問題の専門家はほとんど例外なしにシャイで物静かな人たちばかり。頭すごくいい。とても怖い)
茅ヶ崎在住の画家、悠円さんのホームページにリンクをしました。「自然と芸術 悠円美術館」。絵、造形などに加え、毎日自然と植物の写真が音楽付きで楽しめます。こんな写真を一度でいいから撮ってみたい。
2002.10.21 きょうは何の日。黄瀬川の対面。1180年10月21日、兄の挙兵を聞き奥州から駆けつけた義経と頼朝は黄瀬川の宿で感激の対面をする。兄弟は往事を語り懐旧の涙にくれた。でもこれは頼朝の芝居だったとの説もある。頼朝はこのときすでに前日の富士川の戦いで平氏を潰走させて大勢を決めていたし、軍馬の宝庫である奥州から来るというのに軍勢も引き連れずわずか数騎で(おまけに富士川の戦いに遅れて)駆けつけた義経に今さら弟面されても面白くなかったんじゃないかしら。でもさすが政治家頼朝。「涙の対面」芝居を打つことで武士たちの心をつかんだ。
2002.10.20 きょうは何の日。ランボー生まれる(1854)。この若くしてあまりにも自信に満ちあふれた詩人は、21歳にして詩も文学も捨てて、アフリカの砂漠に消えてしまった。「星の王子さま」になったのかしら。それとも単なる飽きっぽい三日坊主だったのかな。後者だったら散人にも似たようなところがある。
荷風がランボーの詩を一つだけ訳しています。
『珊瑚礁』より「そぞろあるき」アルチュウル・ランボウ
蒼き夏の夜や
麦の香りに酔ひ野草をふみて
小みちを行かば
心はゆるみ、我足さはやかに
わがあらはなる額、
吹く風に浴みすべし。
われ語らず、われ思はず、
われただ限りなき愛
魂の底に湧き出すを覚ゆべし。
宿なき人の如く
いよ遠くわれは歩まん。
恋人と行く如く心うれしく
「自然」と共にわれは歩まん。
何かほほえましい。荷風も散歩をしているときはこんな心境だったのでしょうね。「宿なき人」というのは当然「ホームレス」のことではありません。「ボヘミアン」のことね。
リンクにクラブ大先輩の喜利元貞さんのサイト「モノを調べるコンピュータの話」を加えさせて貰いました。喜利さんは田中耕一氏の元上司でもあり「僚友にノーベル賞」とのページも。原爆体験記もあります。親子孫三代に渡る喜利家の歴史は日本工業技術発展史としても卓越したものだと思います。
もう一つ、やはり理科系の方のホームページをリンクに加えました。「アクエリアンのホームページ」。物理学者による、東京街歩き、定年退職後の生活指南、旅や本に関するエッセイなど。これもすごいサイトです。やはり理科系の人は尊敬するなあ。
2002.10.19 きょうは何の日。671.10.19、大海人皇子、出家剃髪して吉野に逃げる。臨終の床にある天智天皇は病床に皇太子である弟の大海人皇子を呼び皇位を譲ろうと持ちかける。大海人皇子が承諾すれば謀反の意志ありとして直ちに斬るつもりだった。本心は自分の子である大友皇子に嗣がせたかったのだ。あらかじめ内報を受けていた大海人皇子はとんでもないと申し出を断り出家すると述べる。天智天皇は満足してそれを許す。大海人皇子は機を失せず直ちに剃髪し一日にして吉野まで逃げる。人々は「虎に翼を着けて放てり」と恐れた。予想通り、吉野に脱出した大海人皇子は翌年反撃に出る。壬申の乱の始まりである。以上日本書紀。まあ日本書紀は天武天皇(大海人皇子)が命じて書かせたものだから天武朝に都合よく書かれているのだろうけど、お話しとしてはとても面白い。
