R25の話題
リクルートのフリーペーパー「R25」の大宣伝が進行中。
で、「R25」世代について思うところのノート。
20代後半の団塊ジュニア世代を「R25」と呼ぶそうな。
ざっくりとした血液型性格判断程度の分類によると、
話題性の無い世代、苦労しらず、クールを好む、波風をたてたくない...というようなキーワード。
確かに自分の周辺のこの世代層の人たちに見られる傾向を言い当てているかな。...という気はする。
そりゃ、そうだわな。と思う。彼らの子供時代の遊びの主力はファミコン。
もう絶対的に圧倒的にファミコン。室内型なのである。
都会型...というニュアンスで見るのは実は間違っていて、室内型ゆえテレビ中心のバーチャルな都会型がその本質だ。
テレビの中に田舎は無い。
その昔、都会型というのは華やかな社交性のある気質を指して言ったが、そういった華やかさは無い。
自然の成り行きで、彼らが社会に出る前にバブルは崩壊してしまったし、
社会(人間)に対する幻想を抱くタイミングも無かった。幻想は理想とも言う。
「新人類」世代の場合、70年代、80年代の浮かれた風潮を全身に浴びて育ったお陰で、
根本的にお気楽主義に出来ている。なので、共同体幻想もそれなりにあって、
ある種浮世離れした理想主義者である。バブル崩壊に直撃された世代でもあって、
社会人ともなれば既に立派な一人前。もう、しらけの仮面を取り去る時期が来ている所か..。
「R25」世代は幼少期からの経験で、普遍的な価値観を内面に形成することがし難かった。
「良い」「悪い」の指標を持たない彼らにとって、最重要の価値観が「群れ」だ。
自分の属している集団から「浮かない」コトが何より重要。
これも理解しやすい。いじめという単語がメディアに登場したのは彼らが小学生・中学生の時期。
そう。R25を読み解くには「ファミコン」と「いじめ」が重要なキーワードなのだ。
ここから更に勝手解析。
(もちろん間違っている可能性が高いが、そこはまぁ、それ)
(僕は情報は新聞・雑誌・テレビから仕入れるが、解釈については自分自身の体感・体験しか信じていない)
「ファミコン」の時期、絶対的な神が居たことを覚えているだろうか?
高橋名人である。あんなにどうでも良いルックスと面白くもない喋りで、子供に大人気だった。
当時、それが不思議で仕方なかったが、まぁ、確かにあの指使いは凄かった。
彼らは高橋名人に何を見ていたのか?多分、あれは「親」に足りないモノ。「兄」らしきモノ。
自分が素直に率直に尊敬できる人物像だったのではないか。
力強さ、熱さ、前向きさ...といった、本来身の回りに居たはずの誰かが、彼らには欠けていのではないか...と。
テレビドラマで良く思うのだけれど。いじめを助長した元凶の一つが金八先生シリーズ(だと思う)。
それ以前、新人類世代の場合「熱中時代」シリーズがあって。そこからの金八先生との出会いがあった。
更に以前には「刑事くん」シリーズというのもあって、子供が安全に大人を学ぶことのできる番組がそれなりにあった。
準備を整えた上での「金八」だった。
それ故、ドラマ的にも納得もできたし、ストーリーに驚き、シンパシーが発生できた。
しかし、小学校低学年にあれは厳しいかっただろう。あそこに小学生が安心できる人物はいない。中学に臆病になる。
あのドラマの最大の構造欠陥は、主体が子供に無い事である。金八=親世代の説教カタルシスなのである。
リアルでありながら、実はリアリティを欠いたドラマの中だけの問題児達を金八が暖かく見守る...という構図は、
実は完全に裏返し。金八は、頭の固い上の世代に反抗し子供達を守り、また子供達が情けないと叱る。
団塊世代にとっての中学を舞台にした水戸黄門というのがその本質。8時代に放送して良い番組ではなかった...。
ターゲットしての「R25」攻略は割合に簡単と思える。傾向と対策がしやすいからだ。
・信念を持った人の説得力に弱い。(自分に欠けているという強迫観念がある)
・同世代におけるリーダー的存在に弱い。(自分達の代表...という感覚)
・センスという単語に弱い。(自己意識としてのセンスではなく、横並び意識の延長線上のものとして)
・マス媒体よりは口コミ、ネット。(周囲の反応に敏感。メディアに対しては嫌悪感。)
・野球よりはもちろんサッカー。(自分たちの世代のスポーツだ!という思い入れ)
・手間と暇をかけてやる必要がある。(過保護に育っているので、過保護に扱ってあげる必要。)
大枠のポイントとしてはこんなところか。
傾向と対策しやすい最大の理由は、やはり強力な横並び意識だろう。
それぞれが個別の個性を持った集団を操作するのは、強く圧倒的な力を必要とする。
横並びの集団は、ドミノ倒しの論理であって小さな力でも上手な力加減で操作が可能になる。
ざっとした分析、分類はノートとしてはこんなものだろうか。
これはあくまで集団、集合としての解析であって、もちろん個別の一人一人の個性は全く別の話。