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余丁町散人(橋本尚幸)
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2003.1.18

例によって小泉首相が靖国神社を参拝し、それに対して近隣諸国が抗議をしている。もう慣れっこになってしまったような、いつもの繰り返し劇だが、このまま放っておいても事態は良くならないだろう。むしろ逆で、度重なることで、国内的にも国外的にも、対立と亀裂が深まっていくような気がする。もはや主義主張による議論ではなく、現実的な打開策を求めて、みんなの知恵を出し合わねばならない時にきていると思う。

問題の所在を吟味してみよう。日本の総理大臣による靖国神社参拝は、今に始まったことではない。総理大臣の公式参拝は、GHQによる管理のもとで昭和26(1951)年に吉田首相によって始められ、以来歴代の多くの首相は靖国神社を参拝している。これは国内的な問題とはなったが、近隣諸国からは特に問題とはされず国際問題とはならなかった。なぜ今になって先鋭化した国際問題となっているのか。これはひとえに、昭和53(1978)年に、どさくさ紛れに行われたA級戦犯の合祀にある。これが問題に火を付けた(もしくは火を付ける口実を与えた)のである。

これは見かけ以上に大きな意味を包含する問題である。敗戦処理の根本理念に関する問題であるからだ。日本は戦争に負けた以上、その行為に対する国際的な責任をとらねばならないのは当然であった。同じく戦争に負けたドイツも事情は同じ。ところが、ドイツと日本では敗戦責任の整理の仕方が大きく異なった。ドイツではドイツが行った戦争の非を認めたが、その責任を全てナチス党にいわば押しつけるやり方をとった。「ナチスは非道いことをやった。万死に値する。でもドイツ国民は騙されていたのだ」という整理である。ドイツは率先してナチスを糾弾し、今もナチス残党に対する追求の手をゆるめていない。本当はドイツ人の多くは戦争に積極的に荷担したとしても、自分の非を全てナチスに被せたのである。これを欺瞞ととる人もいるが、ドイツ人一人一人の内なるナチス的なるものへの厳しい自己反省がベースにあり、己に鞭打つ姿勢と理解すべきであろう。その結果、ドイツ人は自国に誇りを持つことが可能となり、過去のことを言われても自分のことを非難されているとは感じずにすむようになり、正当化する必要性も感じないので屁理屈はこねず、近隣諸国の間に多くの友人を作り上げることが出来た。

それに対して日本では、形式的には戦争犯罪人は戦争の責任を背負った形とはなったが、実質的には「一億総懺悔」であり、いわば国民の連帯責任とされた。全員が責任を持つとは聞こえが良いが、結局は誰も責任をとらないと言う無責任なかたちでの整理であった。それが戦犯への同情を生み、日本人一人一人の中に内なる軍国主義と偏狭なナショナリズムを残存させ、個人と戦前の日本を一体化して考える傾向を生み、自己の尊厳を守りたいという人間固有の本能が、即、戦前日本の行動を正当化したいという無理筋の願望に結びついたように思われる。これが自分たち全員の責任をとらされたとして戦犯に対する罪の意識を生み、安易なA級戦犯の靖国神社への合祀につながった。

宗教団体である靖国神社が何を祭ろうとそれは彼等の勝手であるが、昭和53年の段階で、国際的な戦争犯罪者であるA級戦犯が神社に祭られた以上、国を代表する総理大臣が参拝するべきではなかった。1985年に、中曽根首相が、中曽根首相の言葉を借りれば「その時点でA級戦犯が合祀されているとは知らずに」靖国参拝をしたが、たちどころにそれは中国に日本非難の口実を与えることとなった。それはヒトラーの墓をドイツ首相が参拝することと国際的には同じことであり、戦後の平和条約の精神を自ら否定するものであり、理屈は明らかにそれを非難する近隣諸国にあった。ところが国内的にはこのことが内政干渉と受け取られ、偏狭なナショナリズムに火を付けてしまった。逆に靖国参拝をやめることが国内政治的に不可能になってしまったのだ。日本の首相は道理に合わない靖国参拝を続けざるを得ず、日本は国際交渉上の大きな弱みを握られてしまうこととなった。日本は将来に渡って、外交上のハンディキャップを背負うこととなり、国益を大きく損なってしまったのである。

現実的な解決策はないものか。国内のナショナリスティックな感情の高まりを考えれば、首相は何らかの遺族会サービスを続けざるを得ない。靖国に祭られるのは「名誉」であるという遺族の感覚を考えれば、千鳥ヶ淵戦没者墓地への参拝で代替させうる問題ではない。中国と韓国の民衆の間でのナショナリズムは高まる一方であり、これだけこじらせた後で外交的に理解を求めるというのは無理があろう。一番合理的な解決方法は、合祀されたA級戦犯を再びどこかへ移転させることだろうが、現在の国内ナショナリズムの高まりを考えれば、これまた感情的な反発を呼び起こすことになろう。それに神社側は合祀された魂は「一つの岩のように」一体化していて、技術的に今更戦犯分だけを抽出できないと主張している。職人が横になっては合祀も分祀も不可能だ。首相が参拝するたびに「拝礼は戦犯の方を除く」と宣言するのも一案だが、あまり迫力がないし、なんだか馬鹿げている。

一つの奇策ではあるが、「日本武人英雄殿堂」の新しく創立するのはどうであろうか。明治維新以来、第二次大戦までの軍人・軍属の英霊のみならず、戊辰戦争での幕府側の死者の霊、西郷隆盛を始めとする西南戦争の薩摩側の死者の霊、遡っては源頼朝から北条時宗などの日本国の成立に貢献し対外戦争で戦った歴代の武人を一堂に祭る。しかし神道とはせずに靖国神社がもとの招魂社の時代にそうであったように軍人(自衛隊)がこれを管理するかたちをとる。もちろんA級戦犯は入れない。日本版の「アンヴァリッド(廃兵院)」もしくは「パンテオン」である。首相はここに堂々と毎年、国家行事として参拝する。日本国の総理大臣として日本のために戦った過去の軍人と武人に最大限の敬意を表するのである。外国では当たり前のことであり、国際的に問題となるはずもない。遺族会も、自衛隊員も、軍国主義者も、社会主義者も、共産党員も、グローバリストも、会津の人も、薩摩の人も、一部の神道信者を除き国民のほとんどが満足するやり方ではないか。

靖国神社は靖国神社で信仰の自由はあるので従来通りやっていただく。好きな人だけが行けばよいのである。





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