2002.10.18 きょうは何の日。昭和16年10月18日、ゾルゲ、スパイ容疑で逮捕される(ゾルゲ事件)。ゾルゲはソ連に「日本は対ソ参戦の意志なし」との機密情報を流したのだ。この情報に接しスターリンは直ちにシベリアに展開していた赤軍を西部戦線に移動。おかげでナチス・ドイツ軍の侵攻を食い止めることが出来た。もう二十年も前になるか、アメリカかどこかの記者クラブがお遊びで「世界史を変えたスパイ」を投票で決めたことがある。ゾルゲが堂々一位に選ばれた。ゾルゲの情報がなかったら多分スターリンはドイツに負けただろう。ドイツと日本が英米に負けるのは必然だったが、ソ連が居ると居ないのでは第二次世界大戦後の世界史は全く違ったものとなっていただろうと言うもの。それほど重大な情報を日本は簡単に抜かれた。ゾルゲ事件には後日談がある。裁判でゾルゲは自分はスパイではないと主張したのだ。理由はゾルゲは公開資料しか利用しなかったというもの。実際に彼のやり方は徹底的に公開資料を集め分析するというやり方だったらしい。現在においても、公開資料を軽視し「特別の耳寄りの情報」にだけにすがると人が多いが、そんなものは情報収集とは言えない。一二度書いたな、この話し。たとえば「企業にとっての情勢判断と情報」(98/10)。
2002.10.17 きょうは何の日。1849.10.17 ポーランド生まれの類い希な「ピアノの詩人」ショパン、経済的に逼迫し孤独と焦燥のうちにパリに死す。1830年に故国を離れ、その後再びポーランドの地を踏むことはなく異国で暮らした。ずっと故国の土を小さな箱に入れて大切に持ち歩いており臨終の時もその土塊を握りしめていたと伝わっている。39歳だった。福田直樹氏の演奏で「マズルカ イ短調
op59-1」を。
2002.10.16 きょうは何の日。1793.10.16
可哀想な王妃マリー・アントワネットがギロチンで処刑されました。「パンがないのならお菓子を食べたらいいのに」という頓珍漢な発言が知られていますが、あれはどうも彼女の言葉ではなく為にする宣伝だったようです。さらに、その後の研究によると、当時のヨーロッパには植民地から大量の安価な砂糖が輸入され始めたことにより、同じカロリー量を摂取するとして、パンを食べるのもお菓子を食べるのもほとんど値段的には変わらなかったとのこと。だから、もし彼女が本当にこの発言をしていたとしても、それほど「家計音痴、頓珍漢」の発言ではなかった。いろんな意味で多くの濡れ衣を着せられた女性でした。
2002.10.15 視点コラムを書きました。題して「デフレ対策をマルクスに聞いてみよう!」。混迷の時代には何事も原点に戻って考える必要があります。マルクス・モデルで現代日本のデフレを考えてみました。デフレから脱却するためには何が必要なのか、マルクスはちゃんと考えていたのです(書かなかったけど)。大発見ですぞ。
きょうは何の日。佐藤義清(西行)が出家しました。下北面の武士として鳥羽院に仕えていた佐藤義清は1140年(保延6)23歳で出家。西行の誕生です。出家の理由は定かではありません。以後50年、信仰と詠歌を支えとした草庵と行脚の生涯をおくります。
「願はくは花の下にて春死なむそのきさらぎの望月の頃」
2002.10.14 きょうは何の日。ヘイスティングの戦い(1066)。ノルマン・コンクェストと言った方がわかりやすいかも。フランスのノルマンディー公ウィリアムによるイギリス征服。10月14日ヘースティングズの戦いで勝利をおさめたウィリアムは同年末ロンドンに入ってイギリス王ウィリアム一世として即位、ノルマン朝を開きます。ノルマンとはフランスに侵入しノルマンディーに住み着いていたヴァイキングの末裔ですが、その時には文化的に完全にフランス化されていました。ノルマン貴族がイギリスの支配者層を形成し、英語の語彙にフランス語が大量に導入されました(当時の時代背景で書かれた小説『アイヴァンホー』を読むと征服されたサクソン人たちがノルマン貴族にどういう扱いを受けたか、また外来語フランス語と土着語サクソン語がどう使い分けられたかなどがよくわかります)。
そのこともあり、いまでも英語の語彙の80%はフランス語です。特に難しい抽象的な言葉はほとんどがそう。家内は高校生の時、フランスからアメリカにAFS学生として留学しましたが、英語のスペリングテストだけはいつもクラスで一番だったらしいです。先生が生徒を困らせようと難しい単語のスペリングをさせるのですが、そういう単語は全部フランス語と同じなので彼女にはまったく簡単だったとのことです。
ちなみにフランス人が英語を話さないと言うのは嘘です。ゆっくり英語風にフランス語を話せばインテリの英米人には「英語として」通じてしまいます。最近日本では英語教育で読み書きよりも英会話が重視されつつありますが、散人は逆だと思います。もっと語彙を増やすことにエネルギーを割かないといけない。貧弱な語彙ではいくら「英会話」がうまくても大人が使うと恥ずかしい「子供言葉」にしかならないのです。コミュニケーションの基本はあくまでも語彙です。散人がこれを悟ったときにはちょっと遅すぎました。自戒の念も込めて、これを若い人に伝えたい。
2002.10.13 きょうは何の日。1216年、鴨長明没。鴨長明は下鴨神社の神官鴨長継の子。父は若くして下鴨神社の最高の神官を務めたほどの有能な人物であったが、長明20歳前後のころに早世。「みなしご」となった長明は懸命に和歌を学び、三十代にして勅撰歌人としての活躍するまでになった。宮廷では「まかり出づることもなく、夜昼、奉公おこたらず」といわれるほどまで熱心に勤務。感心した後鳥羽院は鴨長明を父長継ゆかりの河合社の神官に推挙しようとするが、同族の鴨祐兼の反対によって実現しない(親族のいやらしさ)。失意の長明は出家。日野法界寺の近辺に方丈の庵を構え隠棲。50歳頃である。『方丈記』を執筆し、数年後そこで没した。
『方丈記』は達意の名文で書かれている。最初の書き出しから最後の結語まで一気に読ませる流れるような勢いがある。『徒然草』と並び隠棲文学の双璧とされているが、鴨長明の文章には社会への未練が強く感じられ哀れを誘う。それがとても人間くさくてよい。
2002.10.12 きょうは何の日。松尾芭蕉死す。芭蕉は伊賀上野の人だが、28歳の時単身江戸に赴き日本橋界隈などを転々。やがて深川六間堀の粗末な番小屋に移り住む。41歳の時から頻繁に江戸を離れ漂泊の旅を始めるようになる。最後まで旅を続け1694年10月12日大坂の旅舎花屋で生涯を閉じた。病中吟、「旅に病んで夢は枯野をかけ廻る」。享年50歳。
芭蕉が幕府の間者であったとの説もあるが、よくわからない。一時、神田川上水の普請に水役として生活の資も得ていたことは事実である。「荷風塾No5」に荷風の身長推定の決め手となった関口の水神社の二本の銀杏の写真があるが、銀杏に向かって左手あたりに当時役人であった芭蕉が住んでいた家の跡が「芭蕉庵」として残っている。芭蕉は牛込の人でもあった。
2002.10.11 きょうは何の日。1915.10.11『昆虫記』で知られるファーブル死す。日本では有名な人ですが、鹿島茂によればファーブルの国フランスではほとんど知られていない人とのことです。これは日本人とフランス人の昆虫に対する思い入れの温度差によるものらしい。日本人は古来から虫と一緒に生活してきたのですがフランス(特にパリなどの北部)では虫はほとんど居らず親近感は感じていないようです。だからファーブルは「気持ちの悪い」昆虫に一生を捧げた「変人」と言う評価となっているらしい。最近蛇とか蜥蜴とか鰐とか変なペットを飼う人が増えておりますが、日本人の虫好きがなせる業かも知れません。そういえば「虫めずる姫君」というお話しがありましたね。
2002.10.10 きょうは何の日。1911.10.10
辛亥革命勃発。革命後一ヶ月で全国ほとんどの省が独立し、翌年1月1日中華民国臨時政府が樹立されます。ここに1644年以来足かけ4世紀に渡り続いてきた清王朝は滅亡。ところで中国の歴史は歴代王朝が変わってもだいたい同じような展開が延々と繰り返されていませんか(だから覚えにくく学校の時苦手だった)。いまの共産党政権も歴代王朝の一つとして考える方がしっくり行くような気がします。週末NHKの中国共産党特集番組で党員の若さとエネルギーを目の当たりにするとこの「王朝」はまだまだ勃興期にあると感じます。数世紀続く可能性もあるんじゃないかしら。中国共産党はやがて崩壊するというような「期待論」は甘いね。
2002.10.9 きょうは何の日。1828.10.9(文政11)。帰国するシーボルトの船荷から国禁の伊能図が発見されて大問題となりました。連座して多数の洋学者が捕らえられ弾圧されます。シーボルトは医学から地理・動植物の幅広い分野に精通した博物学者。当時の列強は世界各地にこのような博物学者を派遣し組織的に情報収集をしていたのです。イギリスではプラントハンターと呼ばれる冒険的植物学者が大英帝国の拡大に重要な役割を果たしています。植物学は高度に戦略的な学問だった訳。シーボルトは日本のアジサイを欧米に紹介した人としても知られています。アジサイの学名をシーボルトが日本における彼の現地妻の名前から取ったことに牧野富太郎博士は激怒していますが、散人は別にかまわないと思う。参照「にわか隠居の庭仕事(アジサイ)」
2002.10.8 きょうは何の日。岩倉遣欧使節派遣(1871)。岩倉具視、木戸孝充、大久保利通、伊藤博文ほかが欧米に派遣されます。書記訳の久米邦武が詳細な記録を残していますが(『米欧回覧実記』岩波文庫全5冊)、欧米で彼等が一番驚嘆したのは科学技術ではなく実に日・欧米の人材競争力の格差でした。学校などの教育制度の視察に多大の時間をかけています。アメリカの国力に驚き、人口は日本と変わらないし、歴史は日本のほうが遙かに長いのに、日本は「上下貧弱を免れざるは何故ぞ」として、「蓋し(日本の)不教の民は使いがたく、無能の民は用をなさず、不規則の事業は功をみず」と断じます。この部分をわざわざ付点で強調していますから、相当強く感じたのでしょう。当時のサムライのエリート意識も強烈でいささか辟易しますが、これで日本の教育改革はすぐ実行に移されます。しかしこれを書いた久米邦武自身が、晩年欧米文明を蛇蝎のごとくに嫌う国粋主義者に変身してしまったのも歴史の皮肉な事実です。それが付け焼き刃の近代化の限界なのかも知れない。
2002.10.7 きょうは何の日。1849.10.7
エドガー・アラン・ポー謎の死を遂げる。泥酔して行き倒れの状態で発見されました。暗い謎に包まれた死。最後の言葉「神よ、私のあわれな魂を救い給え!」
仙崖展に行ってきました。禅僧仙崖の最後の言葉は「死にともない、死にともない」。東西の文化の違いを感じます。
美術館ってのは本当におばさんが多いですね。群れをなして声高に無邪気な感想を述べあって居られます。爺さんもいますが、爺さんはたいてい単独行動。男女の文化の違いを感じます。
2002.10.6 きょうは何の日。モダニズムで20世紀を風靡した建築家ル・コルビュジエがスイスに生まれる(1887)。ル・コルビュジエが始めてパリを訪れたのは1908年。そこで彼は決定的と言っていいほどの触発を受けるのですが、ほぼ同時期に生まれて初めてパリを訪れた一人の日本人の若者がいました。永井荷風です。荷風もパリへの憧憬を死ぬまで持ち続けました。しかし興味深いことに、以後この二人は全く異なった理想の都市像を追い求めてゆきます。荷風は昔懐かしい「黄昏の裏町」を求め都市散策を続けますが、ル・コルビュジエは超近代的な「輝ける都市」を具現化しようと世界中に彼の都市観を広げてゆきました。パリは古くて新しい。奥が深い。『荷風とル・コルビュジエのパリ』東秀紀(新潮選書)は良書です。
2002.10.5 きょうは何の日。
武田泰淳
没(1976.10.5)。享年64歳。武田泰淳はそれほど読んでいませんが、何か格別に親近感を感じます。奥さんの武田百合子が書いた『富士日記』に描かれる泰淳がとても愛すべき人物でしたからでしょう。百合子の観察眼は独特で鋭く『富士日記』はすばらしく魅力的な作品です。彼女も肝臓で死にました。酒はよくないですね。
アップルからクーポンを貰ったのでスキャナーを買いました。EPSON
GT-9300UF。試しに昔の新聞クリップをスキャンしてみましたが(100dpi
で粗くスキャンしたのに)一枚一枚が馬鹿でかいサイズになってしまいました。HPに入れるにはスキャンデータをテキストに変換しないと駄目ですね。いいソフトがあったらお教えください。一応「 クリッピング
」というページを作りました。
2002.10.4 きょうは何の日。グレン・グールド没。1982.10.4。天才の早すぎた他界を悼み
彼のバッハ を聴きましょう。また1970年の今日、ジャニス・ジョプリン(Janis Joplin)も27歳で急死します。彼女も惜しかった。
2002.10.3 きょうは何の日。 大津皇子に死を賜う(686.10.3)。天武天皇が臨終の床にあるとき皇太子草壁皇子に対する大津皇子の謀反が囁かれる。大津皇子は姉の大伯皇女と今生の別れを告げてから捕らえられ自殺。妃山辺皇女は髪振り乱し裸足で走って夫に殉ずる。
「ももづたう磐余の池に鳴く鴨を今日のみ見てや雲隠りなむ」(大津皇子)
「現身の人にある吾や明日よりは二上山を兄背と吾が見む」(大伯皇女)
持統皇后のわが子草壁皇子の前途を思う親心が引き起こした痛ましい事件。才知あふれる大津に引き比べわが子草壁は凡庸だったのだ。母親は強く、また恐ろしい。
2002.10.2 きょうは何の日。 安政の大地震。安政二年(1855)。江戸での悲惨な被害が伝えられています。死者4300人、重傷2800人。でも阪神大震災より被害者数が小さい。当時の江戸の人口は約130万人。人口比で言えば同じ程度の被害率と言うことでしょうか。100年以上経っていますが、あまり進歩していないようです。むかし
「私の阪神大震災」と題する視点コラム を書いたのを思い出します。
2002.10.1 きょうは何の日。 東海道新幹線開通日(1964.10.1)。とっても便利になりました。これで東京大阪間は日帰り出張が日常化します。でもよく考えてみると、その前はサラリーマンは大阪出張の度に旅館に一泊し、うまいもの食べて風呂でゆっくり出来たんですよね。日帰りとなってストレスが逆に増加してしまった。戦後の科学技術の進歩で、専業主婦は「いいことづくし」だったけど、お父さんはあまり楽にならなかったな。最近も情報化時代で仕事を家に持ち帰るお父さんが増えている。お父さんもっと怒るべし。
今日から国会図書館のオンライン閲覧が始まるんですって。欧米に遅れること実に8年。日本はこんなところでも遅れている。国民もっと怒るべし。
Canopus ADVC-100 につないだビデオデッキをアンテナにつなぎました。散人はエレキは苦手でコードをつなぐのにえらく苦労。ようやくきれいな画像でテレビ番組を見られるようになりました。マックでテレビを見るのは、とてもえーよ。さっそくNHKの「趣味の園芸」を見てハギのお勉強。さわりの部分だけ「庭仕事」のサイトにアップしました(
ハギ )。
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